【-切った感触-】
「さっきの、上手く行きましたよね」
楓が雅に囁くような声を発する。
「え?」
「私が突貫して、雅さんが弾いてくれて。そりゃ、私の攻撃は効きませんでしたし、雅さんの力も把握されてしまいましたけど、なにも言わずにあそこまでできましたよね」
「う、ん」
「私たち、上手く纏まっています。引き続き、同じ感じで頑張って行きましょう。けれど、雅さんにも多少、前線に出てもらう必要はありますけど」
楓はめげていない。むしろ、先ほどのことをプラスに捉えている。その思考に雅は幾分か救われた。
嫌な汗はすぐに出なくなった。窮屈になった心がゆったりと余裕を抱く。
「鱗の無い箇所を狙って、切ることができなかったってことは胸筋と腹筋が尋常じゃないってこと。でも、傷付けられないほど硬い筋肉なんてあるわけない。鱗だって、剥げないわけじゃない」
むしろ鱗は狙い目でもある。鱗の走る方向とは逆に短剣を滑らせれば、魚であれば硬くとも剥ぎ取れる。剥ぎ取ったあとに残るのは、柔らかい肉質だけだ。
全身を鎧に包んでいるようであっても、本物の鎧を身に纏っているわけではない。鎧のように硬くとも、鎧ではない。生物的な硬さならば、人間の作った物で切れないわけがない。
雅は意識を集中させる。楓が走った。だから雅も合わせて走る。
「軽ヤカに動き回る討伐者ダ。しかし」
ブンッと前面を石鎗が大きく薙いだ。雅と楓の進行がたったそれだけで阻まれてしまう。石鎗が持つ圧倒的なリーチ。ディルが斧鎗を持っていたとき、あれほど頼りになっていたリーチであるが、敵側がそれほどのリーチを有しているとなると厄介なことこの上ない。
「軌道はなんとなく分かりました」
それでも楓はめげない。そして、「なんとなく」を確かめるかのように再度、駆け出した。雅にはまだ軌道が確認できていない。しかし、一人で走らせるとリザードマンの石鎗は楓に集中してしまう。
再びあの、楓が「なんとなく」理解した薙ぐ一撃を誘わなければならない。危険を承知で雅もリザードマンに突貫する。
右に、左に、ジグザグに動いて強く地面を蹴る。するとリザードマンが石鎗に力を込めて、先ほどとは逆側から薙いで来る。雅はここで地面を蹴り直し、後方に跳ぶ。しかし、楓は前方に高く跳躍して石鎗を飛び越えた。それをサポートするために雅が右手で基準を指差し、空気を変質させる。
薙いだ石鎗はそのまま跳躍している楓に向かって振り直されていたが、雅の作った空気の変質を嗅ぎ分けたリザードマンは、そこに触れるのを嫌った。だからこそ隙が出来た。着地した楓が懐に入り、身を回し、遠心力を加えて短剣を鉄棍に変質させ、彼の者の側面に叩き付けた。
剣戟が駄目ならまずは打撃で手応えがあるかを確かめるのだ。
雅には打撃を与える手段が無いため、失念していたものの、それも一つの答えだ。どれだけ硬い鱗に包まれていても、打撃は内部に衝撃が行く。たとえ一発が弱くとも、二撃、三撃と加えて行けば剣戟と同等にダメージは蓄積されるはずだ。
「なるホド、やはり、若クとも討伐者か」
リザードマンは左腕で鉄棍を受け止めている。そしてギョロリと黄色の三白眼を動かし、楓を捕らえようと腕を動かす。しかしその緩慢な動きに楓は捕まらず、すぐさま雅の元へと跳ねながら戻って来た。
「頭部に入れられればなぁ。サポートありがとうございました」
「ううん、私にはあの石鎗を跳んでかわすことはできないから」
「なんかこう、空気を肌で感じてブワッと来たときにズワッと跳ねるみたいな」
「分かんない」
擬音混じりでよけいに頭が混乱してしまう。理屈で考える雅にはあれはできない。ならば、頭を空っぽにすれば楓のように避けられるだろうか。
いや、あれは雅のアシストがあってこその成功だ。そして、このリザードマンは一つ一つを学習している。次に雅が跳ねて、楓が武器でアシストして懐に入り込んでも、それを超越して彼の者は雅に一撃を加えて来る可能性が高い。
そして、海魔の一撃はほぼ確実に死に至る。ヒトガタワラシの一撃を貰ったときに雅はそう悟っている。
「若キ討伐者よ、血が滾るではないカ。さぁ、存分に殺シ合おウ!」
威嚇のような呼吸音を発したのち、尾を激しく地面に打ち付けて、それから尋常ならざる膂力でリザードマンが跳ね、天井に尾を叩き付けて張り付いた。
雅と楓が左右に分かれて、まず狙いをどちらかに絞らせる。
リザードマンは楓よりも雅に狙いを定めた。恐らくは、空気の変質を厄介と捉えて、打撃を加えた楓よりも雅を警戒しているのだ。
