【-今後について-】
楓が孤児であったことを雅は初めて知った。こんなにも元気で、同性が羨んでやまない美少女にも、暗い過去がある。
葵の町は廃墟になっていて、誠は裕福な家庭から乞食になって、楓は両親の顔さえ知らない孤児。この世界は、思った以上に雅たちの世代に厳しい。
隣の楓が座ったことを確かめ、雅が立ち上がる。
「みんな、知っていると思うけど、雪雛 雅です。変質の力は『風』。海魔に襲われたとき、ディルに救われたから、その強さを身に付けるために師事するようになったの。『風使い』としては、空気に干渉できる。干渉した空気に触れた物質、人を問わず吹き飛ばせる。その応用で力をそのまま反対方向に反射、そして力に更に風圧を加えての加速、触れる方向を無視した角度調整もできるわ。あと、ぶつかった力に同等の風圧を加えて停滞させることも最近、できるようになった。人を傷付けない状況だったら、真空の刃も放てるようになった。これは昔、人を殺してしまったことがあって、そのトラウマがあるからあまり頼りにして欲しくはないかな。産まれは浜辺の町。両親の顔は知っているけど、父は査定所の人に連れて行かれて行方知れず、母は使い手じゃなかったから……死刑になった。だから、みんなの孤独は分かるつもり。ただ、分かるつもりってだけの『偽善』。お金と水にうるさい、業突く張りでがめつい女。そういうイメージでも構わない。それでも、海竜を助けることに協力して欲しいの。あの子だけは、助け出さなきゃならないから」
雅は頭を下げたのち、席に着いた。
「あの子、って言うけど、僕はその子と面識が無い。海竜と言えば、特級海魔じゃないのかい? 出没する場所が沖合だったなら、場合によっては深海級なんて呼ばれたりもするんだろ? ただ、海竜が確認されたのは二十年前の首都防衛戦だけで、そのあとの目撃証言は有耶無耶。今回の捕獲の一報だって、ブラフの可能性は?」
「確かにあの子は特級海魔。でも、同時にギリィでもあるの、とにかく大人しくて、それでいて聡くて賢い女の子だった。たとえそれが、人の姿に化けているだけで、私たちを騙しているだけなんだと言われたって、私はあの子を――リィを見捨てることなんてできない」
誠は水を飲み、背もたれに身を預ける。
「特級海魔だけがギリィやラビットウルフのような特級海魔に化けることができるのか、それともまた別なのか。その辺りが曖昧で、両方揃って特級海魔にカテゴライズされているせいでややこしいけど……話すの?」
「話す」
「どれくらい? 流暢に?」
「流暢に話す。あなたと会ったドラゴニュートと同じぐらいには」
雅は誠の問い掛けに真摯に答える。
「人を襲ったことは?」
「無い……とは言い切れない。私じゃなくて、ディルが連れていたから。ひょっとすると人を襲ったことがあるのかも知れない。でも、私が出会い、別れるまでは、人を襲ったことなんて一度も無い」
「僕を毛嫌いして襲う可能性は?」
「無い、とは……言い、切れない」
そこだけは断言できないため、雅は思わず視線を逸らしてしまった。
「まぁ、それはそれで構わない。ただ、嫌われているから襲われるとか、そんなことが無いようにしてくれなきゃ、僕は怖くて協力のしようがない」
「そこはちゃんと教える。教えたら、分かってくれる。納得してくれる、から」
「そうかい。なら、ドラゴニュートの祖とも言われている海竜に会ってみるのも、悪くはないかも知れない」
非協力的だった誠がやっと前向きになってくれた。それだけで雅にはありがたい。
「けれど、一つだけみんなに確認したいんだ」
誠は雅たちを眺め見たのち、続ける。
「みんな、それぞれが壮絶な人生を送ってここまで生き抜いて来た。その最中……雅のように意図せずして人を殺したことだってあると思う。この中に意図せずではなく、故意に人を殺し、それを良しとしているような輩が居るのなら、僕は手を貸せない。僕は人を殺したことがない。人も殺せず、乞食としても中途半端だった男だ。だから、人を殺せと言われても、絶対にその言葉には歯向かう。みんなは、どうなんだい?」
