【-黒の短剣-】
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「衣服の修繕って難しすぎ。あんなチマチマした作業、私は得意じゃないわ」
工房に向かう最中、雅は絆創膏だらけになった自身の指を見せびらかしながら言う。いや、見せびらかしているというよりも、手袋をしているときにどうしても熱を帯びてむず痒くなってしまうのだろう。だから定期的に手袋を外して、風を送っているのだ。
約束の一週間が経った。ナスタチウムと雅に連れられるまま、誠はまた街中の坂道を登って行く。どこぞの山登りよりはマシだが、それでも気は重い。なにせ自分には全くもって関係のない話がこれから滔々と流されるのだ。途中で眠くなって欠伸でもしたら、ナスタチウムに限らず、あのドラゴニュートの女――アジュールにさえ殴られるかも知れない。誰だって、自分自身の仕事について語っているときに、目の前の相手が眠そうにしていれば腹を立てるものだ。誠にとってはボーっとしないことこそが最重要である。
「一人旅をする上では必須だなぁ、餓鬼。この俺でも裁縫の技術は持っているからな」
「ナスタチウムの外套って、ディルと同じで修繕しなくても再生するんじゃ?」
「それ以外はボロボロになるんでなぁ、そればっかりは自分で直すんだよ。この外套はどれだけボロになっても、ずっと持っていなきゃならない。そういうものだと、俺は思ってんだよ。戦うときは、海魔になんて触られたくもねぇから、そこの餓鬼に預けるけどな」
ボロの外套にどれだけ執着しているんだよ、と誠は思う。出会ったときからナスタチウムは薄黄色の外套を大事にしている。年季が入っていてボロボロであるが、それを丁寧に扱わなければすぐに檄が飛ぶ。それほどナスタチウムは、外套を大切にしている。
誰かからの贈り物か、それとも形見なのか。
誠には判断が付かない。しかし、雅はディルからなにかしら聞いているのか、ナスタチウムにそのような質問を投げ掛けたりはしなかった。普通なら気になって訊ねるものだ。それをしないということは、なにかしら知っているということ。さすがの誠だって、そこまで頭は回る。
「贈り物とか大切な品とか、僕にはよく分かりません」
これは誠なりに、ナスタチウムと雅を挑発してみせたのだが、弱かったらしく二人は気にも留めていない。
逆に言えば、誠は贈り物を貰ったことがなく、大切と思える品が無いということなのだ。ひょっとすると、二人はその点に哀れみを感じ、黙っていたのかも知れない。無論、誠にしてみればそんな哀れみは要らない気遣いにしか過ぎないのだが。
「おい、アジュール。例の物は出来ているか?」
扉を乱暴に開けて、ナスタチウムが四の五の言わずに本題を口に出す。その勢いの良さに誠は一瞬、目を丸くするが、やれやれと思い大きな溜め息をついた。
「あいよー、時間から見ても丁度一週間。最後の磨きがさっき終わったところさ。でも、ちょっと、この子がそこの子を気に入るかどうかは、分かんないかなー」
アジュールが布に包まれた物をカウンターに置いた。
「あー代金は要らないよ。こんな物を打って、帳簿を付けたなんて知られたら長からどんな罰を言い渡されるか分かったもんじゃないからねぇ。はぁ~あ、ほんと早く死んでくれないかな、あのジジイ」
「そういえば、ドラゴニュートは早熟って聞きましたけど、アジュールさんって何歳なんですか?」
「アタイ? アタイは十歳」
「十歳って……僕より年下なのに、なんで僕より年上みたいになっているんですか」
アジュールの体躯を見て、十歳とは到底思えない。敬語を遣うことは継続することになりそうだ。
「ってか、それで思い出した。あんたたち、里の長に喧嘩売りに行って、しかも勝っちゃったそうじゃない? いやー、スカッとしたねぇ。あ、これも黙っておいてね。昔、あのジジイに尻を触られたことあるから、いつか鼻を明かしてやろうって思ってたところだったんだ。そのときの顔をこの目で拝めなかったのが、ほんっと残念なところなんだけど」
雑談はこれくらいにして、と言いつつアジュールは布を広げて行く。
「……黒?」
「ああ、玉鋼とあんたの短剣を繋ぎにして、海竜の牙と骨を粉末にしたものを磨く際にまぶした。すると、こんな風に剣身が真っ黒になっちまった。誓って言うが、アタイは仕事に手を抜いたりはしねぇ。こうなったのは、この短剣がこうなりたいと願った結果だ。柄頭に備えた帯にも、先代が白の短剣を打ったときにもやっていたことだが、残った牙と骨をまぶした。そしたらこっちも、黒に染まった。だから、あんたの雰囲気には合わねぇなぁと思っただけだ。だが、それ以外にもアタイが見極めなければならないこともある」
