【-空を飛ぶからこそ見られる景色-】
「アタイと一緒でなにか不満でも?」
後方からアジュールの声がして振り返る。
「なんで居るんですか?」
「呼び戻されたんだよ。今さっき、あんたらが来ているから、作戦が練られるだろうってことで」
それが誠たちには分からない鳴き声や嘶きでやり取りされたなら、もうなにも言えない。
「そう嫌がんなよー、これから苦楽を共にするんだからさぁ」
過剰なスキンシップでアジュールは誠に抱き付き、なにやら嬉しそうに笑っている。誠にしてみれば、いつどのような具合で力を込められて、骨が砕かれやしないかと気が気じゃない。アジュールがたとえ雌のドラゴニュートで人型であったとしても、雅を背負ったときのように性欲が首をもたげることもなかった。恐怖がそういった一切を遮断しているのだろう。
これは、好かれているというよりも遊ばれているって感じだな。
異性の扱い方をよくは知らないが、男がどのようにして女に扱われるかは酒場などのやり取りで知っている。財布のように扱われる男、男に貢ぐ女、どれもこれも散々だが、アジュールの誠への扱い方は、遊びである。興味を持っているからもっとこっちに好意を向けろというアピールでもある。しかし、女とは冷ややかなもので、そうやって振り向いたときにはもう別の男にアプローチしていることがある。
酒場で見て来たのだから、これは直感的に分かることなのだ。
「嫌がっておるのが分からんか?」
そんなアジュールの遊びにグレアムが口を挟む。
「グレアムは細かいことを言い過ぎなんだよ。はぁ、そんなだから独り身なんだよ。アタイらは早熟で、短命なんだからさっさと相手見つけないと一生、独り身だよ?」
グレアムはアジュールの物言いに素直に黙り込んでしまった。どうやら本気で独り身であることを悩みの種にしているらしい。
「早熟とか短命とか聞きますけど、どれくらい?」
アジュールが誠の問い掛けに耳打ちする。
「あのジジイで三十五年ちょっと。だから、アタイたちの絶頂期ってのは十五から二十ぐらい。グレアムはもう二十四。堅物で、女に縁が無いからねぇ、あいつ」
「そういうあなたもまだ絶頂期に至ってないみたいですけど」
あと五年経たなければ大人ではないらしい。誠から見れば、もうアジュールは大人な顔立ちと体型をしているというのに。
「人型だと、この辺りで成長が止まる。十五から二十の五年を絶頂期と定めるのは、竜の形態においても成熟したって言い切れる時期だから。だからアタイはまだ、竜の姿を取ると幼生とまでは言わないけど、まだまだひよっこなんだ。ま、炎でなんでも燃やしちゃうけどねぇ」
絶頂期ではない炎竜をしんがりに寄越して来た老人の腹黒さを誠はアジュールからの耳打ちで知り、腹の中に溜まった苛立ちを示すかのように片足を小刻みに動かして、床をコツコツコツコツと叩く。
しんがりに五人一組。誠と雅、ナスタチウムという面倒な三人を隔離し、できればこの撤退戦の中で死んでもらいたい。そんな意思が見て取れる。無論、自身の同胞には状況に合わせて本隊と合流させるつもりなのだろう。
人を舐め切っている。どれだけ人に近しくとも人外であり、海魔なのだ。全幅の信頼を置いてはならない。
だったら、誠が信頼を置くべき相手とは一体、誰になるのだろうか。
消去法で行けば、アジュールでもグレアムでもなく、雅とナスタチウムの二人ということになる。しかし、ナスタチウムを信頼したことは一度もなく、雅に至ってはここ数週間以内に出会ってばかりなのだ。
信頼を置けるような関係など、築かれてなんていない。
「なんでまた、しんがりなんだよ。僕は楽をしたいんだってのに……」
「あんたは二言目には楽をしたい楽をしたいって、どれだけ楽に生きていたいんだよ」
「海魔と争わずに生きて行きたい」
そして苦しい死に方は嫌だ。
けれど、その二つをこの世界に求めても、きっと叶うわけがない。叶わないと知っていて誠は言い続ける。駄々を捏ねる子供のように、自身がまだ成長し切っていないのだと周りに知ってもらうために。庇護してもらわなければならない者だと分かってもらうために。そうやって、ナスタチウムに拾われたのだ。だから、そう簡単に誠の中からこの観念は抜け落ちない。
抜け落ちる日など、来るわけがないと決め付けている。
