【-及第点-】
「…………あの、葵さん?」
「はい?」
「ここまで、しなくても良かったんじゃ」
「そ、そうですか?」
雅の考えた作戦はあくまでも『地滑り』であり、このような『土砂崩れ』ではない。
「どこまで掘ったの?」
「結構、深くまで、ですけど」
ストリッパーを地滑りに埋もれさせて倒す。これが雅の打ち立てた策だったのだが、実際には葵が相当深くまで水の爪で山肌を直下に掘り、そこから地滑りが起こりやすいように直線状に土を水へと変質させることで土砂を緩くさせた。
それでも大抵の山肌は木々の根によって支えられており、人間の力ではまず地滑りを狙って引き起こすことなどできはしない。
だから、支えていた根を雅が最後に断ち切ると同時に衝撃を与えた。が、どうやら葵が深く掘り進め、そして相当奥まで土を水に変質させていたために、地滑りが土砂崩れになってしまったらしい。結果的にはストリッパーを埋もれさせることに成功したのだが、離脱するときの見立てた距離よりも、もう少し近くで経過を観察していたならば、この土砂崩れに巻き込まれていたかも知れない。山道はこの土砂崩れで完全に分断されてしまっている。ここをまともに通行できるようになるまで数日は掛かるだろう。
「土壇場で意地を見せるクソガキと、作戦成功のためには加減を知らないクソガキか。正直なところ、そんな輩と関わりたいなんて思いたくもねぇな」
土砂の上に飛び乗って、姿を見せたディルが毒を吐く。
「約束と違う!」
「口約束なんて約束に入るかよ。俺に約束させたいなら誓約書を書かせて、俺の拇印を押させることだな」
言いながら土砂の辺りを探るような動作を見せる。
「リィ、どこだ? 人間もこれだけの土砂に埋もれれば骨が砕けて死ぬ。生き埋めになっていても臓器を圧迫されて死ぬか、僅かなスペースで生き残っていてもいずれ空気が無くなって死ぬ。だからストリッパーは死んでいるだろ。引きずり出せ」
「……知らない」
「はぁっ? ふざけてんじゃねぇぞ」
リィは土砂を必死に登り、そして必死に降りて雅の元まで駆け寄る。
「お姉ちゃんたちの約束を、守らないディルの言うことなんか、利かない」
これは最強の味方を手に入れた。雅は勝ち誇った顔で茫然としているディルを眺める。
「どうする?」
「おい、いつから敬語を遣わなくても良いと言った?」
「あなたがそういう態度を取っているからでしょ。で、どうするのよ。私たちとの約束は?」
「……女が三人寄ると姦しいとは、まさにこのことだな」
うぜぇと呟き、ついでに唾までその場に吐いた。
「戻って来い、リィ。そこのクソガキどもの面倒を見てやるよ。非協力的にだがな」
「非協力的に面倒を見るって、どんな言葉よ」
「同感です」
「うるっせぇな! テメェらの口約束に苦々しくも了承してやってんだ、感謝しやがれ! ほら、リィ。戻って来い!」
リィはクルリと振り返り、雅たちに小さくお辞儀をする。
「これからよろしく、お姉ちゃん」
リィはそれだけ言うと、ディルの傍まで戻って土砂に埋もれてしまったストリッパーの捜索を始める。
「倒せた、んですよね、一応は」
「はい、多分ですけど」
「あたし……こんな、つまらない力しかなくて、血生臭いことを見たり触ったりするのも嫌で、なのに討伐者として駆り出されて、もう死ぬしかないと思っていたんですけど」
良かったです、あなたたちを監視しろと言われて。
そう最後に葵は付け足した。
「異端者を監視するのは『水使い』の仕事なんですか?」
「はい。研究対象ですので。五行に属さない使い手はみんな、『水使い』に監視されていると思ってください。雅さんの監視はあたしに委譲されて…………でも、なんで力足らずなあたしに委譲なんてされたんでしょう?」
首を傾げる葵に雅は同じく首を傾げて答えることしかできない。『水使い』と査定所の内情など知る由もない。ディルならば少しは知っているかとも思ったが、訊いたところできっと喋ってもくれないだろう。それどころか「そんなことも知らないのか、クソガキ」と煽られてしまいそうだ。
「ここから臭いがする。引っ張り出すけど、良い?」
