【-激痛で学ぶ-】
「なぁ、餓鬼よ。テメェは特段、俺に会いに来たわけじゃねぇんだろ? 目を見れば分かる。強い目的意識を持った目だ。なにをしに来た?」
酒場へと向かう道中、ナスタチウムが牽制とばかりに雅に訊ねる。しかし、雅は大男から発せられる威圧感や荘厳な雰囲気には動じない。
「ディルに言われたの。あなたの住んでいる近くに鍛冶屋があるって」
「住んでいるというよりも、ずっと野宿をしていたようなものですけど」
誠は唇を尖らせながら、そう愚痴を零した。
「……とにかく、あなたが居るということはこの街の鍛冶屋ってことで間違いない?」
雅は誠を一瞥したのち、すぐにナスタチウムへと視線を戻す。
「そうさなぁ、最近はこの辺りでずっと酔っ払っていたからなぁ。ディルが言うんなら間違いねぇだろうよ」
「でも、ディルはどうしてあなたの居場所を知っていたのかな」
「ああ、それは俺が……」
そこでナスタチウムが言葉を止めた。
「餓鬼に危うく大事なことを喋っちまうところだったなぁ。このことは言っちゃならねぇ。だが、ディルは俺のことを『飲んだくれ』と言いながらよく知っていやがる。当然、この街についても知っていただろうよ。ただそれだけだ」
雅はボソりと「ここも、訳有りってことね」と呟いたのを誠は聞き逃さなかった。だが、弱気な誠にはその言葉の真意を訊ねることはできなかった。
三人は酒場に行き、雅がナスタチウムにお金を渡す。その全額で手に入れることのできる一番美味しい酒を受け取って、酒場をあとにした。
「あなたたちは民宿に泊まるの?」
「テメェが街中を引っ掻き回すだろうと踏んで、野宿はやめた。外野にここを引っ掻き回されたくはねぇんだよ」
「……いわゆる監視役みたいなもの、か」
「そんなところだな」
誠はなにも言わず、二人のあとを付いて行く。人気の無い広場のようなところに出た。時刻は酒場にあった時計で見たときには六時を回っていた。この時間帯に、この場所でたむろするような元気は、この街の人々には無い。
雅はワンショルダーバッグを肩から外し、近場に生えていた木の根元に置いた。それから腰元にあるウエストポーチのベルトを緩ませてから締め直し、体を慣らすためか柔軟を始める。
「武器と変質は使って良いの?」
「ああ。餓鬼に一撃を入れられるような軟い討伐者じゃねぇよ、俺は。あの首都防衛戦の生き残りだぜ?」
「私も、一撃なんて入れられるとは思ってない。ディルにも入れられなかったし、きっと無理だと思うけど、一応の確認って必要でしょ?」
「ああ、良い心構えだ。訓練で人殺しをしないための最低限度の確認作業は、なによりも重要だ。まぁ俺の場合は、酒に酔い潰れて……間違って殺すことだってあるかも知れねぇのが、困ったところなんだがなぁ」
「それを困ったところと言える辺りはまだ安心できる。間違って殺しちまったら悪いな、とか言われたらこの訓練はやめようと思ってた」
「良いねぇ、良いねぇ。よく分かっていやがる餓鬼だ。だから、痛め付けるのが、とても楽しみだなぁ! 言っておくが、俺は餓鬼に力を使うほど脳味噌は腐ってねぇからなぁ! 自由に掛かって来い!」
酒を浴びるように飲み、残りを訓練後に飲めるように、酒瓶を誠に投げて寄越した。そして、背負っていた大きなリュックサックから薄黄色の外套を取り出して身に纏い、続いてリュックサックを放り出して、身軽さを得る。
「割らねぇようにちゃんと持っていろよ」
「……分かりました」
誠は肯き、広場から離れる。
