【-選定の街 撤退戦-】
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一週間は長いようで短かった。心の準備をしなければならないのに、全くそのような準備はできておらず、気付けば誠は街の人々が集まった広場と、討伐者の集まっている広場を行き来して、不安や緊張を紛らわせるかのようにずっと往復していた。
「ちょっとは落ち着けないのか、餓鬼」
「落ち着いていられる状況だと思いますか?」
「はっ、なにをどうしたって今日が決行日だ。ドンと構えていれば良いんだ。男ならな」
ナスタチウムはこんな日にも関わらず酒を飲んでいる。そんな大男の言葉で不安を拭えるわけがない。
「チキン」
「だからチキンって呼ぶなよ」
「私はあなたを信頼している」
「もう分かったから」
「だから、頼むわよ? 私たちは生き残るために、戦うんだから」
雅の言葉に違和感を覚えつつも、「ああ」と相槌を打っておいた。
生き残るために戦う? 少なくとも僕は、そんな気持ちじゃ、戦えない。
偏屈な自分自身を動かすのは、やはり恐怖、怯え、逃避だ。覚悟なんてものを決めたら、動くことさえままならない。
「空から見て来た奴らが言うには、今日は海魔の数が少ないんだとさ。絶好の機会ってやつだね」
グレアムより先に合流していたアジュールが三人に告げる。
「……海魔の数が、少ない?」
「少ないことは良いことだろ。そこに引っ掛かる理由なんてあるのかい?」
「いえ……でも、ケッパーの言っていたことが、ちょっとだけ……杞憂であれば、良いけど」
雅は唐突に不安げな顔をする。街の人々を外へと逃がすこの撤退戦の立案者は彼女なのだ。そう不安そうな顔をされると、誠もなんとも言えない気分になってしまう。
「君は細かいことを気にしすぎるんだよ」
「うるっさい」
「もっと楽な考え方で生きてみたら良いのに」
「だからって、あなたみたいなチキンにはなりたくないわ」
どうやらこのやり取りだけで、雅は調子を取り戻したらしい。表情を見るだけで分かったので、誠は会話をそこでやめた。
「街門を開けます!! 列を乱さず! 落ち着いて、そして街道から逸れることなく、なにも考えずに、ただひたすら前の人に付いて行ってください!」
討伐者が街門を開く。怒涛のように街の人がその出口に押し寄せるかと思いきや、驚くほど統制が取れている。傍にドラゴニュートが居り、その威圧感に萎縮しているためだろうか。しかし、その萎縮のおかげで妙な混乱が起きていないのだから、これは感謝すべき点だろう。
「ハッハッハッハ、しんがりは疲れるぞ。いやぁ、今から恐怖で一杯だなぁ」
「どこがですか」
むしろ嬉しそうに笑っている。だから文句を言わずにはいられない。
「人殺しは大嫌いだが、鬱憤を晴らすならこれほど良い相手も居ねぇ」
「エッグには気を付けてくださいよ」
「関係ねぇ! 俺はどんな海魔だろうが、ぶち殺す! ただそれだけの存在だ。ま、餓鬼どもはしっかりと気を付けることだ」
薄黄色の外套が風を受けてはためいている。今日はそれを外す予定は無いらしい。雅もワンショルダーバッグを襷掛けしているが、これも戦闘時に外す余裕が無いと踏んで、いつもより固く締めているのが分かった。
「さぁ、そろそろ我らが歩む時間だな」
グレアムが尾で地面を叩き、誠たちを急かされ歩き出した。しかし、グレアム自身は、足取りを誠たちと合わせている。つまり、しっかりとした連携については一週間の準備期間中に学んだということだ。
「地鳴り……?」
雅が黒白の短剣を抜いて、周囲を見渡す。
