【-気分転換-】
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派手な下着を買った方が、大人な女なんだろうか。
雅は自身が購入した上下ワンセットの下着の入った紙袋を抱えながら、悶々としていた。店員に勧められたものはどれもこれも派手で、大人っぽく、そして色っぽいものばかりで、同性である雅ですら茹で上がってしまいそうなほどの衝撃を受けた。
結局、その中から選んだのは比較的、大人しめの、自身の歳に合ったものを選び購入した。子供っぽい下着からは卒業している。けれど、あれほど派手な下着はさすがに、選べない。
そう答えを出して、購入したものが「自分には正しいのだ」と言い聞かせる。悪い買い物をしたわけではない。今後の生活における死活問題を解消できたと考えてしまえば良い。
さすがに上下の下着が包まれた紙袋を持ったまま、都市を見て回るのは恥ずかしいので、一時、部屋を取ることのできたホテルへと撤退した。いわゆるシングルルームと呼ばれる部屋で、室内にはベッドが一つ。そして照明が幾つかあり、窓からは外の景色が見える。浴槽、シャワー、トイレも部屋に付いているので、食事以外のほとんどはここで済ますことができる。
ルームサービスで民宿で泊まっていたときのように食事を持って来てもらうこともできるらしいが、雅は『バイキング形式』の食事というものに非常に興味が湧いた。
腕時計の針はまだ午後五時を指している。楽しみにしている食事時にはまだ早い。空いた時間でなにをしようかと思いつつ、紙袋をベッドの上に置き、ウエストポーチとワンショルダーバッグを外す。そろそろウエストポーチも新調した方が良いのかなと考えつつ、雅はそこから手帳とペンを取り出して、部屋に備え付けの椅子に腰掛けた。
書き掛けだったページを字で埋めて行く。ディルの手帳から写したところは手帳の四分の一にも満たない。その内の、更に四分の一を雅自身が埋めている。なので、もう手帳のページは半分まで使ったということになる。シーマウス、エッグ、フロッギィ、ナーガ、レイクハンター、ストリッパー、ヒトガタワラシ、インプ、リザードマン、セイレーン、フィッシャーマン、ドラゴニュート、ギリィ。そこに『クィーン』――ベロニカの項目と『バンテージ』の項目も足している。ディルの手帳から書き写した海魔はこれ以外にも十数匹居るのだが、実際に遭遇していないため初見での感想を書き込めない。ディルの記している特徴や、あの男自身の感想だけでは、想像するのがとても難しい。こういったものは、自分自身の目で見て、特徴や感想を書かなければ記憶に残らないのだなと痛感してしまう。
「……パララサス、マリオネッター、マッドアサルト、そして……『ブロッケン』、か」
ページをパラパラと捲り、目に付いた項目を読み進めて行く。いずれ遭遇するであろう、その海魔たちへの対応策を自分なりに、想像上で、必死に、命懸けで考えて行く。どんな姿形をしているかは遭遇するまでは分からないが、ここには対応できるだけの情報をディルが残してくれている。そうして、討伐したときにようやく自分自身の感想を空いたスペースに書き込むことができるのだ。
「“死神”、“疫病神”、“禍津神”、“戦神”。リコリスさんが“疫病神”と呼ばれているのって、教えてもらってないな、そういえば……」
ディルが“死神”と呼ばれているのは知っている。
どんな戦場でも一人であっても必ず生き残る“死神”。どんな海魔を相手にしても、必ず討伐する、海魔にとっての“死神”。
だから、死んでいるわけがないと思えるのだ。
“死神”と呼ばれるだけの実力も、覚悟も、そして幸運の女神すらも強引に引き寄せる。そういう男のはずだ。
雅は手帳を持ったまま立ち上がり、ベッドに寝転ぶ。フカフカではあるが、布団派の雅には、その柔らかさが落ち着かない。手帳を眺めては、天井を見つめ、また手帳を眺めては、天井を見つめる。
一人旅を始めてから、暇を持て余すようになった。会話する相手も居ない。居ても査定所などの浅い関係の人たちばかりに限られる。ディルと一緒に旅をしていたときは、もっとたくさん喋っていた気がする。もっとたくさん喋ることができていた気がする。それが、もうかなり昔のことのように思えてしまう。こういった場所で休息を取れるならまだしも、それこそ毎日が戦場なのだ。いつどこで、海魔に襲われるか分からない日々の中で生き残ると、ほんの数ヶ月前のことすらも、何年も前のことのように思ってしまう。一日が濃く、そして過ぎるのも早い。自分だけが時間の概念を飛び越えているようだ。
「駄目だ、またネガティブな思考になっちゃう。外に出よう」
