【-幕間、或いは男より以前、少年より-】
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少年にとって、少女は全てだった。
西欧生まれであるが故に孤立していた少年に、優しく声を掛け、それ以降、どんなときも一緒に過ごしてくれた少女は、少年には女神のようにすら思えた。
少女が自身をどう思ってくれているかは分からなかったが、少なくとも少年は恋に落ちていた。どれだけの幸せを想像し、どれだけ彼女の幸せを望んだか、それはきっと途方も無く、そして果てしないほどの回数であった。
夢で出たときの幸福も、現実で出会える幸福も、どれもこれも共有していた。周囲に疎まれようと、軽んじられようと、少年は少女さえ居れば、それだけで生きて行けるようにさえ思えていた。そして、少年と少女はある“約束”をした。
恐らく、少女もまた少年に恋をしていた。
ただし、それを聞くことはもうできない。訊ねることもできやしない。
少年は少女を喪った。
当時の少年にとって、それは許容し難いほどの悲劇だった。
使い手、海魔、腐った世界。読み聞きしただけの世界の真実から目を背けていた。そして、そんな夢も希望も無い世界でも二人なら歩いて行けると勘違いをしていた。
生きて行けると夢見ていたものは、唐突に打ち砕かれたのだ。
少年が育った村は排他的で、そして閉鎖的なところだった。そのため、村の外には一度も出たことが無かった。しかし、少女に言われるがままに村の人々に黙って抜け出し、少年は二人で川へと向かった。その頃、まだその川は穢れていなかった。
だから政府は海魔の討伐方法についても、生きた水の確保ですら後手後手に回らざるを得なかった。一つ湖が使えずとも、別の湖を使えば良い。海が穢れた水に変わる前までは、そんな取捨選択だった。少年にとって、その頃は村が世界の全てであったが故に、それを知ったのは村をあとにしてからだが。
しかし、それ故の悲劇ではない。穢れた水に近付き、そうして海魔に襲われたのならば自業自得である。
だが、生きた水の中から突然、そんなものが現れるなどとは少年も少女も、そして誰しもが思わなかっただろう。
少女はそれに丸呑みにされた。
丸呑みにされ、そして川の中に消えた。それほど大きな川では無かった。しかし、少年が見た海魔は、決してただの子供一人では太刀打ちできないほどに巨大にして強大だった。そうであるのに、少女を丸呑みにした直後、その巨体は川のどこからも見えなくなった。どのようにして川に潜み、そしてどのようにして川から逃げたのか。それは少年どころか大人でさえ、分からなかった。
少女の両親は悲嘆に暮れ、その後、自殺した。少年はそれを罪悪と捉え、常に精神的苦痛を味わうこととなった。そして少年の両親でさえ敵であった。気が付けば自分だけが責められている。そのような苦痛の果てで、少年は両親が現実から逃れるかのように自殺した時を境に、村を出た。
そして、少年が大人になった頃、周囲に壊れた男だと言われ出した頃、唐突に転機が訪れる。首都防衛戦に立ち、押し寄せて来た巨大な海魔の内の一匹。
その海魔は間違いなく、少女を丸呑みにした海魔であった。
屈辱と雪辱と復讐心に踊らされ、男は狂気に身を委ね、その一匹を討ち取った。
海魔の腹の中には、少女が居た。ただし、中身は海魔に変わり果てていた。
その時から、男の苦悩は再び首をもたげたのだ。
そこで終わるはずだった“約束”は、その少女の存在により、酷く歪みながらも、継続されることとなった。