反射の風圧は、まだ残ってるから。
雅はリザードマンの位置を把握しながら自身が変質させた空気の近場まで駆け出す。
「捉エタ!」
尾が天井を叩いて、リザードマンが石鎗を持って、急降下する。速い。雅は全力で前に走り、そして嫌な予感がして前面へと転がり込んだ。彼の者は、ほぼ雅の居たところへと着地と同時に石鎗を地面に突き立てていた。死なずに済んだこのアドバンテージは大きい。そしてリザードマンは変質した空気のすぐ傍に居る。
白の短剣を迷わず、空気に向かって投擲する。空気に触れ、風圧で角度を変え、更に投げられたときの勢いをそのままに彼の者の頭部へと急襲する。
腕で白の短剣をリザードマンは弾く。雅は弾かれた短剣の元へと素早く走り、すぐさまそれを手に取る。
投げた程度の反射じゃ、貫けない。加速に加速を重ねた一撃じゃないと駄目か。でもそれは、この空洞を壊しかねない……。
短剣を手に取った瞬間、リザードマンが後方から大きな音を立てながら走り、石鎗を振り上げる。振り上げたところで、楓の投擲した鎖鎌の分銅が絡み付き、その行動を束縛する。しかし、リザードマンは鎖ごと石鎗を振り下ろした。雅は辛うじて避けることができたが、その膂力によって引き寄せられた楓は防御の体勢が取れていない。
鎖鎌を短剣に戻しているが、このままではリザードマンの腕で殴られてしまう。
「させない!」
雅はバランスを崩しながらも無理やり踵を返し、右手で基点を指差す。楓の体が変質した空気に接触。風圧によって、彼の者とは逆に吹き飛ぶ。そして楓は宙で姿勢を整えて、地面に着地する。
「ふむ……これホド、手で掴めン討伐者も珍しイ。跳ねて、避けて、かわし続ける、か。しかしな、若キ討伐者よ」
石鎗が地面を擦りながら切り上げられる。ただの牽制だが、気圧されてしまう。それを知ってか、リザードマンは石鎗をおもむろに楓目掛けて投げ付けた。楓は反射的に避け、そして避けた先に彼の者が両手に生やした爪で襲い掛かる。
これは、ディルの誘い方だ。逃げる方向を限定させることで、自身の攻撃を通りやすくする。
この海魔は、手帳の通り、武芸に秀でている。
楓が小刻みに足を動かし、更に軽やかな動きで両手から繰り出される爪を避けてはいるが、攻勢に出られていない。雅は隙ができていると思われるリザードマンの横っ腹目掛けて駆け抜け、体当たりと同時に両手の短剣を突き立てようと試みる。
しかし、体をぶつけるほどの突貫であっても短剣は刺さらない。悔しさに顔を染めつつ、リザードマンの体に沿うように乱暴に短剣を滑らせた。
そのとき、違和感を覚え、呆然とする。
そんな雅にリザードマンが方向を変えて、襲い掛かるが楓が間一髪のところで雅に体をぶつけて、共に地面を転がる形で回避させてもらった。
「どうしたんですか!? ボーっとしていたら!」
「……斬った」
「え?」
「剣戟が、通った」
「そんなはずは」
楓が雅の短剣を眺める。松明の火に照らされて、白の短剣を腐臭の漂う海魔のヘドロのような血が伝う。見る見る内にそれは刃に染み入り、剣身は紅へと染まった。
この短剣は、海魔の血によって紅に染まる。曰く付きの武器屋の主人はそう言っていた。人の血でも起こることなのかも知れないが、今のところは雅の体のどこにも、切り傷や血が伝うような怪我をした箇所は見当たらない。
ならば、この現象が起こるということは、先ほどの剣戟がリザードマンの皮膚を裂いたという事実を示している。
「狙った部位は?」
「腕で止められた」
「じゃぁ、鱗を剥がずに切っ先が僅かでも肉に到達したってことですか? やっぱり、その短剣は異常なんですね。けれど、おかげで突破口が見えて来ました」
鱗すらも越えて、肉に到達できる武器がここにある。鱗を突き抜けるのなら、胸筋や腹筋すらも切り裂くのは容易なはずだ。
問題は、そのことにリザードマンが気付いていること。そして、生半可な策では到底、軟い部分を切り裂くなどということはできないということだ。前者は彼の者が学習し、雅の今や紅の短剣となっているそれを危険視して行動するようになり、後者はそもそも自身の弱点だと気付いている胸部と腹部を守る動きを常々に取っているはずだ。
攻略の糸口は見えても、すぐにそれを塞がれてしまう。迷宮に迷い込み、一筋の光明が見えても、すぐにまた迷ってしまうような、そんな感覚である。
なにより、リザードマンは紅の剣身へと変貌を遂げた雅の短剣を見つめて、なにやら怒気を孕んでいる気配があった。




