【-生きたいからでは駄目なのか?-】
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体が重い。
日の光が街を照らす頃、誠は民宿に戻った。スペアのカードキーを使って部屋に戻り、まだ眠っているナスタチウムを見て、安堵する。どうにも朝になると唐突に体が重くなる、生活サイクルの乱れも要因なのかも知れないが、その間に“自分らしくもないこと”をやっていると、特に疲れが溜まる。
日が昇るまではそうでもないのだ。夜は誠にとっては活動時間だ。夜行性の動物が居るように、自身もまた夜に活動的になる。それはナスタチウムの酒乱に耐えるために体をよく動かすことが多かったからなのだが、昨日は珍しくその暴力に晒されることがなかった。だから、その代わりに“自分らしくもないこと”をやった。
いわゆる特訓というやつだ。
ナスタチウムにすれば晩から朝、朝から昼間までは誠を鍛える時間で、誠もそれが感覚的に身に付いていた。そして、いくら晩から朝まで自由時間を得ることができたとしても、やれることは酷く限られている。深夜に開いている店なんて碌なところが無い。行ったところで誠なんて客とも思われずに追い返されるだろう。
だから、人目の付かないところで『光』の力を使った特訓を行った。そのことで体が重いというのも不思議な話だ。これでは、ナスタチウムの暴力に晒されていた時の方が楽だったかのようだ。
「夜中にどこをほっつき歩いていた?」
気付けば、ナスタチウムは目を覚ましていた。
「ナスタチウムが気にするようなことはしていません。昨日の夜は、暴力を振るわれなかったので、それだと体が鈍ると思って人目の付かない場所で体を動かしていただけです」
「ほぉ? あの餓鬼に負けたくねぇと思ったのか?」
「違います」
そこだけは強く否定しておく。本当に、意識などしていない。発破も掛けられていない。ただ無為に時間を浪費するのも面倒であっただけ。寝ようとしても眠れなかった。だから体を動かせば眠れるようになるかと思った。けれど、朝になっても眠気が訪れることがなかった。
それだけのことなのだ。
「はっ! 俺にとっちゃ、どっちでも良いがな……餓鬼、酒が無い。買って来い」
「はぁ!?」
素っ頓狂な声を上げてしまった。
「朝はナスタチウムが買って来るじゃないですか。夕方だけですよ、僕がお酒を買いに行くのは!」
「なんだ、餓鬼? 俺に反抗的な態度を取れるほど偉くなったのか、貴様は?」
ああ、怒っている。
誠はナスタチウムから迸る怒りに気付いて、俯く。
「朝は酒場が開いていません」
「そこをなんとかすんのが貴様の仕事だ」
「無茶を言わないでくださいよ」
項垂れながら言うと、ナスタチウムもさすがに自分が無理なことを言っていることに気付いたらしい。
「それに最近、ずっとこの街に僕がお酒を買いに来ているじゃないですか? 街の人に怪しまれているんですよ。二十歳未満でお酒を買っていることがバレたら、出禁になって、もう買いに行くことさえできなくなります」
「そうなったら強盗でもなんでもやって、酒を手に入れるんだな。酒を飲んでいないときの俺は機嫌が悪い」
酒を飲んでいても機嫌が良いときはないじゃないか。
誠は露骨に嫌そうな顔をしつつ、ナスタチウムから視線を逸らす。
これは殴られるな。そう思っていたところで、室内に呼び鈴の音が鳴り響いた。
「出ろ」
「分かりました」
誠は溜め息混じりに、しかし「殴られずに済んだ」と内心、嬉しく思いつつ覗き穴から来客を確かめる。知らない相手なら開けずに居留守するべきところだが、顔見知りの相手だったので気にせず扉を開けた。
「おはよう」
雅は朝でも変わらずの優雅さと綺麗さを兼ね備えた微笑みで朝の挨拶をして来た。昨日とは違い、黒を基調とした少々、地味な格好だった。誠は「ああ、おはよう」と呟きつつ彼女を部屋に通す。
「なんだぁ、餓鬼? 酒がねぇと俺はやる気もなにも起きねぇんだよ。さっさとどこかに行け」
