【-感情が爆発する-】
「テメェは女心が分かってねぇなぁ」
「同い年の異性と出会ったのなんて初めてなんで、分かるわけないじゃないですか。ところで、今日も訓練は無しですか? 夜の暴力も、無しですか?」
「……餓鬼とのおままごとはもう終わりだ。テメェとはしばらく、訓練もなにもしねぇよ」
「どうして、ですか?」
嬉しさを堪えながら訊ねる。
「純粋につまんねぇ餓鬼になったからな。俺への不満、愚痴、そんなものを抱えた貴様を暴力で手懐けるのはとても楽しく、心地が良かった。だが、もう飽いた。今度、テメェと訓練をするときは、テメェが俺に頼み込むときだ」
「そんな日、ずっと訪れませんよ」
「そのときはそのときだ。テメェに構っている暇が無くなったってのも一つあるな。臆病者の俺は早め早めに、街からの撤退戦について考えなきゃならねぇ。ドラゴニュートの種の保存と選定を中断させたとしても、この街から全ての人を生かして逃がすには、相当の手間が掛かる。街門から逃がすのが比較的安全なんだろうが……人の臭いを嗅ぎ分けて、そこに集中されてしまえば、もうおしまいだ」
ナスタチウムは酒瓶に残っている酒を飲み干して、フラフラとした足取りで坂を降りて行く。
どうしてあの子も、ナスタチウムも自分だけが助かる道を選ばないんだ?
誠は一人、その場に留まって悩み続ける。
理屈じゃない感情的なものに揺り動かされているのなら、それこそ笑ってしまう。自身が生き残っていれば、それで良いじゃないか。それ以外に必要な物なんてこの世にあるとは思えない。なのに、他人のためにと偽善振って、それで死んでしまったら一体、どうするというのだろうか。
「アタイは好きだよ。そういう、鬱屈していて屈折していて、斜に構えた性格の人間」
「うわっ!!」
気付けば真後ろにアジュールが立っていて、誠は素っ頓狂な声を出してしまった。
「寝るんじゃなかったんですか?」
「それよりも、あんたのことがちょっと気になってねぇ」
アジュールは顔を誠の眼前まで近付ける。
「あんたは、贈り物や大切な品を受け取る様を、つまらないと言い切った。そういう感覚、アタイも分かる。けど、それを言っちゃなにもかもおしまいなのさ。そういう奴に限って、早死にする。贈り物も大切な品も持っていないから、この世に未練を持たなくなっちまう」
「……だから、なんだって言うんですか?」
「これは一つの口約束だ。あんたに大切な品、贈り物が与えられるとき、あんたはその臆病な心を精一杯に振り乱し、覚悟を決めて現実に立ち向かえ。良いね? それを果たしたとき、アタイがちょっとしたご褒美をあげちゃうかもよ?」
「早熟で年下なドラゴニュートにご褒美を貰っても、小馬鹿にされているような気になっちゃうんで良いです」
「なんだとー!! ほんっとにあんたは、可愛げが無い。でもそれも強みさ。後ろ向きな男が、前を踏み歩く者だなんてカッコ付けるだけ付けて、後ろに下がることはするんじゃないよ? 本当の覚悟を手にしたとき、あんたはジジイに言った通り、前を向いて遮二無二突き進むんだ。良いね?」
二度目の確認に誠は仕方無く首を縦に振った。にこやかな表情を作ったアジュールは誠から顔を離し、満足そうに「さぁて、寝るかー」と言いながら工房へと戻って行った。
「こんな僕に、どうして構うんだろ」
ナスタチウムも雅もアジュールも、その誰もが誠のことをなにかと面倒な性格の者と知っておきながら、離れない。ナスタチウムには自分から付いて行っているわけだが、まだ見放されない。訓練はしばらく無いらしいが、それでナスタチウムが誠を一人、放り出すわけではないのだ。雅も「チキン」と罵るが、酷いことを言って傷付けたりもするが、それでも何故だか分からないが話をする。他人行儀に分類されればそれまでだが、この二人はずっと、後ろ向きに物事を考え込んでいる誠に、なにかを期待し続けている。
そしてアジュール。彼女もまた、誠に期待を乗せている。だからあのようにして、「口約束」という、なんの役にも立たない言葉まで用いたのだ。
