【-竜の里-】
特級海魔ドラゴニュートの里は山の頂上に、ひっそりと存在している。建築物は全て木材で出来ており、組み方も大雑把で少々の揺れで崩れてしまいそうなものが多い。しかし、入り口と思える鳥居のような門の前には警備の者が立っており、その後方では聞いたこともない生物の嘶きと、翼膜を広げて飛び立つドラゴニュートの姿も見えた。
山頂ではあっても、空気はさほど薄くはない。特級海魔のドラゴニュートも空を飛ぶことはできても、ひょっとするとその肺活量や酸素の吸収率は人間に近しいのかも知れない。だから、高山と呼ばれるような山々ではなく、こんな二時間ほど歩いて登れる山の頂上に里を形成しているという推測が立つ。
「準備できてる? 話は私が通すけど」
「度胸あるよね、ほんと」
「私、コミュニケーションはそれほど得意じゃないから……もし相手を怒らせてしまったら、それだけで交渉決裂になっちゃうのが、怖いところかな」
「怖いどころか終わりだろ、それ」
細かいことは気にしない、と雅は言いながら歩き出した。が、顔が強張っていたので雅も恐らく細かいことを気にするタイプであるのだろう。それを誤魔化したくて自分に言い聞かせるために口にしたのだとしても、バレバレである。
僕も交渉術は得意じゃないし、こんなときに無茶苦茶でもナスタチウムが居てくれたらなぁ。
そんな愚痴を零したところで詮無いことである。二人切りなのだから、二人で乗り切らなければならない。ナスタチウムがここに来たら、この集落に居るドラゴニュート全員を刺激しかねないらしい。それほど首都防衛戦の生き残りは偉大であり偉業であり、異常なのだ。
「なに用だ?」
門番が雅の歩みを制止するように鎗で行く手を遮った。
「この里の長と話がしたいんです」
「貴様のような人間の小童が話せるような御仁ではない。立ち去れ」
「立ち去るわけにも行かないんです」
「聞かぬ小童だ。人間と刃を交えることが、この里の規律に反していなければここで貫いているところだ」
ドラゴニュートの男と雅の視線が交錯する。
「この短剣についての話もあるんです」
雅の持つ白の短剣は奥の手である。ナスタチウムは「長と会うまで出すな」と禁じていたが、どうやらこのままだとずっと話が平行線になると思ったらしく、早々に奥の手を出すことにしたらしい。
「なんだ、小童の短剣など我らドラゴニュートには……っ!」
目の色を変える。実際に強膜が白から黄色に染まった。
「……小童よ、その短剣を一体どこで手に入れた? 我らが同胞を死して尚、辱めるとはどういう了見だ?!」
「それも全て、長に話さなきゃならない。だから、ここを通して」
ドラゴニュートの男は激昂している様子だったが、やがて大きく息を吐いて、呼吸を整え、鎗を下げる。
「通れ。そのまま真っ直ぐ進み、最も高く、大きな建物に入れ。そこに長は居る。ただし、場合によっては生きてここから出られぬと知れ」
ドラゴニュートの男が空を見上げて、人間のそれとは違う鳴き声を発する。それに呼応して、門は左右に開かれた。
「入るわよ」
「分かっているよ」
門番に睨まれながら、雅と誠は集落に入る。後方で門の扉が閉められた音が聞こえた。続いて、集落の中央広場まで歩いたところで三百六十度、あらゆるところからドラゴニュートの鳴き声が響き渡る。人が里に入って来たことで、牽制か威圧か、或いは彼らだけにしか分からない情報交換が行われているに違いない。
「気にしないで歩く」
「うるさいな、そんなこと言われなくても分かっているよ」
そもそも立ち止まっていられない。立ち止まったなら、どこかのドラゴニュートに捕まえられて命を取られるのではないかという不安すら込み上げている。見れば雅も体を震えさせている。
怯えているのは、怖いのは自分だけではない。そのことさえ分かれば、誠も気を引き締めて前だけを見て歩くことができた。
真っ直ぐ先にある、一際大きな木造建築に入るための階段を上がり、そして大きな扉の片側を雅は開いて入る。誠もそれに続き、礼儀として開けた扉を閉める。外の嘶きをできる限りシャットアウトしたいという気持ちもあった。
「この世にある、星の巡りを知っておるか?」
奥からしわがれた男の声が聞こえた。雅と誠は互いに顔を見合ったのち、入り口で立ち止まらずに前へ進む。
左右に座しているのは屈強な体躯を持つドラゴニュートばかりだ。ナスタチウムでさえも、この体躯には劣るだろう。そんなピリピリとした、半ば張り詰めた空気の中央を進む恐怖は、とても言葉では表現することができない。
「もう一度、問う。この世界の星の巡りを知っておるか?」