「人間を逃がす際には空からもワシらが見張ろう。場合によっては海魔とも交戦しよう。そのような約束であるからな。して、いつ決行する?」
「疲れ切っている討伐者を少しでも休ませるためにも、あと街の人々の覚悟を固めさせるためにも一週間後」
「了承した。皆の者、そなたらが守る者を守れず死にたくなければ! 決行日たる一週間後に備え、自らを鍛えよ!! さすれば、きっと生き残る! これは、人間の生き方を見極める重大な事項でもある。しかと、その目で見極めるのじゃ!」
言い放ち、床を叩き、そして老人は雄叫びを上げる。それに応じて座していたドラゴニュートが立ち上がり、同じく雄叫びを上げ、尾で床を叩く。
外では竜が嘶き、鳴き声は耳を痺れさせるほど大量に飛び込んで来る。
長の家から屈強なドラゴニュートたちが立ち去り、そして開かれた扉を出ると、たちまち竜へと変身して飛翔する。そうして、室内に居たほとんどのドラゴニュートが居なくなったのち、誠たちが外へ出ると、天空を自由自在に飛び回る多くの竜の姿が見ることができた。
「我も行かせてもらおう」
グレアムが跳躍し、宙で竜の姿となって天高くへと飛び立つ。
「ああやって、空で交流してるんだよ。あとは交錯した際にぶつからないよう、力関係を明確にしておく。あの雄叫びは、一種の威嚇なんだ。あれに負けたら、空でそいつに会ったときは負けた側が横に逸れる。そういう決まりだ」
「ドラゴニュートにまで序列というか力関係まであるんですね。なんだか、本当に人にそっくりですよね」
雅とナスタチウムが老人と話し込んでいたので、誠は気付けば隣に居たアジュールと話していた。
「アタイたちも、できれば人に産まれたかったと、どこかでは思っているかも知れないんだけどねぇ」
誠はアジュールの顔を眺める。血迷ったことを言っているなぁ、と軽い気持ちで見つめたのだが、物憂げな表情だった。
「ねっ、あんた。空を飛んでみたいと思わない?」
「嫌です」
「うーわ即答。さっすが、捻くれ者」
「あなたの上に乗ることになりそうでしたから。なんて言うか、振り落とされそうですし」
「よくお分かりで」
「ぅわっ!?」
アジュールはニッと笑ったのち誠の胸倉を掴んで、中空に向かって放り投げた。そして竜の姿に転じると、そのまま地上に落ちそうだった誠を背中で受け止める。
「ちゃんと掴まっててよ!」
「嫌だって言ったのに、乗せないでくださいよ!」
「もう遅い!」
アジュールは猛々しい鳴き声を上げながら、一気に上空へと飛翔する。誠は背中の出っ張りを両手で掴んで振り落とされないように全力を込める。
「ほら、どう?」
上昇をやめ、アジュールは滞空の姿勢を取る。誠の視界に広がったのは、地上を歩いていては到底見ることもできない、世界の一部を切り取ったかのような景色だった。
水は腐っている。
人は荒んでいる。
それでも、まだこの世界は儚くも美しいと、誠は思ってしまった。なにせ、このような景色が広がっているのだ。広大すぎるほどの大地。それに比べれば、誠たちが歩いていた山なんてちっぽけなものなのだ。
「ちょっと、酸素が薄いんですけど」
「あーははは、飛び過ぎたかな。アタイもちょっと苦しい。滑空するから、気絶しないようにねぇ」
姿勢を変えて、アジュールは両方の翼膜を最大限に広げて、降下を始める。高いところから一気に低いところへ落ちて行くような感覚。体内の臓器が重力に逆らって上へと昇るが、その違和感にもすぐに慣れる。
訪れるのは、心地良い風の流れと、そして縦横無尽に視界の中へ、外へと駆け巡る景色の数々だった。
「凄い」
「ね、捨てたもんじゃないでしょ、この世界」
「……はい」
「あんま、捻くれたことを考えないようにすること。全てが終わったら、またこうして背中に乗せて飛んであげるから」
「約束ですよ?」
「おっ、口約束に乗ったね? 次は気絶するくらいの危ない飛び方してやるから、覚悟しな」
グワングワンと、もう十分に危ない飛び方をされているのだが、街の人々を逃がし切ることができれば、これ以上の危ない飛び方をすると言う。
しかし、それは誠にとってこの上ないほどの楽しみに変わった。
どんな飛び方をしてくれるのか。地上に降り立っても、そのワクワクは止まらない。
だからその日は、とても機嫌が良かった。ナスタチウムも「ちょっとは面白くなりそうだな」と誠の顔を見ながら呟いていた。




