【-敬意を払って-】
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「なんなの、この筋肉馬鹿は」
雅は息を切らしつつ、そう吐き捨てる。
拳を風圧で弾く。しかし、それを物ともせずバンテージは突っ込んで来る。怖くて近寄れない。それどころか一撃を浴びせることさえ恐怖を感じる。なにより、もう一度、竜に転じられたらどのようにして防げるか分かったものではない。
自分だけなら、風圧で弾き飛ばせば良い。
だが、ここから別方向へと鉄杭を弾き飛ばしたとき、街道を進んでいる人々に飛来しないとも限らない。
「妹を死しても尚、辱めているのは貴様か?」
そしてバンテージは、自らの妹の牙と骨が打ち込まれた、雅の持つ白の――今は紅に染まっている短剣を見て、更に激昂しているのだ。誠がどのように五分以上も保たせたのかまるで分からない。
確かに雅の持つ短剣はバンテージを討つことのできる刃を携えている。しかし、剣戟を繰り出す前にバンテージの殴打を受けてしまう。それも、一撃で死んでしまうであろう凄まじい殴打を、だ。
「なにを怖れている? 怖れることはない。ここで死ぬ者が、そのような顔をして死んではつまらんのだからなぁ!」
バンテージが走り出す。雅がジグザグに駆ける。フェイントは入れたが、合わせられた。前方に立たれた。迷わず空気を変質させて殴打を弾く。次の殴打も風圧で弾く。
すると足が動く。これはディルとの経験で、咄嗟の判断が利く。後方の跳躍して蹴りをかわしたが、バンテージは体勢を整えてすぐににじり寄って来る。こうして、距離を常に詰められていては埒が明かないのだ。しかし、強引に開きに行くと、とんでもない一撃を貰いそうになる。つい先ほども、バンテージの殴打をギリギリのところでかわして距離を開けたところなのだ。その距離がもう、既に詰められている。
まだまだだ、私。まだ、まだ弱い。
雅は思いつつ、バンテージの格闘術を一つ一つ捌いて行きながら、死線を掻い潜って行く。
「飽いたぞ、人間」
「しまっ」
最後までは言えない。雅に鋭い回し蹴りが振られる。両手に握る短剣で受け止めつつ、威力を流そうと試みるが、あまりにも膨大な力を流し切れずに体が吹っ飛んだ。
「終わりだ」
体勢を崩された。しかし、空気を変質させてバンテージの一撃を弾く。しかし二撃目は、雅の視界外、そして更には両手の範囲から大きく逸れたところから襲い来る。
重い音がした。しかし、体からは痛みが伝わって来ない。
「ビクともしねぇなぁ、バンテージ。貴様の一撃は、この程度か?」
「ナスタチウム……?」
岩の鎧を身に纏ったナスタチウムが寸前で合間に入って、一撃を代わりに受けてくれたのだ。
「なんだ、“戦神”か。気配が濃いとは思っていたが、このような場で出くわすとは、己は運が良い! 久しく忘れていた、戦への昂ぶりを感じるぞ」
「はっ、出会った討伐者に所構わず襲い掛かってんじゃねぇよ! 悪いがこの戦い、高尚な殺し合いはできねぇ。だから、さっさとどこかへ行きやがれ!」
「吠えるな、“戦神”。貴様との戦いは、このあとでも出来る。己は人間を全て、滅しなければならないのだ」
バンテージは拳でナスタチウムを打つが、岩の鎧は全く砕けない。
「それが何故、分からぬ? 首都防衛戦を潜り抜け、知ったのではないか? 人間は、あまりにも無力であり、恥の塊であると!」
「俺も最初はそう思っていた。だが、実のところ、そうでもねぇ」
「分からんな」
「分からんだろうよ。分かり合う心を捨てた特級海魔のドラゴニュートにはなぁ!」
岩の拳でバンテージを打ち飛ばす。バンテージの尾が地面に突き刺さり、吹き飛んだ体を御した。そしてすぐさまナスタチウムに拳を繰り出す。それを両の手でナスタチウムは受け止め、全力を持って彼の者の体を地面に叩き付け、足で踏み付ける。
「そこでジッとしていろ」
「……この程度では、己の中の炎は消えんぞ?」
バンテージがナスタチウムに踏み付けられた体勢のまま、竜に転じた。その衝撃でナスタチウムが引っ繰り返り、起き上がれなくなる。
「ちぃっ!」
自身の皮膚、衣服、それらを変質させた岩の肌を自身で砕いて、大きく距離を開けた。
「消えて、詫びろ。この世界の全てに、だ」
銀色の竜が力を蓄える。雅が後方に回り、竜の尾に二本の短剣を突き立てる。呻き声を上げた竜の口元から力が消える。これで二度目の阻止に成功した。けれど、状況はなにも好転していない。
「貴様らは! どうして、己の怒りを分かってはくれんのだ!?」
「それは、ただの八つ当たりだから」
「八つ当たり……己のこの復讐の炎が、怒りの炎が、八つ当たりであると?」
銀色の竜が咆哮を上げ、雅に走ると、右前足で踏み潰そうとする。すかさずそれを、風の力で弾く。
「片腹痛いわ!!」
吹き飛ばされた右前足を、迷わずまた銀色の竜が振り下ろす。雅は後方へと跳ねるが、大地を抉った礫が頭部に直撃した。
意識が僅かに薄れる。だが、ナスタチウムが寄越した腹部への一撃で、即行で現実に引き戻される。荒療治ではあったが、気絶していればここでは死ぬことは間違いない。
「これで分かっただろう、人間。己は、決して貴様らに討たれることはない」
人の姿に戻り、溶けた鱗をポタポタと落としながら、バンテージは語る。
「分からないな」
陽光の剣を輝かせて、誠がゆっくりとバンテージの前に立つ。
「戻って来た、の?」
「そうだよ」
誠は雅の問いに一言で答え、そして体中から闘志を湧き上がらせている。
「僕は臆病者だ。けれど、僕はようやっと……討伐者としての意志を抱き、勇気を持って、そして覚悟を持つことが、できた」
鋭い眼光――竜の瞳がバンテージを射抜く。
「お前のおかげだよ、バンテージ」
「竜眼? 人間に、自らの眼を与えたというのか?! そのような血迷った竜が、この世に居ると、そう言っているのか!?」
「楽に生きていたい。逃げて、逃げて、どこかで静かに暮らしたい。けれど、どうやら……お前たちを狩り尽くさないと、僕の願いは、果たせないみたいなんだ。だから、お前はここで止めさせてもらうよ。殺せないだろうけど、止める。街の人々全ての避難が完了するまで、僕はお前をここから、逃がすつもりも、追いやるつもりもない」
陽光の剣を顔の近くで垂直に立て、剣礼を行い、剣を右下へと振るう。
「お前に……許されざる君に敬意を表することはこの上ないほどの、苦痛であるけれど、戦う者に敬意を払うグレアムの遺志に則って、ここに僕は君に敬意を払う!」
血の涙を流し、誠が叫ぶ。
「良い、来るが良い! そのような敬意も、貴様の掲げた勇気も覚悟も全て、この己が拉ぎ折ってくれるわ!!」