「昨日、気絶していた私を民宿に送ってくれたから、そのお礼を持って来たんだけど」
雅は徳利をナスタチウムに見せびらかす。
「必要じゃなかった? この民宿で、焼酎を売っていたから買ったんだけど」
「ハッハッハッ!」
ナスタチウムは胡坐を掻いていた自身の大腿部を強く叩きながら大笑いする。
「出来た餓鬼だ。そうだ、俺は『飲んだくれ』だ。これで煙草もあれば、最高なんだがなぁ」
「店員が明らかに私のことを睨んでいたから、そっちは買えなかった」
「それでも酒がありゃぁ、充分だ。よくもまぁ俺が酒を飲みたがることが分かっていたな」
「ネジのぶっ飛んでいた人の傍に居たから、自然と。ナスタチウムはディルと似たところがあるから、大体は分かる。でも一番はディルだけど」
靴を脱ぎ、雅は誠を気にも留めない様子でナスタチウムの元に行き、焼酎入りの徳利を渡した。この少女の要領の良さに関してだけ言えば、自身より一枚も二枚も上手である。ナスタチウムが朝からこれほど機嫌が良いところを誠は見たことがない。
取り入るのが上手い。こういう女の子は、将来、悪女になる。
そう決め付ける。でなければアイデンティティを保つことが難しいからだ。
「西洋の酒も良いが、やはり日本の酒も捨てたもんじゃねぇなぁ」
「アルコール度数が高いと思うから、一気飲みはやめた方が良いと思う。ゆっくり飲めば、それで昼間か、夕方ぐらいまでは持ちそう?」
「ああ。夕方になれば、またそこの餓鬼に買いに行かせれば良いだけだからなぁ」
「僕は使いっぱしりじゃありませんよ」
「だったら、自分の力を信じて海魔を討てるぐらいの度胸を身に付けろってんだ」
誠は拳を作り、唇を震えさせる。
「なんで海魔を討て海魔を討てばっかり言うんですか。僕は、なにかを殺すために討伐者になったわけじゃない。ただ生きたいためだけに討伐者になっただけなんです。細々と、楽をして、それなりに日々を充実させて、そして死ぬ。それが僕の、願望です」
「……サイッテー」
「な、にが最低なんだよ! そう思うことのなにがおかしいんだよ!?」
雅がナスタチウムの傍から離れ、誠に近寄る。
「どんな理由があったとしても、生き残りたいから討伐者になったんだとしても、“なったんなら討伐者としての使命を果たす”。でなきゃ私たちは水もお金もまともに手に入れることができないのよ。いい加減に、そんな幻想から目を覚ますべき。私は、ディルと出会って力尽くで分からされたけど、あなたはまだみたい」
言いながら雅は自身の衣服の汚れや解れ、破れを見せる。
「全部が戦いの爪跡。まぁこれは今日中に得意じゃないけど繕って直すけど。ディルには青痣ができるくらいには鍛えられた。あなたの服は、どこも汚れていないし、どこも破れていないし、それで願望を口にするのはおこがましい。必死に戦って、必死に生きている討伐者だったなら、私も共感したかも知れないけど……あなたは、チキンだからそんな風に生きているようには見えない」
「やめておけ、餓鬼。ディルの餓鬼は貴様以上に死地を越えて生きている。どれだけ歯向かっても、どれだけ反抗しても、貴様じゃ口だけでは勝てやしねぇよ。勝ちたいなら、そいつと一戦、交えることだな」
「……そんなこと、僕はしませんよ」
挑発されても、無意味なことには関わらない。利益も不利益も関係ない。苦労しそうなことからは逃げるだけだ。
雅は誠に幻滅したのか――そもそも期待などされていないのだから、恐らくは呆れたのだろう。大きな溜め息をついた。
「ナスタチウムは、午前十一時前後に時間は空いている?」
「ん、ああ。良い具合に酔っ払っていたら空いているかもなぁ」
「なら、話したいことがある。ディルのことと、あともう一つ。できれば外を歩きながらで。チキンにそれを伝えてもらおうと思ったけど、自分の口で言った方が早そうだからお願いしてみるけど、どう?」
「構わねぇ。貴様からこの部屋に来い。そうしたら、貴様が言いたいことを聞いてやるよ」
「ありがと」
雅はナスタチウムに感謝の言葉を残して、部屋を出て行った。