「ああ。でも上半身は喰うなよ。喰って良いのは心臓を引き抜いてからだ」
二人の声に、揃って顔を上げる。
「ところで、ディルさんとリィさんはなんの話をしていらっしゃるんですか?」
「あー…………この光景を見たら、葵さんも同罪になっちゃいますけど、どうします?」
「どうするって、もう決めたことですから覚悟はできています」
それでも少々、スプラッタが過ぎる。かと言って、黙っておくこともできないだろう。
「見ること全て、事実ですから」
さすがに、あとでディルに脅迫されるかも知れないとまでは言えなかった。
「直下の土を水に変える。あとは潜って噛み付いて引き上げて来い」
「分かった」
ディルが足で土砂を踏み締める。彼の前方の土砂に円状に穴が空き、轟音と共に水が土砂の外へと溢れ出す。その中にリィが飛び込んだ。
「自然災害で引き起こされた土砂崩れなら、こんな危ない真似はできねぇが、これは人工的に起こした土砂崩れだからな。ちょっとぐらいの無茶が通る」
通常、二次災害を考慮して土砂崩れ直後は近付けない。だが、この削れた山肌はもう水分を保有していない。また崩れ出すという気配も感じられない。多少の無茶も通るのだろう。雅も葵も、近付きたくは無いが。
なにはともあれ、死なずに生きることができた。それだけで今は充分である。
ただし、その後の光景を、葵に納得させるには相当の時間を要した。
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男は大量の土砂の上で、大きな舌打ちをした。己の予定を大きく乱されたことに怒りを隠すことができない。
「二等級海魔を核にしようと思ったのが間違いか。それにしても、あそこまで皮を被せてやった苦労も知らないで、こんな、肉塊に成り果ててしまうとはな」
呟き、恐らくはストリッパーの亡骸から零れ出たものであろう臓物を靴でグリグリと踏み付けながら、ヌメリのある笑みを浮かべる。
しかし、その笑顔とは裏腹に男の想定外のことが起こってしまった。予定で使うはずだった海魔が討伐されてしまった以上、男の予定に見合った次の海魔を探さなければならない。
しばらく臓物を踏み続けたのち、男はケタケタと今度は声に出して笑う。
「とっておきの核を見つけられたのは不幸中の幸いだった」
土砂崩れが起きたその轟音に気付き、誰よりも早くここへと男は駆け付けた。自らが核にしようとしていた海魔の行動範囲にこの山道が含まれていたからだ。
結果的にストリッパーは討伐されてしまった。しかし、それ以上のものを男は見つけることができた。見繕うという言葉では失礼すぎるほどの、極上の核がそこには居た。
「レイクハンターも易々と討たれることはないだろう。二等級海魔でまず試してから、アレで本番をとも考えたが、やめだ」
実験は繰り返し行わなければならない。ぶっつけ本番など研究者にはあるまじき行為であるが、実験の材料として用いるべき海魔を殺されてしまったのだ。もはや、男の手元には未だ討伐されずに湖で人を喰らっているレイクハンターしか居ない。しかし、そのレイクハンターも数週間後には協力戦において討伐の憂き目に遭う。
ならばもう、試している余地は無い。
「好都合だ。レイクハンターで試していては、どこに行ってしまうか分かったものじゃない。そんなことになるぐらいなら、必ずそこに居るという確証のある内に、核として選ぼう」
あの『死神』と、実戦経験の少ない使い手二人。
そして、極上の核。
その四人が――男にしてみれば三人と一匹であるが、レイクハンターの協力討伐に向かうことは知っている。即ち、そのときまではあの核はここに確実に滞在し続けているということだ。
「問題は、『死神』か。だが、まごまごして、一緒に町を出られてしまっては元も子もない」
実験にリスクは付き物だ。ならば『死神』の存在も実験に至る際に起こるリスクの一つとして捉えよう。
男はケタケタと笑い続ける。この腐った世界で、新たな実験を成功させ名声を手にする自らを思い描いていると、その崩れた笑いしか出て来なかった。
客観的に見れば人はそれを「壊れている」と捉えるのかも知れない。