「指示を出せ、人間。どうやら街から人間が全て出て来たことを知って、街を囲っていた海魔が全速力でこちらに向かって来ているらしい」
「街の人を走らせて。討伐者街道沿いから飛び出して来る海魔に対応するように!」
「了解した!」
グレアムが空を見上げて、雄叫びを上げる。それに呼応して、嘶きと鳴き声、そして似たような雄々しき叫びが響く。
「ドラゴニュートが居ると分かっていながら、下等な海魔が押し寄せて来るなんて、ちょっとおかしな話なんだよなぁ」
アジュールがボヤきつつ、街道の外側に生い茂る木々の隙間をジッと眺めている。
「来るぞ、人間!! 気を抜いている暇は無いぞ!」
木々の隙間からフロッギィが姿を現し、蛙の如き跳躍力で街道へと躍り出た。誠はその醜悪な姿に身を引いて、代わりに反発するように雅が前に飛び出す。跳ねるフロッギィに躊躇わず近付き、懐に入ると、その強靭な腕に掴まれないように素早く身を動かし、二本の短剣で腹部を引き裂いた。
「……凄い。これなら、白の短剣ばかりに頼らずに戦える」
フロッギィは防衛機能として腹を膨らませることができるが、今の一撃で腹は裂かれてしまったため、空気による膨張は不可能になった。そのことよりも、雅の手元にある黒白の短剣が紅と蒼に染まるその様が幻想的で、誠は目を奪われていた。
「さっさと仕留めろ、餓鬼!」
「言われなくても!」
雅が未だ動くフロッギィの喉元に短剣を突き立て、そして引き抜いて下がる。それだけでもう彼の者は動かなくなった。雅は急所を把握し、そこに刃を突き立てる技術力を持っている。だからナスタチウムは加勢に入らず声掛けだけで済ましたのだ。これが自分だったなら、と想像するだけで誠は嫌気が差す。
「心臓を集めている暇は……無さそう、ね」
続々と木々の隙間からフロッギィが跳び出して来る。右側だけに限らず、左側からも現れている。その数はもう十を越えている。
「ハッハッハッハァッ!! 血が滾って来たなぁ!!」
ナスタチウムが地面に拳を叩き付けた。その一撃で大きく大地が隆起し、十匹のフロッギィを纏めて空中へと突き上げる。
「あとは任せてもらおう」
グレアムが隆起した地面を蹴り抜いて、空中で竜に転じると尾で五匹を叩き潰し、残りの五匹を強靭な爪で引き裂いた。
「これ、アタイとあんたの出番無いんじゃない?」
「そうなればどれだけ嬉しいか」
「アジュール、街の人に危害が及ばないように前進を続けろ」
「はいはい。年上には従いますよ」
アジュールはグレアムに言われた通り、誠と合わせ、街の人々の方へと前進する。人々は密集して移動を続けている。そのたびに、フロッギィが飛び出て来てはキリが無い。だから良いところで引き下がり、ナスタチウムたちが誠たちと合流する。後方に一纏めになったフロッギィをアジュールが竜に転じ、燻る火炎を彼の者たちに放出することで消し炭にする。
「はい、これで少しはスッキリした」
竜から人に戻り、アジュールが誠に朗らかに笑う。笑っている場合か、と同じく人へと戻ったグレアムがアジュールの頭頂部に拳骨を落とした。
「ナスタチウム!!」
「おっ、っと!」
雅の声に咄嗟にナスタチウムが体を動かした。長く伸びた尾が大男を絡め取ろうとしたところで失敗に終わり、尾の主が街道に現れる。
半人半蛇。上半身は人の姿に近しいが、下半身は蛇。しかし、ただ人に近しい顔立ちと上半身を持ち合わせているだけで、ドラゴニュート以上に海魔の部分が前面に出ている。なので、非常に気味が悪い。気味が悪い上に腐臭まで放っているのだから、近付きたくもない生命体である。会話も困難であるらしく、なにを言っているのか分からない。どうやらこれが、ナーガと呼ばれる海魔らしい。




