【-正義を振りかざす男、引き返さず-】
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男は誰にとっても目標となる存在だった。クラスの規範であり、模範であり、そしてクラスメイトの誰もが男を慕い、そして言いなりであった。
それは男が産まれながらにして持っていたカリスマ性の賜物である。なにより、男は正義に従順であった。正義を重んじ、軽んじる者には処罰を与えることさえいとわなかった。誰もそんな男の行いを咎めはせず、むしろ正義を重んじる男の味方であった。
だから男は、己自身のやること全てを“正義”であると知っている。信じている。疑いもせず、自らは“正義”の代弁者であると、酔い痴れている。
男の悪口は誰一人として言うことができない。男に話し掛けられれば、誰もが頭を縦に振るようになる。容姿も優れ、性格にも優れ、才もある。人は男を天才と呼び、そして男もまた自身が天才であると信じ切っている。
『火使い』に目覚めたときも、“正義”を行使する者には粛清すべき者に振るう炎が必要だという神の意志に違いないと疑いもしなかった。
だからこそ、男はどのような戦場においても正義を振りかざす。己の中にある正義に忠実である。
しかしながら、“正義”を反転させればそこに悪が生じる。光の裏に闇があるように、やはり“正義”には悪が付き纏う。
男の“正義”に従えない者、男の“正義”への忠実すぎるその様に呆れ返る者。
それこそが、男にとっての悪だ。だから男は、躊躇いもなく粛清の炎を振りかざす。残るのはいつだって灰と塵だけである。しかし、その行いを咎める者は存在しない。そうしたとき、男は自分の中に持っている、抱いている“正義”が正しいのだと、再確認する。
首都防衛戦に参加したのも、自らの“正義”に忠実であったがためである。熾烈を極めた海魔との戦い。そして、鮮烈で激烈で、果てしないほどの死体と腐敗臭の漂う戦場の果てで、男は生き残ることができた。
しかしそれは、男の“正義”が示された結果ではない。むしろ男は、我が身恋しさによって“正義”に殉じることができなかった。死ぬつもりで臨んだ戦場で、死ぬことができなかった。
男は希望を見てしまった。見出してしまったが故に、生き残ってしまった。それは、猛り狂い、狂喜と歓喜の渦巻く表情を抱く男によって、多くの海魔が討伐されたためである。結果的に、生き残る道標が出来てしまった。
“正義”に殉じる気持ちで臨んだ男は、背に希望を抱かせるほどの男によって、生かされてしまったのだ。
より一層、男は“正義”に拘るようになった。あんな男は“正義”ではない。あの男は間違いないほどの“悪”だ。だから男は一番最初に、壊れていた男を“死神”と呼んだ。
男に希望を見せた男を、“正義”などと思いたくがない故に。