「あたしは……」
葵が口を開く。
「人を殺したことは一度も、ありません。ただ、結果的に人を見殺しにしてしまったことは、あります。クラスメイトの子を助け出すチャンスは幾らでもあったのに、そのチャンスを全て無駄にして、死なせてしまった。だからもう、誰かを見殺しにするのは嫌です。そして、人を殺すことだって勿論嫌です。そんな状況に陥っても、人を殺さずに済む方法を探して、足掻くと思います。そんな甘さで死ぬんだとしても、人殺しにはならずに済むなら、死んでも仕方が無い、のかなって。そんなこと言ったら、リコリスさんにはきっと、『生きる意志が足りない』って怒鳴られるでしょうけど」
客船型戦艦での『ワダツミ様』の一件は、未だに葵の心の傷を癒せてはいない。そして雅と葵の間にある亀裂の走った友情も、修復されていない。だが、変わらず彼女は『慈善』なのだなと、雅は半ば安心していた。
「私は、一度だけあります。ケッパーに会う前に、強盗をしていたときに、ただ恐喝するつもりで持っていた短剣で、刺し殺して、しまいました。それからはずっと、夢に出て来て……ケッパーに師事したのはコテンパンにされたこともありましたけど、それ以上に、強い力を持っていれば人を殺さずに済むんだという思いがあったからです。強い人は力を抑えることができます。強ければ相手が掛かって来ません。もう二度と、殺したくないんです」
苦しそうに、悔しそうに、過去の罪を吐き出す楓は体を震えさせていた。雅よりも幼い子が、勇気を振り絞って罪を語った。
誠にどう罵られるのか、と雅は待ち構える。楓も似たような具合だ。葵は恐らく、私たちを庇うための言葉を用意しているだろう。
「それは……辛いね」
俯いていた顔を上げる。誠の眼は爬虫類の――竜の眼に形状が変わっていた。
「この眼は嘘を暴くし、僕も嘘ぐらい見破れる。嘘と真実が入り混じる乞食の中で生きていたしね。だから、みんなが嘘をついていないことは、竜の眼とも合わせて分かった。嘘をついているなら許さないけど、嘘じゃないのなら、その辛さと苦しさに僕は文句の一つも言うことはできない。慰めの言葉だって掛けられない。掛けたって、そんなの求めてなさそうだし、雅も楓も、そして葵も。自分たちで自分をちゃんと責めている。だったら人を見殺したり殺したこともないような僕は、ただ逃げ続けて弱腰で弱虫な僕は、みんながとんでもないほどの精神力の元で生きているのなら、全力でそれを応援するだけだよ。なに、その顔? まさか、僕が責めると思っていた?」
「ヘタレなクセに、なかなかに鬼畜な性格をしてそうでしたので」
「君に言われたくないよ」
楓が表情を綻ばせる。詳らかにしたことで、軽くなったのかも知れない。しかし、罪の意識は心の深奥に戻しているのが分かる。雅もまた、同じように罪の意識を心の奥底に戻しているのだから。
「大体さぁ、君の動きは一体なんなの? あんな身軽で素早い動きを見たのは初めてで、内心じゃビクビクしてたんだよ!」
「凄いですよね。あたし、あんまり運動とか得意じゃないんであんな動き絶対にできません」
「君もだよ! 全方位から鋭利なツララが降って来るとか笑えないから! ちょっとは手加減しろよ! 雅はなんかもう、全力で殺しに掛かって来ていたし!! 人殺しは嫌だと言いながら、喉元を狙っていたし!」
「え、だって誠のことだから、それくらいしても死なないかなと。弱虫で弱腰なクセに、溢れ返る才能に対する怒り、とかあったし?」
「首を傾げて疑問符を付けても、怖ろしさだけが前に出ているんだよ!」
声を荒げて、誠が訴える。
「葵さんの冷気の範囲ってどの辺りまでですか? ツララが攪乱に使えるなら、私の動きに幅が出て来ると思うんですけど」
「あ、はい。楓さんの速度に追い付けるか分からないんで、その辺りは調節して行きたいと思っています」
誠が率先して名前で呼び捨てにしてくれたため、葵と楓も互いに名前で呼び合えるようになった。恐らく、彼はこれを見越して、これを狙ってわざわざ慣れないことをしたのだ。
「憎たらしい」
「なんでだよ」