奥に座している白髪の老人――異様なほど髭を伸ばし、そして尾もまた異様に長い。しかし、その瞳が抱く眼力だけは、この場に居るどのドラゴニュートにも引けを取らない。そんな老人が二人に問い掛けた。雅は答えあぐねている。
「分かりません」
だから誠が率直に告げる。分からないことに分からないと答える。それのなにが悪いのかというくらいの居直り方で言ってみせた。
周囲から嘲笑の声が漏れる。
「静かにせよ。客人を嗤う者をワシは付き人に選んではおらんぞ?」
嘲笑はただのその一言で消え去った。
「星の巡り、とはなぁ。どのような命も数千の星の巡りを経て、再びこの世に舞い戻るということじゃ。そのような死生観をワシらは共有しておる。この世に生を受けて、そう長くもないと嗤うじゃろう。しかし、人より年を取る速度が早いワシらは、そのような死生観を持たねば、死の恐怖には抗えんのじゃよ」
老人は更に続ける。
「数千の星の巡りを経て、ワシらの里へと自ら足を踏み入れた強靭なる魂が、ここに二つ、ようやっと見えたとワシは思うのじゃが、人間には分からんことかのう?」
雅はまたも答えない。誠は小さく、この場の誰にも分からないくらいの溜め息をつく。
「その死生観に同意はできませんが、尊き観念であるということは理解できました」
また誠が雅の代わりに告げる。
老人が軽く笑って見せた。しかし、気を緩ませることはできない。何故なら、眼光はずっと雅と誠を射抜いて離さないからだ。
「人間が何故、ここに来た?」
「この短剣を見てもらうため。そして、協力を仰ぎに参りました」
やっと雅が話し出した。これでお膳立ては済んだだろうと誠は半歩下がる。そして雅が半歩ほど前に出て、白の短剣を抜いて床に置いた。それを付き人の一人が手に取り、老人の元へと持って行く。
「……この短剣には、ワシらが同胞の牙と骨が使われておるな?」
「はい」
「……しかし、竜の加護が見える。どうやらこの短剣は、持つべき者の手に渡ったということらしい」
老人が短剣を置いて、首を動かす。付き人がその短剣を拾って雅の手元まで戻した。
「本題に入る前に一つ、昔話をしても良いかのう?」
「構いません」
「なぁに、すぐに終わる。その短剣に打ち込まれている牙と骨の持ち主たる白き竜の話じゃ。ワシらは各々、血を流しておる。『木』なら樹竜、『火』なら炎竜、『土』なら地竜、『水』ならば、海竜。もっとも、海竜はワシらの祖先故、この場に居る誰もその血を流してはおらんのじゃがな。白き竜は『金』を司る鋼竜の血を流しておった。この世に唯一無二の、奇跡の血統じゃ。何故か分かるか? 木、火、土、水。これらは自然の力。しかし『金』に関して言えば、鉱物ではなく鋭さ、刃、それらに形を変えることは、“人間の手によって加工されなければならない”からじゃ。じゃから、奇跡の双生児と謳われた」
「双生児?」
「そう。この世に二つと無い力は、二つの生命に委ねられた。一人が白き竜。もう一人が、この里を追放された者。白き竜は生まれ付き体が弱く、産まれてすぐ余命幾ばくも無いと言われておった。更にはワシらでも、そして人間でも手の付けようのない病に冒されておった。それでも八年は生きた。しかし、八年の生涯を終えた。その短剣には、その白き竜の――鋼竜の牙と骨が使われておる」
雅は床に置かれている短剣を拾い、鞘に収める。
「しかし、問題はもう一人。妹を人間に討たれたことで酷く激昂しおった。所構わず暴れ回り、とうとう人間を殺した。どこぞの里はどうかは知らんが、ワシらの里において人殺しは禁忌。よって、ワシらは奴を追放した。掟に従い、翼を切り落として、のう」
「……まさかそのもう一人って」
「人間によって討伐対象とされている唯一人のドラゴニュート。人間の間では『バンテージ』と呼ばれておる者じゃ。会ってはならん、そしてその短剣を見られてはならん。怒りの炎に、復讐の炎に身を焼かれている彼奴は、もう何十人何百人何千人と人を殺しておる。人間の女子が、よもや自身の実妹の牙と骨を打ち込んだ短剣を握っているなどと知れば、間違いなくそなたを殺しに掛かる」
雅は俯き、不安げな表情を見せた。
『上層部』より討伐対象とされている特級海魔、ドラゴニュートの『バンテージ』。誠には初耳だが、ナスタチウムに訊けばなにか教えてくれるだろうか。
「さて……ワシの昔話、そしてそなたへの忠告は以上じゃ。あとはそなたが、その短剣以外にワシらに要求すること、とやらを聞かせてもらおう」
老人の眼力は強く、一切、二人を休ませる気は無いらしい。
震えたいのは僕の方だっての。
思いつつ誠は雅の脇腹を肘で突付いた。
「……街から誰一人死なせずに、全ての人を撤退させます。協力してください」
単刀直入に雅は老人に向かって言い放った。




