【-『飲んだくれ』のナスタチウム-】
「向かいながらで構わねぇが、テメェに幾つか質問をしても良いか?」
査定所から出て行った少女にナスタチウムが声を掛ける。誠は二人のあとを追う。
「なに?」
「まず、テメェの名前だ。そして、一人で三等級海魔を倒したってぇことは、誰かから指導を受けていたはずだ。それを教えてもらおうか。なに、その程度の情報でテメェの弱みを握ることなんてできねぇよ。関わってしまった以上、名前を明かすのが筋ってもんだろ」
いつの間にかナスタチウムの酔いは覚めていた。面白い相手を見つけた。それだけで、酔いが吹っ飛んだのだろう。だとすれば、日々、酔いの暴力に苦しめられている誠はつまらない相手であるということなのだ。
よけいに劣等感が大きくなる。
「名前は……雪雛 雅」
少女が足を止めて、ナスタチウムに向き直って自己紹介をする。
「指導を受けていた――師事をしていたのは、ディル」
瞬間、ナスタチウムは少女の――雅の胸倉を掴んで持ち上げていた。
「おい、テメェ。ふざけんのも大概にしろよ、ああ?!」
「ふざけてなんか、いない!」
「ディルの知り合いだぁ? あの男は貴様のような餓鬼の面倒を見るような性格なんざしてねぇよ! はっ、“死神”の知り合いを騙るなんざ、百年も二百年も早ぇんだよ、餓鬼が!!」
威圧感のあるナスタチウムの怒声が街中に轟く。
さすがの彼女も、怯えただろう。
誠はそう思いつつ、彼女の表情を探る。
「私は間違いなくディルに師事をしていた討伐者よ。誰にもそれを否定なんてさせない。ディルに言われてここに来た。ここには『飲んだくれ』が居るって聞いたから。強い酒の臭いを漂わせているあなたが、その『飲んだくれ』だと思ったんだけど…………ディルと聞いて、それだけ怒るんなら、間違いなくそうなのね?」
しかし、雅は変わらず動じてはいなかった。むしろ、喰い入るようにナスタチウムの動向を観察していた。これからどう動くのか、足を動かして自らを傷付けるのか、それとも腕で殴りに来るのか。一挙手一投足を観察するその鋭い視線が、大男の全身を捉えるために目まぐるしく動いていた。
「ハッ……ハッハッハッハッハッ!」
ナスタチウムが雅を解放する。彼女は地面に降りたのち、すぐに距離を取った。
「『飲んだくれ』か。ああ、確かに奴らに俺はそう呼ばれていた。で、『飲んだくれ』の名前を奴は言っていたか?」
「言っていないわ。ケッパーからは聞いている。あなたの名前はナスタチウム。違う?」
「当たりだ、餓鬼」
ナスタチウムが体から力を抜いたことを察し、雅もまた構えを解いていた。大男がなにかしらの攻撃的な動作を取ったなら、短剣を引き抜いて応戦していたのだろう。
「良いぜ、餓鬼。テメェは面白い。信じてやる。ディルに師事してたってのが当然ってくれぇの業突く張りだからなぁ。俺も相当な業突く張りで、奴とはよく金の話で揉めたこともあった。だから、よぅく分かる」
「私も、あなたがナスタチウムだということを信じる。口調がディルに近いから」
「そりゃそうだ。奴は俺の口調を真似たんだからなぁ。が、本家本元はもっと凶暴ってことを忘れんじゃねぇぞ、餓鬼。まぁ、ディルの息が掛かっている餓鬼をズタボロにしたら、そりゃ怖ろしいことが起こりそうなんでなぁ、素直に言った通り、銀行で金を出してテメェに支払うことにしよう」
「そう? だったら私はそのお金であなたにお酒を奢るわ。私は飲めないけど」
「分かってんじゃねぇか、餓鬼。俺の連れている餓鬼とは大違いだ。やっぱ教育の仕方が一味も二味も違ったんだろうなぁ。ハッハッハッハッ!」
いつの間にか二人は意気投合している。雅の瞳からも怒りの炎は消えて、悲しげな色は見せつつもどこかホッとしているような、そんな雰囲気が感じ取れた。
「教育の仕方? 蹴られたり、殴られたりはしたけれど」
「ほぉ、じゃぁ間違ってはねぇみたいだなぁ。足りねぇのは、覚悟だけか。ハッハッハッハッ! 女より男の方が覚悟がねぇなんて、こんな悲しいことがあるか、オイ!」
チラッとナスタチウムは誠を見て、話を振る。
「僕には分かりません。どうして意気投合したのかも、ディルという人がそういう人なのかも分かりません」
「この餓鬼も一応は討伐者なんだがなぁ。素質はあると俺は思っている。だが、実戦経験に乏しい。まぁ、テメェは苛々するだろうが勘弁してやってくれ」
