【-陽光と月光-】
「威勢を張っていられるのも今の内だけだ」
「だろうね。僕は戦っている間に喋れるほどの余裕を持っちゃいないから」
ようやく誠は自分自身の得意とする構えを取る。右手を前方に、左手を後ろに。若干、憧れていた剣闘士の構えを取る。
「ワシの号令で始めよ」
老人の声が響く。誠は意識を集中し、グレアムの動向を見張る。
「両者構え! 尋常に始め!!」
号令が轟いた。その瞬間には誠は動けなかった。やはり恐怖がまだ勝っている。戦いたくない、逃げ出したい、やめてしまいたい。そんな後ろ向きな感情が現在、体を支配している。
前向きじゃない自分のことはよく知っている。
誠は小さく笑みを零す。
なんだ、こんな大事な一戦においても僕は実に僕らしいじゃないか。
緊張など皆無で、怖れだけが体を満たし、体は常に上々に出来上がっている。
勇気、度胸、覚悟。そんなもので誠は戦いにおいて体を揺り動かさない。自身を動かすのは常に、恐怖、怯え、逃避にある。
「来ないのか、小童?」
恐怖の対象が前にあり、怯えている。だから逃げ出したい。
けれど逃げ出すためにはその怯え、恐怖している存在を倒さなければならない。そうしなければ逃げることが絶対にできない。そんな状況に自身が置かれていると、イメージする。
袋の鼠。袋小路。
けれど、追い詰められた鼠は必ず、猫を噛む。それは何故か。
簡単だ。生きるために戦うことにしたからだ。怯えて逃げ出した恐怖の対象と戦わなければ生き残れないと本能的に判断したからだ。
あのドラゴニュートが猫ならば、僕はまさしく鼠だ。
「行かせてもらうよ」
呟き、誠は前方へと駆け出す。愚直に、真っ直ぐに、ただ恐怖の対象たるドラゴニュートの男――グレアムに向かって突撃する。
前に出していた右手を引いて、鋭く前方へと突き出す。グレアムがそれを物ともしないといった風に手で光の剣を掴もうとする。人間や海魔ならば触れるだけで火傷以上のダメージを与える。しかし、鱗と頑強な皮膚に守られているドラゴニュートには熱はさほど怖ろしくもないということだろう。
誠の腕がうねるように動く。光の剣身が捻れてグレアムの手を避けると、その胸部に切っ先が当たる。
グレアムの体が後方に僅かに下がる。誠も後退し、互いの間に距離ができる。
「なんだ、その剣は?」
「トリックをバラすようなマジシャンが居ると思うかい?」
「我の筋肉を裂くことができなかっただけか」
「……馬鹿だなぁ、裂けるに決まっているじゃないか。そんなに気になるなら言ってあげる。これは星々と月の光を蓄えた剣だ。昼間は太陽の光に隠れて、光り輝く星も、太陽の光を浴びて輝く月もほとんど見えないけれど、そこから光が地上に届いていないわけじゃない。けれど、この光はとてもくすんでしまう。これは言うなれば、棒切れだよ。驚くほど熱を持った、棒切れさ」
そして左手に誠はまた別の光の剣を作り出す。
「そしてこっちが太陽の光で作り出された剣。どうだい? 輝き方がまるで違うだろう? こっちは棒切れじゃないよ。驚くほどの熱を持った、溶断する刃を持っている」
手の内を明かすのは礼儀として、ではない。そうやって挑発することが誠にとって大切であるからだ。自身の能力をひけらかす行為を愚かと、グレアムは思うだろう。
その愚かと思われることに、誠は耐性がある。乞食として生きて来た経験のある誠にとって、どのような罵りも堪えることはない。異性に「チキン」と言われたときにはさすがにダメージが大きかったが、どれもこれも心に傷を負うほどの代物ではない。
「刃を持たん剣で我に一撃を浴びせたか。それは、実に愚かだ。今の一撃が刃を持っていたならば、勝負は早々に付いていたかも知れんというのに」