誠はトボトボと一人、坂を下って行く。考えても考えても、自分の中で答えを導き出すことはできないようだ。そうと分かれば、こんなどうでも良いことは放り出してしまおう。別のことに意識を向けて、浮かび上がる問題を強引に、頭の奥の奥にまで押し込んでしまうのだ。
民宿に戻って壁にもたれ掛かり、ふぅと一息ついた。丁度、そのタイミングで呼び鈴が鳴り、覗き穴で来客を確認してから扉を開く。
「今、ナスタチウムは居ないんだけど?」
「あなたに言っておかなきゃならないことがあって」
「なに?」
「……さっき、あなたに言われて図星だった。心のどこかで諦めていた。だから敵討ち、仇討ちするんだって勝手に心で決め付けていた。それを見抜いてくれて、どうもありがとう。でないと私、本当のことさえ見えないまま、ずっと彷徨い歩くことになっていただろうから」
「なんで、感謝するんだよ」
「気付かせてくれたことにお礼を言うことが悪いこと? 私、これでまた前に進める。諦めずに進むことができる」
「……諦めろよ」
誠は呟き、徐々に感情は昂ぶって行く。
「感謝するなよ、諦めろよ、怒れよ、馬鹿にしろよ、罵れよ!! 弱虫だって言えよ! 僕は強くないんだ、強くなんてない。生きたいから討伐者になった! でも、それで強くなんてなりたくないんだ。弱いままで良い。評価なんてされたくない。されたら、きっと強い海魔と戦わなきゃならなくなるから……嫌だ、怖い、逃げ出したい! だから僕のことなんて放っておいてくれよ。邪魔臭い男だと思って、面倒臭い奴だと思って、見放せよ!!」
納得が行かない。納得することもできない。だから、ここまで溜め込んだ感情が爆発した。その相手が雅だったのは、偶然に過ぎない。相手がナスタチウムであっても、誠は同じように当たり散らしていたはずだ。
「邪魔臭い奴、面倒臭い性格。そんなので、私は見放さない。ナスタチウムも、きっと見放さない」
「なんで!?」
「あなたは強いから」
「だから僕は弱いんだよ!」
「あなたはまだ、強い思いと覚悟をぶら下げていないだけ。それだけでも強いの。だから、私とナスタチウムはまだ期待している。強い思いと覚悟を手にしたあなたが、今以上に強くなることを求めている」
「嫌なんだよ、強くなったら強い海魔と戦わなきゃならないじゃないか!」
「そのときは、隣にきっと仲間が居る」
「仲間? ははっ! 僕の知っている仲間は毎日、たった一切れのパンを奪い合って、水の小瓶を手に入れた奴から盗むような輩ばっかりだよ!」
片手で顔を覆う仕草を取り、混乱している誠から、雅は視線を逸らさない。
「そんなのは仲間じゃない。友人でもない。ただの利用する者と利用される者」
「じゃぁ本当の仲間ってどんななんだよ! 本当の友人って、どんななんだよ!」
「どんな過酷な状況であっても、その人のために駆け付けることができるのが仲間。どんなに不利な状態であっても、友人のために自身を犠牲にしたって構わないと思って飛び込めるのが、友人。信じて、信じられて、互いの背中を任せ合える相手……私も、しばらくはそんなもの、信じられなかったけど、楓ちゃんと出会って信じることがまたできるようになった」
雅は続ける。
「私はあなたの中にある強さを信じる。逃げ出したって、良い。それでも私は信じ続ける。だからあなたも、私を信じて。そうすれば私たちは仲間になれて、友人になれる。私はもう、あなたのために危険な状況に飛び込む覚悟も、死地に赴く準備もできているから。だから、お願いだから……信じることだけは、捨てないで」
それだけ、と雅は言った。そして「感謝の言葉は伝えたから」と呟き、部屋に入らずにその場を立ち去った。誠は放心状態で立ち尽くし、自分自身に嫌気が差して、どうしてだか涙が零れ落ちる。
フラフラと部屋に戻り、壁にもたれ掛かる。
「信じる? 信じることだけは、捨てないで……?」
震える声で言われたことを反芻する。胸が熱くなる。血が滾る。けれどそれを、精悍に見つめる自分自身が冷やす。なにがなんだか分からないまま、誠は涙を流し続けた。