「こんな、やる気の無さそうな奴が、一番、場を整えるのが上手いなんて」
「こんなこと、もう二度とやるもんか」
言うと思った。雅は安堵の息を零す。こうして、自己紹介から始まって辛いことも口に出せたことで、こんなにも打ち解けることができた。
場を整えたのは誠だけど、一番手で暗い話を持って来て、自己紹介を提案した葵さんは、どれだけの勇気が必要だったんだろう。
思いつつ、葵に目を向けると、彼女は昔と変わらず、はにかんで応えた。
「話は纏まったのかな? 纏まってくれていないと困るんだけど。まぁ、纏まっていようといなかろうと、二日ほど訓練のやり方を変えることを通達させてもらうよ」
ケッパーが猫背でフラフラと左右に揺れながら、薄気味悪く雅たちの席に寄って来た。
「君はリコリス」
誠が指差され、続いてその指がリコリスの座っている方へと動く。
「で、人形もどきとディルの子はナスタチウム」
雅と楓が顔を合わせ、目をパチクリさせる。
「最後に君を僕が担当させてもらうから。まぁ、安心してよ。さっき、頭の中で十回ほど犯したけど、リアルじゃ犯さないから」
問答無用に楓が立ち、平手が飛ぶが、それをヒョイッとケッパーは避けてしまう。
「セクハラ発言はやめてくださいって何度も言ったじゃないですか! 私以外にもセクハラ発言するとか、もうそろそろ、どこかでぶち殺されてくださいよ!」
「可愛くて綺麗な異性に出会ったら想像で犯す。これは僕の唯一の愉しみだよ。人形もどきは長い間、僕と一緒に居るのにそんなことも分からないなんて。あぁ……あぁ、つくづく三次元は不遇だ。二次元への入り口が早く開発されてくれないかな」
「え、え、え?」
「こんなこと言うけど、割とまともな人だから」
視線を泳がせ、セクハラ発言に動揺している葵を雅が落ち着かせる。
「別にいつも通りの訓練でも構わないんだけど、新しさが足りないんだよねぇ。だから、あの『人で無し』の柔軟性を君は学んで、『飲んだくれ』の荒々しさとタフネスを人形もどきとディルの子が学び――結局、肉体言語で語り合うことになりそうだけど、ナスタチウムの場合は。で、この僕は君に応用力を学ばせる。リコリスの教えも十分に応用の利いた代物だけど、それよりも、もっと面白いことを教えてあげるよ」
「要するに戦い方が堅苦しい僕は柔軟な動きができる人と訓練して、スタミナの維持に甘さが残る二人はタフなナスタチウムと訓練。『氷使い』のできる応用の幅をあなたが、彼女に学ばせる。そういうことですか?」
「話が早いねぇ、実に早い。面倒臭がりな分、話を纏めるのが得意なのかなぁ?」
ケッパーのねちっこい視線に誠もさすがに椅子から転がり落ちそうなほど身を引いていた。
「安心しなよー、私はショタは対象外だからー」
「……あの人と訓練とか、嫌なんですけど」
どうやら誠にも、異性であっても受け入れられない相手というものは存在するらしい。楓に対してすら当たりが緩くなっていたので、異性だったら誰とでも仲良くなりたいような男だと思っていたが、それは雅の勘違いだったようだ。
「あたしも少し、抵抗が……」
「大丈夫大丈夫、君の体は僕が丁寧に扱うから」
「言い方がイヤらしいのはどうにかなりませんか」
切実に葵は発言したが、ケッパーの心には全く響かなかったらしく、返事は無かった。
「あの人の訓練ってどんな感じなんですか? 雅さんは知り合いっぽかったんで、教えてもらえると助かるんですけど」
「一言で喩えるなら、ディルみたい」
「ケッパーの言っていた肉体言語って……そういうことですか。私、雅さんみたいにドMじゃないんですけど、耐えられますかね」
「私がドMってところからなにかおかしいからね、楓ちゃん?」
しかし、もう楓の耳には届かず「痛いのは勘弁なんですけど、ほんと。ケッパーの卑猥な単語が織り交ざった説教の方が、まだマシですよ……」などと呟いている。既にケッパーの毒が楓の脳内を満たしてしまっているらしい。暴力と猥談。どちらも女性の敵であるが、前者の方が慣れている雅と、後者に慣れてしまった楓は、噛み合わないこともある。
前途多難とはまさにこのことだ。




