【-相席-】
「雅も、晩御飯?」
苗字ではなく名前で、しかも呼び捨てされたことにむず痒さを覚える。チキンにも呼び捨てにされたが、あのときはむず痒さ以上に生理的に受け付けないなにかが全身を奔った。
そして、討伐者になってから同性に呼び捨てにされたのはひょっとすると今日が初めてかも知れない。
「晩御飯、だけど」
むず痒さに耐えつつ、雅は鳴の問いに答えた。
「『さん』付けは必要?」
顔に出てしまっていたらしい。ポーカーフェイスの鳴には、この感情が表に出てしまうことの不便さに共感を得てもらうことは難しいだろう。
「ううん、呼び捨てで良いよ」
それでもいつまでも、昔のままの自分では居たくないので、雅は真っ向から鳴に対抗することにした。どうせ自分だって「鳴」と呼び捨てにしているのだ。相手に呼び捨てにされて、それで不満を覚えるわけにも行かない。逆に、呼び捨てにされたことは対等の関係であることの証だと思えば、気分もそう悪くはならない。
「鳴も、」
言い掛けたところで、鳴のトレイに載っている大量の料理の数々に目を奪われる。
「晩御飯……だよね? それ、全部食べられるの? バイキングで料理を残すのはマナー違反だよ」
「食べられる」
料理の数もそうだが、それが山盛りともなれば心配にもなる。そして鳴は雅と同様に、胸を除けばスレンダーだ。どこかで限界でも来そうなものなのだが。
「そう」
「……良かったら、一緒に食べる?」
「え、良いの?」
「席、取っておくから。料理をお皿に載せたら、見つけて」
「うん、分かった」
鳴に微笑み掛けるものの、その感謝と微笑みが上手く伝わっているか分からないまま、鳴はテーブルと席の並んでいるエリアへと移動してしまう。
仲良くなりたいとは雅は考えてはいない。それは自分自身が、他者と関わることを極端に避けて来たためだ。鳴を同じように括るのは筋違いかも知れないが、雅にはいまいち「友達」や「仲間」の作り方が分からない。楓のような溌剌さや葵のような献身的な対応を持ち合わせていないからだ。そして、無理をして押し付けて来るような友情は甚だ面倒臭い。雅には雅の距離があり、鳴には鳴の距離があるはずだ。だから、進んで良い距離感を鳴が醸し出してくれるまでは雅は歩を進めない。
友情にオクテで仲間意識に不愉快さを覚える雅には、それくらいが妥当なのだ。鳴に友情の押し売りをするのは自分らしくもなく、無理をしてしまう。
ただ、話し相手が居ることは嬉しいことである。バイキング形式の食事で上がっていたテンションも、話し相手が居ることで更に上げることができる。基本がネガティブであるので、この調子が丁度良いのかも知れない。
鳴のようにたくさんの料理を雅は載せることはせず――どれもこれも美味しそうで、目移りして、あれやこれやと皿に載せてしまいそうにはなったのだが、好奇心を抑えて少なめに皿に盛り、最後にご飯をお椀によそって料理のエリアから離れた。そうしてキョロキョロと辺りを見回して、席に着いている鳴を見つけてそのテーブルまで歩いて行く。
「どこに座って良い?」
「どこでも、良いけど」
「でも正面だと食べられている姿を見られるのとか嫌でしょ? だからって隣に座るのも馴れ馴れしいし」
「……それも、そうかも」
「でしょ? だから、斜めかな」
雅は言いつつ、鳴の斜め右の席に着いた。ここは四人席だが、早く来たためか人の数もまばらだ。この人数なら隣の椅子を荷物置きにしていても注意されはしないだろう。雅はワンショルダーバッグとウエストポーチを外し、そして隣の椅子に置いた。黒白の短剣は、すぐ抜ける状態であって欲しいので、これだけは置かずに差しておく。
「凄いね、もうそれだけ食べたの?」
鳴は雅が料理を選んでいる内に、山盛りにした料理の数々をほぼ半分近くまで食べ終えていた。どこにそれだけの料理が入る胃袋があるのだろうかと不思議に思うほどである。
「雅はこんなに食べないの?」
「うん」
「食べないと、いざというときに動けないよ?」
「それはそうだけど、鳴ほど食べられるわけじゃないから」
