【-『光』はあれど、前には歩まず-】
「さすがディルの教え子だ。餓鬼、そいつとそいつが持っていた荷物を民宿まで運べ」
ナスタチウムはリュックサックを背負い直し、誠の持っていた酒瓶を強引に奪い取り、残っていた酒を一気に飲み干した。
「いや、でも」
「女を背負うのは気が引けるとでも言うんじゃねぇだろうな? チキンって呼ばれているテメェに触られるくらい、どうとも思わねぇだろうよ」
誠は不満を感じつつも雅のワンショルダーバッグを抱え、次に彼女の手から零れ落ちていた二本の短剣を拾い上げる。続いて、彼女を背負おうとしたところで、体が勝手に抵抗感を示す。
異性の体に今まで触れたことはない。それどころか、こんなに綺麗な女の子と話したことさえ誠には無いのだ。心臓は大きく脈打ち、体の一部は有無を言わさず反応する。意識を失っている今なら、どこを触ってもバレやしない。そんな汚い感情に脳内が支配されて行く。
くそっ、違う違う違う! 僕はそういう男じゃない!
首を振って妄想を消し去る。誠は雅を背負う。思った以上に彼女の体は軽かった。そして伝わる熱が、感触が、性欲を刺激する。前屈みになるほど重いわけではないが、もたげた性欲がバレないように前屈みで彼女を運ぶ。
嫌だ、こういう自分は。最低で最悪だ。
誠は自身を貶しながらナスタチウムのあとを付いて行き、民宿に入る。ナスタチウムが手続きを済ませ、最初の部屋に雅とその荷物を運んだ。そして二つ目の部屋で誠はナスタチウムと休むことになった。
「女に触れたぐらいで興奮なんかしてんじゃねぇぞ、餓鬼」
「してませんよ」
部屋に入って、しばらくしてからナスタチウムが下世話なことを言って来たので、反抗的に言い返す。しかし、内心では言い当てられて穏やかではいられなかった。まさか異性に触れるだけで自分自身がここまで興奮するなど、信じられなかった。だからこそ、嫌な気持ちになる。
清廉潔白で生きていたい。それが誠の望みなのだ。俗世にまみれた、爛れた日々に身を投じるつもりはない。ただ穏やかに、静かなところで一人、細々とであれ楽に暮らしていたい。それこそが願望だ。そこに異性を加える気はないのだ。
何故なら、絶対に気が合わないから。
誠は自分の性格をよく理解している。日和見主義的で、誰であれ自身の人生を委ねてしまうような危うさを持っている。それがナスタチウムに反感を覚えつつも付き従っている理由でもある。自身が人生を寄り掛からせようものなら、異性はきっと逃げて行く。逃げないのだとしても、あとで後悔される。だから、細々と楽に暮らすなら一人が良いのだ。
「言っておくが、ディルの教え子に手を出せば、テメェのモノを引き千切らせてもらうぞ」
引き千切って生きていられるならそれも構わない。しかし、男性としての象徴を失って、その後の人生に意義を見出せるか定かではないため、やはり問題外だと誠は溜め息をつく。
「随分、御執心なんですね」
「昔に立てた誓いだ。一番反故にしていそうな奴がしていなかった。だから、あの餓鬼についてはしばらく様子見だ」
ナスタチウムはそう言うと、布団も敷かずに畳の上で大の字になって眠りに落ちた。
今日はツイている。
誠は嬉しさのあまりグッと拳を握った。ナスタチウムは眠りに落ちている。これで暴力を振るわれることはない。誠はソーッとカードキーのスペアを座卓から手に取って、ズボンのポケットに突っ込むと、大男を起こさないように部屋を出た。
晩から朝まで暴力に晒されていた誠にとって、夜に眠るのは難しい。だから、これほどの自由時間を有意義に過ごさない手は無い。海魔から逃げることで体は疲れていたが、それでも眠さは全く訪れない。