「……竜の加護が付くかどうか」
「その通り。あんたがその剣を振って、肉を裂いたときに分かる。丁度、昼飯と思ってぶっ殺して来た海魔の肉がある。それを裂いたとき、加護が付かなければ、その短剣はあんたを気に入らなかったということだ。そんな相手に、これを委ねるわけには行かなくなるねぇ」
ドサッと海魔の解体された肉をカウンターにアジュールは置いた。腐臭が鼻を衝く。こんな臭いの権化のようなものを軽く引っ張り出さないでもらいたいと誠は思いつつ、雅の様子を窺う。彼女は布の上にある真っ黒な剣身にまず触れる。続いて指を滑らし、恐る恐る柄を掴み、手に取った。
「軽い……白の短剣と同じくらい、軽い」
「頑丈さもお墨付きさ。だが、それを持つに値するかどうかは、これから決まる。ほら、裂いてみな」
雅は黒の短剣で二度、三度と感触を確かめるように空を斬ったのち、カウンターに置かれた海魔の肉に鋭い剣戟を奔らせた。血は海魔の肉から零れ落ちるが、彼女の皮膚や誠、ナスタチウムの体に飛散するほどではない。
「……うん、よく斬れる。さすが私が打った短剣だ」
「あ……の、これ」
「んー、ああ。私の目にはしっかりと映っているよ。竜の加護が、ね。それに短剣が応えてくれているんじゃない?」
真っ黒だった剣身は海魔の血を浴びて、蒼色に染まる。波紋が工房の照明を浴びて綺麗に流れ、それが不思議な紋様となって半ば輝いているようにすら見える。
「じゃぁこの短剣は」
「ああ、あんたの物さ。けれど、それで人を斬るようなことをしたら私は許さないよ。勿論、その短剣もあんたを許すことはないだろね。白の短剣が曰く付きと呼ばれて、巡り巡ってあんたの手に渡ったように、その短剣もまた、曰く付きとなって、真の持ち主を探すだろうさ。『血吸いの王』だってなら、まぁそっちは『血噛みの女』――ブラッディ・ブレイブだね。今、急に思い立った銘だから、あんたの手から離れたときには、別の銘に変わっているかもだけど」
『血噛みの女』。けれど、直訳すれば血の勇気。それは雅が持っている勇気を称しての銘であり、そして女と付けることでより一層、彼女の元にあるべき代物であることを示している。
「あの、ありがとうございます!」
雅がアジュールに頭を下げる。
「はっ、アタイに礼を言うのは筋違いさ。あんたが礼を言うべきは、その牙と骨を提供してくれたアタイらの祖たる海竜、そしてそれを捌いた人間だ。海竜と人間が分かり合い、自らの骨と牙、その一部を分け与えるなんて聞いたことがない。アタイらドラゴニュートは、心の底から認めた者に、死なない程度に分け与えるが、それも滅多なことじゃない。竜の加護を受けた刃は海魔殺し――ドラゴニュートすら斬るからね。そういった竜の刃を抱く者は、両の手で数えられる程度しか居ないってことを理解しな。あんたはその内の一人であり、海竜と白き竜に認められ、二重の加護を受けた特別な人間ってことだ。ドラゴニュートに刃を向けるなら……アタイは責任を取って、あんたを殺しに行くけど、どうだい? そんな気はあるかい?」
「人と分かり合えるドラゴニュートを率先して狩ろうという気にはなりませんし、今後も多分、斬ることはないと思います。ただ……『バンテージ』は例外になる、とだけ言っておきます」
アジュールが頭を掻く。
「ああ、あのドラゴニュートは例外だ。むしろ、アタイらからお願いする。奴の怒りを、誰でも良い。絶ってやってくれ。怒りの炎に、復讐の炎に憑り付かれた奴を楽にしてやるには、アタイらか、そしてあんたたち討伐者が討つしか、無いから」
ドラゴニュートの『バンテージ』。この世に唯一無二となってしまった鋼竜の血を流す者。けれど今は、集落から追放されて、ドラゴニュートでありながら『上層部』と査定所より討伐指令が下されている海魔。
こうして話すことができ、分かり合えるかも知れない海魔も居れば、『バンテージ』のように同じ種に分類されているのに分かり合えないだろう海魔も居る。
人間が肌の色で争った過去があるように、海魔も同種であっても分かり合えないことがある。そして、人間もまた異種族と分かり合うにはまだまだ時間が掛かるのだ。なにせ人間同士が未だ束ねられていないのだから。
誠は雅がアジュールから鞘を受け取り、剣身が黒に戻った短剣をそこに収めて左腰に差す様を見届けながら、そのようなことを考えていた。
「そうやって大切な品が増えて行くんだな」
ボソリと、声を落としていた。