自身で盛った料理を全て食べ終えれば、腹八分目といったところだろう。デザートのフルーツやケーキも食べれば、満腹になる。鳴の盛った料理はどれも美味しそうではあるけれど、きっと彼女がもう食べ終えた半分ほどで雅はギブアップするに違いない。
「人それぞれ?」
「そうだよ」
雅は料理を舌鼓を打ちつつ、答える。旅の途中で食べる料理は簡素なもので、こういった本当の意味での“料理”を食べられるのは、民宿やホテルなどに泊まるときだけである。その分、味わって食べられ、深く美味しいと感じることができる。街から街へ。辿り着くたびに思い描くのは食べ物のことだらけになりつつある。旅の醍醐味はひょっとすると、“食”にあるのかも知れないと、思ってしまうほどに。
「雅は、知ってる?」
「なにを?」
あまりの美味しさに頬が滑り落ちそうになっていた雅に、鳴が変わらず無表情のまま料理を食べつつ訊ねる。
「この都市の、上。ダムの近く、『下層部』の施設の一つに、海竜が捕らえられている、って」
雅は極力、表情を変えないように努めた。努めただけで、本当に表情に出さずに済んだかどうかは判然としない。とにかく、胸の奥にある感情だけは決して見破られまいと、必死だった。
「特級海魔、でしょ?」
「人に化けていた特級海魔のギリィの本来の姿。ギリィは仮初、本来は別の海魔ってパターンはよくあること。でも、海竜のギリィなんて、発見されたことなんて、無かった」
「だから驚きなんでしょ?」
「海竜は、ドラゴニュートの祖先とも言われている。亜種がナーガ、とか。だから、異常な速度で進化し、深化する海魔の秘密を、ひょっとすると知ることができるのかも知れない。私たち人間に比べて、多様性に富み過ぎている」
「だから生かしている、の?」
雅は核心に触れようと鳴に訊ねる。だが、鳴がそもそもそこまでの情報を持っているかどうか定かではないのだ。
「分からない」
だから、雅の予想した通りの答えが返って来た。
「殺さないのは、人類にとって、有益だから。私は、そう思っている」
鳴はそう付け足した。
「海魔は全て殺す。なりふり構わず殺し尽くす。私たちはそうやって、必死に生きている」
雅は鳴に対して、一つ仕掛けてみることにした。
「なのに、なんで海竜は生かされるの? 人類にとって有益なわけないでしょ。人類にとって不利益にしかならない海魔が生かされる理由なんて、無い」
心にも無いことを言った。リィのことを全否定するようなことを言ってしまった。だから、罪悪感だけが自身を支配する。自らが邪悪になってしまったかのような重いものが胸の中を満たす。
それでも、表情には出さないように気を付けた。いや、逆に見抜かれてしまっても良いのかも知れない。その方が鳴の立ち位置がよく分かる。
「……雅は、どんな気持ちで海魔を殺している?」
唐突に、鳴はフォークをサイコロステーキの一つに強く突き刺しながら言う。
「私は、アレを殺すときいつも、こう思う。人を殺すときも、こうなんだろうな、って」
鳴はスッと虚無を見つめているような冷たい視線を雅に向ける。
「討伐者は人殺しじゃない」
「それは、極論過ぎると、思ったことはない? 人型の海魔と戦ったことは、ある? そのとき、人と戦っているような錯覚に陥ったことは? ほら、フィッシャーマンのときだって、人を殺しているような感覚じゃ、無かった?」
にへら、と鳴は嗤う。表情が崩れたこともそうであるが、あまり似つかわしくない嗤い方に怖気が走った。
「ねぇ? そこのところをハッキリして、ください? 雪雛 雅。“死神”の忘れ物」
ああ、やっぱりだ。
出会ったときからそんな気がしていたのだ。それは女の勘のようなもので、ここでこうして聞くまで確定事項で無かったから、判断材料に加えはしなかった。だから仲良くなれるなら仲良くなろうとさえ思ったのだ。
けれど、カマを掛けたら簡単に鳴は引っ掛かった。幼稚なプライドを振りかざして来たことには驚きだったが、これでハッキリとした。鳴は『下層部』側の討伐者だ。