まるで、僕をずっと戦い続ける兵士に育て上げようとしているみたいだよ。
誠は自身の生活サイクルのおかしさに、思わず笑いが込み上げてしまう。それを声にしないように気を付けつつ、民宿を出た。
「あ……」
思わず、声が出る。
外の空気を吸いにでも出ていたのか、雅が民宿の近くの壁に身を寄り掛からせていた。そして彼女は誠を一瞥すると、すぐに視線を逸らした。興味など皆無だとでも言いたげな仕草に、苛々が募る。
「なんだよ、その態度」
「チキンに興味は無いから」
「そのチキンに民宿まで運ばれたのはどこのどいつなのさ?」
雅は誠を睨んだのち、深い溜め息をつく。
「どうもありがとうございました」
「助けてもらった人がする態度じゃない」
「あなただって、私に助けてもらったクセにお礼も言わなかったじゃない」
だからこれで良いの、と雅は言って髪を梳く。少々、癖っ毛ではあるものの綺麗に纏められているその艶やかな黒の輝きに、しばし見惚れてしまう。
「あれだけ蹴られて、よくまだ動く気になれるね?」
「鍛えているから。意識を失うのも慣れて、いる……かな? なんだか、行った先で海魔と戦う度に、なにかしらの理由で気絶しているし」
「吐くのは?」
「それも慣れてる。でも、蹴られて吐いたのは久し振り。世の中にはとんでもない芳香を漂わせて吐き気を催させるような人も居るから」
そこまで言って、雅はまた左手首に付けている腕時計を右手で撫でる。
「それは」
誠は、一呼吸置いた。
「大切な人からの贈り物?」
「……うん。これが壊れてなくて、良かった」
雅の顔は、切なそうで、それでいてまるでどこに居るかも分からない誰かを想っているような、そういう顔をする。
誠の中で熱が冷めて行く。既にこの子は別の誰かに恋焦がれている。それも、自分ではきっと敵わない相手にだ。
逆に、そのおかげで気持ちが落ち着いたところもあった。妙な安心感に促されるまま、誠は胸を撫で下ろす。
「ナスタチウムには手も足も出なかった。一撃ぐらいは入れる気だったのに」
「僕は君の、蹴られても苦にも止めていない感じに驚きだよ」
「だからあなたはチキンなの」
また罵られる。もう幾らでも罵れと誠は白旗を揚げた。
「一応、訊いておくけど……あなたの変質の力はなに?」
「僕は『光』だよ」
「……『光』? じゃぁ、“異端者”?」
目をパチクリして雅は驚いて見せる。こんな表情もするのかと、誠も驚いていた。
「そんな驚くものじゃないよ。ただ光を集めて、剣みたいに振り回せるだけ。光の熱で切り裂くんだ」
「そんな力があるのに、どうして逃げたりするわけ?」
私には分からない、と雅は付け足して遠くを眺めた。
「その力、夜でも使えるの?」
「光の無いところなんて、あると思う?」
誠はずっと頭に乗せていたサングラスを掛ける。
「ただのカッコ付けでサングラスを乗っけていたわけじゃなかったんだ?」
「周囲の人はそれほど眩しくないらしいんだけど、僕はこの力を使うと眩しくてたまらないんだ。それで、仕方無くサングラスを掛けることになった」
言いながら誠は太陽によって照らされる月と光星から地上に届く光に干渉し、手元に光と熱で集めた眩しく輝く剣のようなものを作り出す。
「……へぇ? 確かに私はそれほど眩しくは見えない。ネオンの看板ぐらいの眩しさね」
「だろ? でも僕には目を向けられないほどに眩しい光の輝きなんだ。下手をすれば目を焼くぐらいにね。だからサングラスを掛けざるを得ない」
言いつつ、軽く振ってみる。光は振られた分だけ軌跡を描く。光は音速を超える。だから振って先端が遅れるような現象は起こらない。振ればすぐにその箇所まで光が奔る。