雅はベッドから起き上がり、手帳をウエストポーチに入れる。それから無造作に服を脱ぎ捨てて、浴室に入り、シャワーを浴びる。ホテルのシャワーは浴槽の上に付けられていることが多いため、軽く汗を流すだけでなく入浴も済ませることができる。カーテンは、部屋には誰も居ないのだが、お湯が飛び散ることが気になる上に、なによりカーテンを閉めなければ露天風呂ほどではないにせよ、無意味な開放感を覚えてしまう。誰かに見られてしまっているのではという、これまた無意味な疑心暗鬼に陥ってしまうため落ち着かない。
汗や髪に付いた泥を洗い流し、ネガティブだった思考を体を温めることでどうにか、いつも通りのテンションへと持ち上げて行く。汗と泥を流し終えたあとは、浴槽に栓をして、お湯を溜めて行く。深々とではなく、浅めに浸かり、石鹸で泡を作り、手で全身を擦って行く。最後に全身の泡をシャワーで落とし、顔も洗って、お湯を止めた。栓を抜き、カーテンを開いて浴槽を出る。置いてあったバスタオルで髪と体を拭いて、それを体に巻きつつ浴室を出た。
「外で着替えたばっかりだし、こっちはそのまま着るとして……ここも、洗濯ができる場所くらいある、よね?」
下着は紙袋に入っている新しいものに替えた。服はフィッシャーマンとの戦いで少々、泥を付けてしまっているが下着を替えただけでも相当に気分がマシになる。あとは洗濯に出したい物を纏めて、さっきまで自身が巻いていたバスタオルで包み込むと、両手で抱えるくらいにはなるものの外部から見えなくなる。
ウエストポーチにワンショルダーバッグ、そして黒白の短剣が入った鞘をいつも通り装備して、雅はカードキーをポケットに入れて部屋を出た。そのままエレベーターを使って一階に降り、カウンターでランドリーの場所まで案内してもらった。どうやらランドリーの使用については部屋を借りていれば無料らしい。なにより女性専用のランドリーエリアがあり、これには非常に助かった。洗濯機の一つを借りて、下着と服をネットで分けて放り込み、あとは洗剤などを適量入れたら、スイッチを入れて全て任せる。一時間ほど掛かるらしいので、係の人に洗濯機そのものを施錠してもらい、その鍵を受け取る。一時間も洗濯機の前でボーっとはしていられない。
少し早いけど……。
そう思いながら雅はバイキング形式のレストランへと足を運ぶ。ホテルに訪れたときには準備中の立て看板が置かれていたが、それが見当たらない。恐る恐る、雅は中へ入る。
「夕食券はお持ちでしょうか?」
すかさず店員が雅に近付き、そう訊ねて来た。雅はウエストポーチの中から、ホテルで部屋を取った際に、オプションとして受け取った夕食券を手渡す。店員はそれをレジに通して、すぐに雅へと返した。
「こちらの夕食券はあと三回お使い頂けます。それでは、どうぞごゆっくりとおくつろぎくださいませ」
オプションがよく分からなかったので、ロビーの人に任せていたら三回分もの夕食券が付いて来てしまっていたらしい。コースとしては朝食込みにもしているため、ひょっとすると、夕食を一回分にしていればホテル代は大きく減らすことができたのではないかと気付き、そして痛い出費だったと額に手を当てて、考え込む。三泊四日ものホテル代は馬鹿にはならない。フィッシャーマンの報酬で賄うことはできるが、収支がまたもグラついてしまう。
三日、この都市に滞在しないと割に合わない。
雅は自身のやってしまった愚行に苛立ちながら、目を背けたくなる現実と立ち向かい、この都市に、このホテルで絶対に三泊することを心に決める。そして夕食券もしっかりと使い切ってやると意気込む。
「あ……」
トレイに箸、フォーク、ナイフ、スプーン、大皿を一枚、小皿を二枚、お椀を一つ載せて、いざ料理の列に並ぼうとしたところで、鳴と再会する。
「おはようございます」
鳴はそう言ったのち、しばらく雅の表情を窺う。
「……こん、にち、は? うう、ん、と、こんばんは?」
雅が午後六時過ぎの挨拶に「おはようございます」と言われてしまい、どのように返事をすれば良いか悩んでいることを読み取って、鳴はなにやら確かめるように「こんにちは」と「こんばんは」を並べた。朝昼晩の挨拶を全て遣えばどれかは当たるだろうという魂胆なのだろう。それほど鳴の時間感覚は不明瞭なのかも知れない。朝だろうと昼だろうと夜だろうと、関係無いような生活をしていれば自然とそうなるのだろうか。
しかし、ナスタチウムから昼夜を問わず訓練を受けていたチキンは未だその境地に至っていなかった。つまり、鳴と比べればチキンの方がまだまともであるということだ。
「こんばんは」
雅は鳴のそういった、よく分からないところから来る気味の悪さに妙な汗を垂らしつつ、挨拶に挨拶で返した。




