【-過去に溺れる大男、望郷す-】
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男は汚水と生ゴミの臭いが漂うダウンタウンで育った。体格に恵まれていた男は主に掏りに窃盗、強盗で一日一日を必死に生きていた。
そんな男に転機が訪れたのは、世界に海魔と『穢れた水』が溢れ返ってからのことだった。
『土使い』として目覚めた男は、この世の『穢れた水』によって汚染された土を、肥沃な土へと変質させることができる。それは特権階級たる『水使い』の次に、『木使い』と同等の、周囲から羨ましがられる力であった。故にダウンタウンから男は姿を消し、汚らしい格好は捨て去り、特権階級の縁の下の力持ちを務め、日々の充実した生活に満足していた。
しかし、男はこの世の階級制度を理不尽と感じていた。
何故ならば、ダウンタウンで産まれ、そこから生活をしていた男にとって、階級そのものが悪であったからだ。たかだか、力の一つや二つであのゴミまみれの生活からオサラバできる。しかし、力が無い者たちは変わらず、生ゴミに埋もれて生きるだけだ。
そして、男はどうして己だけが暢気に暮らしているのだろうという考えに至る。土を変質させ、『木使い』と共に植物を栽培する日々は忙しくはあったが充実していた。しかし、その充実感はその場に居る者と己だけが抱くものであり、ダウンタウンのような劣悪な環境に生きる者たちには届かない。
だから男は、その職を捨てた。
厳密には討伐者となり、海魔を屠る日々に身を投じることにした。やはり体格に恵まれていた男はすぐに頭角を現すようになる。
しかし、常に脳を過ぎるのは生まれ育った故郷の、掃き溜めの臭い漂うダウンタウンの光景だった。そこはもう海魔に襲われ、跡形も無く消え去ったと男は耳にしている。
だから男は故郷を捨てるべく、出国した。そして、日本に渡った。島国であるこの国は徐々に海魔に喰い潰されようとしていたからだ。そこで一心不乱に、情景を忘れるべく男は力を振るった。
そして首都防衛戦の話が男の耳に入った。集められた討伐者の中では、男は誰よりも年長者であったが、誰よりも力が劣っているなどという気持ちは一切持ち合わせてはいなかった。それは恵まれた体格と、鍛え上げた筋肉によって培われた強い自信であった。
そうして、男は戦場で惨憺たる世界の縮図を垣間見てしまった。
在りし日の、ダウンタウンでの暮らしが男の脳内を駆け巡る。その頃の暮らしは充実などしていなかった。貧しく、苦しく、耐え難いほどの日々であった。
なのに、充実していた日々よりも常に思い浮かべるのは、産まれ故郷ばかりであった。
男は酒に溺れる。酒を飲んでいる間だけは、なにもかもがどうでも良くなる。
しかし、ある日、男は一人の乞食を拾うこととなる。
それは在りし日の己を重ね合わせた、ただの同情だったのかも知れない。