「月の光と星の光、太陽の光を変質させてこれが作れる。ナスタチウムはこれを作って戦わせることしか教えてくれないけど」
「これ以上ない武器を作ることができるなら、あとは体術とそれを扱えるだけの剣術さえあれば、それだけで充分でしょ」
「僕は“五行”の力が羨ましいよ。武器が無くても戦えるんだから」
「それは、違うよ。“五行”の力を持っていたって、物体に干渉できたって、海魔を打倒するためには武器が必要になる。あなたはその武器を失わない。幾らでも作り出せる。でも私たちは、武器を落としたら海魔に決定打を与えられなくなる」
雅は両腰に提げている鞘に収まった短剣の柄に触れながら呟く。
「あなた、ナスタチウムに相当鍛えられているんでしょ?」
「鍛えられているというより、あれはもう暴力だよ。信じられないほどの暴力」
「ふぅん、でも力の扱い方や体術は教わっているんでしょ? だったら私と手合わせしてくれない? 私、とにかく強さが欲しいから」
「それは…………できない」
「どうして?」
「どうしてって、僕はチキンだからだよ。武器を持った人を相手にすると、怖くて動けなくなる。海魔と対峙したときだって、逃げ出せたのか奇跡なくらいさ。震えて足も動かなくなるものだと思っていたからね」
なにより争い事は嫌いだ。
そんなものからはのらりくらりと避け続ける人生を送って来た。使用人が家具を売り払っても、使用人が夜逃げしても、豪邸を売り払われても、そして自身を捨てられても、それについて抗議もしなかった。抗議するだけの知識が無かったとも言えるが、そういった一切のことから目を逸らしていたのは紛れもない事実なのだ。乞食になって過ごしていたときも、子供同士で縄張り争いがあったが、自身は暴言を吐かれればすぐに引き下がって別の場所へと移った。そうやって、この歳になっても争い事から逃げている。
「そう、なら仕方無い。その代わり、少し協力してくれる?」
「協力?」
「ナスタチウムに鍛冶屋の場所を教えてもらいたいの。あとmあの人に伝えておきたいこともある。あなた、拾われてからずっと一緒なんでしょ? だったら、私よりもあなたの方が言うことを利いてくれそうだし」
「ははっ、良いよ。でも期待はしないでよ。僕はただの使いっぱしりみたいなもんなんだ。僕はあの男を尊敬なんてしていないし、あの男も僕を大事になんて思っちゃくれていないから」
誠は呆れ口調で自身を卑下する。
「あなたとナスタチウムの関係が良好なのかそうじゃないのかなんて分からないけど」
雅は明らかに誠を見下すような目で睨む。
「私がナスタチウムだったら、腹立たしくなる。それだけの素質と力を持っていながら、人に貢献することができていないことに、ただただムカつく」
誠はなにも言い返せない。そして雅はなにも言い返して来ない自分に呆れてしまったようで、「それじゃ」と言い残して、民宿に戻って行った。
あれだけ強い力と精神力を持っていながら、夜道は歩かない。そこに微かな異性の感覚が残っていることに誠は驚くも、それ以上に雅の言葉が辛辣で、痛かった。
恐らく、歳はそんなに離れていない。なのに自分よりも達観している。そして、こんな世界の中でも、戦って生きることを選び取り、諦めていない。
自分はただ、戦わずに生きることを選んでいるだけで、戦うこと自体を諦めている節がある。それをきっと雅は見抜いただろう。
「素質と力って言ったって」
言いながら光の剣を周囲に人が居ないことを確かめたあと、乱雑に振るう。
「あんな化け物と戦える度胸なんて、持てないよ」
ブンブンと軽やかに光の剣を振り回し、ある程度満足したあと誠はそれを霧散させる。サングラスを外して頭に乗せ、眠気の来ない自身に溜め息をつきつつ夜道を歩いて行った。