「でも、海魔を前にして逃げ出したチキンだから」
「そんな風に僕を呼ぶなよ!」
さすがに鶏冠に来て、誠は強く抗議した。雅はしばし目をパチクリとさせたあと、誠に近付いて行く。
「ならどうして逃げたの?」
「だから生きるために逃げたんだ」
「あなたが逃げたら、別の誰かが死ぬかも知れない」
「そんなの、僕が生きているんだからどうだって良い」
「どうだって良い? あなたには力があるんでしょ? ナスタチウムも素質はあるって言っている。生き残りの一人にそう言われているんだから、自信を持って戦えるはずなのに」
「僕は、生きていたいから、討伐者になっただけなんだ」
不快そうに雅は目を細める。
「討伐者として生きていたいなら、海魔を討つ以外に無い。私はディルに会う前から、そう考えている。だって海魔を討つ以外に討伐者には報酬も水も与えられることはないから。でも、あなたの言いたいことも分かる。一日一日精一杯に生き残って、最低限の水と食事にさえありつければそれで良い。私も、一人のときはそうだった」
今もまた一人になったけれど、と少女は付け足して視線を逸らす。
「けれど、一人のときでも海魔から逃げたことは一度だって無い。勝てない、負ける、死ぬ、そういう時は、体が竦んで動かなかった。でも、立ち向かおうとは努力した。もしあのとき死んでいたら、とはよく考える。考えるたびに怖くなる。でも、同い年の葵さんは私と一緒に戦ってくれた。そして、クラスメイトを傷付けないようにと海魔と必死に戦った。楓ちゃんだってリザードマンに臆することなく挑んだ。その楓ちゃんは、あなたよりも年下で、私よりも年下の女の子。分かる? あなただけが、挑んでない。あなただけが立ち向かっていないの。だからチキンって私は呼ぶ。呼ばれたくなかったら、挑むだけの勇気を持って」
誠は魂を抜き取られたかのように力無く、へたれ込む。雅はその様を見て、やはり不快そうに目を細めたのち、踵を返した。
「本当に素質があるの?」
「ああ、確かにある。テメェを負かすぐらいの素質は持っている。如何せん、度胸と覚悟が付いて来ていないのが欠点だ」
ナスタチウムはなにも言い返さない。それは雅が言っていることが正論だと誠に告げているかのようだった。
「ところで餓鬼。酒を飲んだあとにでも、一つ、殴り合うか?」
「訓練みたいなもの? ディルみたいにあなたも人は殺さない?」
「当たり前だ。人殺しをしないことは俺たちの間で誓わされたことだ。まぁ、惨憺たる光景を目の当たりにして生き残ったあとで、どうして人を殺せるんだって話でもあるんだがなぁ」
「だったらお願いします。けれど顔を殴るのと骨を折るのは勘弁して。私、これでも女の子だから顔は腫れて欲しくない。骨もヒビを入れる程度なら、耐えられるけど折られると長い間、入院しなきゃならないから」
「ハッハッハッハッ!! ディルの野郎はとことん鬼畜だったようだなぁ! この俺よりも厳しいじゃねぇか、オイ」
顔を殴ることと骨を折るのは勘弁。それではまるで、骨にヒビが入るくらいの痛みを受けたこともあり、そして顔以外のあらゆるところに暴力を叩き込まれたかのような言い方だ。なのに彼女は「ディル」と口にする度に、どこか嬉しそうな顔をする。まるでそう呼ぶことがとても心地良いかのように。
……なにを血迷っているんだ、僕は。
誠は雅の容姿に、そしてその内に秘められている闘志に惹かれていた。しかし、あれほど罵られたのだ。幾ら惹かれようが、この少女は悪女か毒舌家に決まっている。そんな相手に恋焦がれることは、自身がまるでそういった、いわゆるマゾヒストであるかのようだ。
断じてそうではない。誠はただ生きるために痛みにも罵声にも耐えているだけであって、それらはできることならば自身の体にぶつけられたくも、浴びせられたくもないものだ。
ナスタチウムと訓練をすれば、僕がどのような胸中に居るか分かるはずだ。そうすれば、この子も僕に共感してくれるに違いない。
誠は拳を作り、込み上げる苛立ちや怒りを鎮める。
「早く銀行に行ったらどうですか?」
興味無さ気に誠は言って、雅は「それもそうね」と答えた。二人のあとを追って、ナスタチウムが銀行から金を降ろし、それを彼女が自身の口座に幾らか振り込む。そして残りを大男の酒代とするために酒場を目指す。