雅とナスタチウムが一定の距離を取る。そこで雅は二本の短剣を抜いて身構え、ナスタチウムは誠がいつも見るような、酒に酔い潰れてフラフラとしている。あれは別に身構えているのではなく、本当に酔い潰れてフラフラなのである。だからといって、そこに隙があるわけではない。それは誠が一番よく知っている。
「おい餓鬼、合図を寄越せ」
「『よーい、ドン』でもなんでも良いから」
誠は自分に言われているのだと気付いて、二人の見える位置に行き、大きく息を吸った。
「よーい…………ドン!!」
「溜めはいらない!」
雅の激が飛び、誠は理不尽だと思いながらやや後退する。しかし、その後退している内に、もう雅は誠の傍を駆け抜けていた。二人の作った距離の中央から声を発したつもりだ。なのに数秒も経たずに、近くを駆け抜けた。これだけで彼女が合図とした掛け声に素早く反応したのがよく分かった。
そして、素早くも華麗な足運び。ぎこちなさを誠は僅かに感じるが、それでも自身に比べたら天と地ほどの差がある。右に左にブレながら、ジグザグに走って雅がナスタチウムの懐まで詰め寄る。
刹那、ナスタチウムが唸り声を上げながら拳で懐に入り込んだ雅を叩き付けようとした。それをすぐさま察知して、彼女が地面を強く蹴ってナスタチウムの右に跳ぶ。着地後、すぐに体勢を整えると、こんどは脇腹付近を狙って雅が駆ける。
お見通しとばかりにナスタチウムは薄気味の悪い笑みを浮かべながら右の拳を力強く振り回す。その打撃から逃れるために雅は屈む。拳は彼女の頭上を抜けるだけだ。
身長差を利用した回避方法。拳が横に振られると分かっての、咄嗟の反応なのだとしても、戦い慣れしていなければまずそんな英断は下せないだろう。誠だったならば、今の一撃をかわすか受け止めるか悩んでいる内に喰らっていたに違いない。
屈んだ体をすぐに起こして、雅が右の逆手に持っている短剣を真上に切り上げる。ナスタチウムが身を逸らして、それを回避する。
そう、ナスタチウムは体格が大きくとも、ギリギリで避けるんだ。
酔い潰れていても重心をしっかりと把握している。フラ付きながらも寸前で避けるだけの見切りの感覚をしっかりと持ち合わせている。だから誠は何度も殴られ、何度も蹴られ、その度に痛い思いをするのだ。
雅は僅かに笑みを零している。それが誠には理解できない。なんであんなに楽しそうなのかと、訊きたいくらいだった。
切り上げを避けたナスタチウムが雅の脇腹を狙って足を回して、蹴りを繰り出す。彼女の体に触れる寸前、その足が逆方向へと弾かれた。
「また、風圧だ」
誠はボヤく。
ナスタチウムは弾かれた足を地面に着けて、踏みとどまる。
「そのまま吹き飛ばすはずだったのに」
「驚いたがなぁ、さすがにそう簡単に飛ばされる体躯でも筋肉でも無いんでねぇ!!」
左の拳が雅に襲い掛かる。彼女は剣身の平で拳を受け、そして流した。殴り飛ばされはせず、そこに留まっている。
「ほぉ? 伊達に生き残ってねぇなぁ!」
「ちょっと前に、受け流す戦いを学んだばっかりなの」
会話を交わしながら、雅とナスタチウムが剣戟と拳を繰り出し続ける。避けては打ち込み、避けては剣戟を放つ。互いに互いの動きを把握しているわけではないため、その歯車は全くと言って良いほどに噛み合っていないのだが、どういうわけか一発も互いに当たらない。当たらない上に、当てられない。
雅への蹴りは風圧が弾き、そして拳は短剣の平で受け流す。雅の剣戟をナスタチウムは重心を上手く移動させて避けている。
力も使わずに見切られていることに、雅は少し焦りの色を見せていた。
「どうしたどうしたどうしたぁ!? スタミナが足りないか!? これだけやり合うだけの気力はあっても、体力がままならねぇか!?」
