【プロローグ 01】
「そろそろ、実験を始めようか。ウノの遺骸をここに持って来るんだ」
男が指示を出すと、複数の部下が機械を操作する。レールの上に乗せられた台座に、ウノと呼ばれた竜の死体が運び込まれる。
かつては特級海魔のドラゴニュートであり、今はもう息絶えたただの海魔であるそれを、男は一瞥したのち、部下に更に指示を出す。
「海竜の息吹より抽出した『穢れた水』を投与する。なにが起こるか分からない、最善の注意を払うんだ」
竜の死体に白衣を着た男が近寄り、『穢れた水』の入った注射器の針を遺骸に突き刺し、注入する。
「どのようなことが起きても、冷静に対処するように」
男はジッと遺骸を見つめる。
竜の瞼が開き、赤色に染まった瞳が爛々と輝く。続いて、海魔特有の腐敗臭を漂わせながら、四肢に力を注ぎ、竜はゆっくりとその身を起こす。
「海竜の『穢れた水』は、ドラゴニュートの遺骸を再生させるのか? ウノ、聞こえるか?」
男が竜に問い掛ける。
すると竜は咆哮を上げ、腐った腕を男目掛けて振り下ろす。しかし、男は冷静に後方に跳躍して避ける。
「聞こえるのか聞こえていないのか、言葉で返事をするんだ! ウノ!」
男の問いに竜は咆哮でしか答えない。そして近場に立つ研究者を、誰彼構わず殺そうと大暴れを始める。
「死体が勝手に動いているだけ、なのか? 脳死を回復させているわけじゃなく、これではまるで……ゾンビだな」
腐った巨躯を振り回して、研究者の一人、二人を踏み潰し、男へと竜は真っ直ぐに突き進む。
「残念だよ、ウノ……いや、ギュールズ。君の打った短刀には感謝をしているけれど、こうして生き返らせることもできないなんて、実に悲しいよ」
言いながら男は大きく跳躍し、竜の頭部に飛び乗ると、その右手に大剣とも呼ぶべき十字剣を炎だけで作り上げる。
暴れる竜の頭部から、振り落とされることもなく、楔の如く頭頂部に炎の十字剣を男は突き立てる。腐敗した竜の暴れる動きが極端に小さくなる。
「このまま楔で繋いで行こう。『金使い』の討伐者は協力して、四肢に楔を打ち込んで」
男は指示を出しつつ竜の頭部から降り、隣の部屋に向かう。
「次は君の番だよ、ドス。『バンテージ』に殺された恨み、生き返って晴らしたいだろう?」
「あの!」
「どうかしたのかい?」
「この実験に、一体どのような、意味があるのでしょう?」
「姫崎 岬は統制を取るべく、声帯のレプリカで本能に訴え掛け、海魔を支配しようとした。その報告は聞いているね?」
少女に諭すように男は言う。
「はい」
「ドラゴニュートを意のままに操ることができたとすれば、どうなると思う?」
「それは……」
「海魔の頂点に君臨し、人と交流することもできる特級海魔のドラゴニュート。彼らを人の意思で操れるようになれば、縄張り争いをしている海魔を排除することも、その圧倒的な力で追い払うことさえもできる」
「だから、『バンテージ』が暴れたことで死んだ竜の遺骸を一匹、運んだんですか?」
「ああ。複数の遺骸を運ぼうとすれば、あの里の長に気付かれかねない。一匹が限度だったよ。けれど、ドスはウノよりも良い結果を残してくれると良いんだけれど」
男はドスと呼ぶ竜の遺骸の前に立つ。
「竜を支配すれば、世界を統治できる。それは、御伽噺なのでは?」
「けれど、僕らはこれを成功させなければ『上層部』の研究を後押ししなければならなくなる」
「浄化計画」
「そうだ。そのとき、何千万、何億人という人間が地球上から“流されてしまう”。必死の思いで生き残っている人々が、ただただ犠牲になる。『上層部』の特権階級の連中だけを残して、さ」
白の外套を翻して、男は竜の遺骸に手袋を嵌めた手で触れる
「それはなんとしても阻止しなければならない。そのためには、海竜の『穢れた水』による作用が、どれほどの代物か、調べなきゃならないんだ。全ての海魔が人を襲わないようにさえなれば、僕らはこんな腐り切った世界の中でも、生きて行ける。そうは、思わないかい?」
男の笑顔に、少女は茹で上がりそうなほどに耳朶と頬を熱くして、赤くして首を縦に振る。
「思います」
「そう。だったら、君はもっと強くならないとね。ドスの実験が終わったら、また僕が訓練に付き合ってあげよう」
「本当ですか?」
「ああ、僕は嘘をつかないよ」
男の言葉に少女は喜びの声を上げ、そして部屋の外へと駆け出して行く。
「……邪魔をしないでくれよ、“死神”。君がここに来ることは分かっている。君が来る前に、僕らは別の道を探し出してみせる」