「そう、その通り。でも、君はこの力を侮っている。僕が手にする光がくすんでいるか、それとも爛々と輝くか、その違いはきっと君には分からない。剣戟なのか、それとも打撃なのか。どちらに重きを置いて、防御するべきか。そういう判断を僕は狂わせるんだよ」
このように飄々とした態度を取ることこそが誠の戦いにおけるスタイルの一つなのである。
なにもズレてはいない。なにも間違ってはいない。自分らしさは、しっかりと残っている。
「ふっ、当たったところで痛くも痒くも無い打撃など、怖るるに足らぬ」
グレアムは笑みを浮かべ、口元から見える鋭い牙が誠の持つ光を浴びて煌めく。構えが先ほどよりも前傾姿勢となり、より獰猛な生物の威圧を放つ。誠がそれに僅かに動じた瞬間、グレアムが地面を蹴って、そのたった一回で距離を詰めると問答無用で隆起した筋力によって力を圧縮された拳が真正面から打ち込まれる。
避けるのは間に合わない。そもそも、誠は戦いにおいて避けるということを好まない。というよりも、できない。怖くてできない。
自ら下がっている内に、攻撃を受けたらどうするのだ、と。その一抹の不安を拭えないからこそずっと逃げ腰になり、及び腰になる。
だからこのときにおける誠の行動は防御に限られる。
右手に握る光の剣が形状を変えて、誠の右手を中心に周囲に放射される光の盾となる。グレアムの拳が光の盾に叩き込まれ、鋭い衝撃が右腕からそして体まで到達するも、誠はそこから動かない。それどころか左手に握る陽光の剣をグレアムの右脇腹目掛けてカウンターとばかりに繰り出している。それをグレアムが尾で受けるが、熱く、そして溶断の力を有したそのどんな刃よりも厄介な剣戟に顔を歪め、即座に誠から離れる。
月光の剣は打撃。陽光の剣は剣戟。しかし、月光の剣はこのような状況に陥ったときには、敵の打撃を防ぐ盾に変わる。これで相手が剣戟であったなら、誠は陽光の剣を盾に変えていた。その一挙手一投足を見抜き、剣戟か斬撃か、打撃かを見極めながらジワリジワリと進出して行く。決して力としては強くはない。繰り出される剣戟や打撃も誠の筋力に大きく左右される。ひ弱な筋肉では、大した力を有してはくれない。しかし、防ぎ、守り、歩む。これだけに関しては、右を出る者は居ない。誠は誰よりも、そう信じている。これだけが誠の中にある唯一の自信であるのだから。
「トリックの種は多くあった方が良い。僕は弱いからね。そういうのを仕込むのが大好きさ」
「少々、面を喰らったぞ、小童」
「驚いてくれたなら、こっちも鼻が高くなる」
ただし、高は括らない。負けるイメージだけが誠を突き動かす原動力なのだ。もっとも、訓練相手がナスタチウムばかりであったたため、勝つイメージなど持ち合わせてはいないのだが。
グレアムが再び地面を蹴って、一気に距離を詰めて来る。鋭い爪による一撃。それは斬撃に近い。だから陽光の剣を盾に変質させて受け止める。しかしそこでグレアムは雄叫びを上げて、左右の爪によるラッシュを始める。左手だけに伝わる凄まじい衝撃に誠は顔を歪めながら耐え忍び、どうにか押し返したいがばかりに右手の月光の剣を振るう。それを待っていたとばかりにグレアムが月光の剣を掴み、誠を引き寄せる。重心が前にズレることで、盾も体勢も全て崩された。前傾に倒れ行く誠の背中にグレアムは時間を掛けてしならせた、鋭い尾を叩き付ける。
地面にめり込むほどの衝撃を受け、誠が呻く。
「ちょっと! 負けたら承知しないわよ!?」
「……ちょっと、黙っていろよ」
グレアムが目を見開き、尾を誠から退ける。誠は両手に力を込めて、起き上がり、そして立つ。肩を回し、腕の痺れが取れるのを待つ。