徐々に受け流すタイミングがズレ始めている。そして蹴りを風圧で弾く力も弱まりつつある。それでも雅は引き下がらない。拳や蹴りを避けるためにステップを踏むように左右に跳躍はするが、決して逃げ腰にはならない。
「っぁああああ!」
そして、自らを奮い立てるために大声を上げて、ナスタチウムへと剣戟を繰り出し続ける。ナスタチウムはその様が心底、滑稽でしかし心底、楽しいのか薄気味の悪い笑みをずっと作り続けている。
「限界だなぁ、餓鬼!」
不意に訪れた雅の僅かな隙。そこをナスタチウムは見逃さない。恐らくは彼女の力であろう、風圧を展開させるタイミングが大きくズレた。蹴りは風圧に邪魔されることなく、彼女の脇腹に鋭く入った。
雅の体がそのまま蹴り飛ばされ、地面を跳ねる。しかし跳ねて転がりつつも雅はすぐさま体勢を整えて、立ち上がる。
「っぁぐ……」
だが脇腹への一撃は強烈だったらしく、顔を歪めて膝を折った。
「凡人より上ってところだな。だが、餓鬼で凡人より上は褒め言葉と思えよ? 体術も、剣術も、足運びも、直前の決断力も、餓鬼には勿体無ぇくらいの産物だ。やや体力が劣るか? どれもこれもまだ磨けば光りそうな代物だな。俺の餓鬼もそれなりだが、ディルも良い餓鬼を拾ったもんだ」
「まだ……駄目、か」
「そう急ぐな、餓鬼」
言いながらナスタチウムが膝を折って立てないでいる雅の腹を蹴った。力無く雅は広場に転がる。
「ちょっ! やり過ぎじゃないですか!?」
「止めんなよ、餓鬼! コイツは今、死に体だ。分かるか? 生かすも殺すも俺次第ってぇことだ! だがなぁ、人間で良かったとコイツは思っているはずだぜ?! 何故なら、俺が海魔だったなら、ここでコイツを喰っているからだ!」
雅はゲホッと咳き込み、その場で激しく嘔吐する。しかし、瞳は全く曇らない。むしろ、その瞳は体に受けた痛みによる学習をしようとしている。
「ディルより容赦が……無い」
「ああん? 俺をディルみてぇなガキと一緒にするんじゃねぇ。これでも、それなりの歳だ。残りの四人よりも貫禄ってもんが出てんだよ」
「ふ……ふふふ。あ、御免なさい。思わず笑ってしまったわ。笑った分の一撃は勿論、あるのよね?」
「当然だ」
雅を再びナスタチウムが蹴り飛ばした。
「もうやめてください!」
「はっ? やめねぇよ。合図しかしてねぇ餓鬼が審判のように俺に指図するんじゃねぇ」
雅はぜぇぜぇと荒い息を立てて呼吸はしているが、もう立ち上がる力が残っていないらしい。
「このままだと殺しちゃいますよ!?」
「馬鹿にしないで」
雅が倒れたまま言葉を零す。
「こんなことぐらいで、死ぬわけないでしょ。痛みは強さに至るために必要なものなの。苦しくて、痛くて、逃げ出したい自分の腐った根性を、叩き込まれた痛みが引き戻してくれる。そりゃ痛いのは大嫌いだけど、死ぬのはもっと、嫌だから」
ナスタチウムがヨロヨロと千鳥足で雅に近寄る。
「その度胸と覚悟に免じて、あと一発でやめてやる。どうだぁ? その一発で死にそうか? 死にそうならやめてやるがぁ?」
「死なないわ。海魔以外で私、命を落とす気なんて無いから」
ナスタチウムは起き上がれない雅を力強く蹴り飛ばした。近場の木に体を打ち付けて、雅はピクピクと筋肉が痙攣はしているものの、全く起き上がる気配は見られなかった。しかし、呼吸のためか体は上下している。
どうやら本当に生きているらしい。
それでも誠には、ナスタチウムと雅の繰り広げた根性論は、やはり分からなかった。




