【-リザードマン-】
岩は空洞の中央ではなく、左寄りに落ちた。つまり、この空洞にはまだ充分に動き回れる広さがある。しかしながら、その動ける範囲は岩肌を自在に動けるリザードマンには敵わない。
「さすがに五人ヲ相手取ルのは分が悪いノデナ。分断サセザルヲ得なカッタ。この非礼をまず、謝ろう」
言いながらリザードマンが天井と岩肌を自在に跳ねて、雅たちの前方に立つ。続いて木の棒に自らの舌から垂れる唾液を絡ませ、石の鎗で火花を散らすと松明を作り上げる。突然の光源に目が眩み、なにも見えなくなる。しかしそんな二人に対してリザードマンが襲い掛かって来る節は無く、やがて視界を取り戻した雅たちは彼の者が松明を岩で造られた台座に嵌め込んでいる様を見ることとなった。
リザードマンの鎧のような鱗が松明の灯りを浴びてテカテカと光る。
「暗闇デ挑ムは、少々、我に分がアル。先刻の非礼の詫ビだ。これで我の姿モ良く見えるダロウ?」
言いながら二本目の松明に火を灯し、それもまた別の台座に嵌め込んだ。
二足歩行のトカゲ男。雅がディルの手帳から書き記した通りの姿形をしている。しかし人間とは程遠い。ギョロリと動く三白眼は暗闇の中でも黄色く輝き、体勢はやや前傾姿勢で、口元にはナマズのような髭を生やしている。胸部から腹部以外の全身を鱗が覆い隠す。そして強靭な両腕と両足。尾には予想通り吸盤がある。馬のたてがみのように伸びる背ビレは、唯一の、魚から変化した存在した名残りだ。トカゲと魚と人、そしてタコの吸盤。どれもこれもが中途半端で、気色が悪い。
「酸素は気にするな。ココには外の空気が入り込んでイル。酸欠デ殺ソウなど思っていない。そのようなことをスレば我もまた死ヌのだからナ」
リザードマンはエラ呼吸も出来るが、肺魚の性質を持つ。この場に水中に潜れるような地底湖は無い。つまり、彼の者もまた酸素を吸って行動している。松明での明かり取りは、酸素が循環していることの証明でもあった。
「私たちを岩の下敷きにすることもできたはずですよ。私に奇襲を掛けた時点で、どんな言葉も信用できません」
「フハハハッ、威勢ノ良い討伐者だ」
石鎗で地面を突いて、大きな音を立てる。
「奇襲はこの場ヲ作り出す布石に過ギヌ。我ハ元より、挑まれレバ逃げぬ性分故。シカシ、それも二人マデが限度。よって、このように分断せざるヲ得なカッタ。だが、こうナレバ全テ過ぎたこと。サァ、掛かって来ルが良イ。討伐者よ。貴様ラは元ヨリ、我ラを討ツ者、なのダロウ?」
石鎗を回し、リザードマンは口を開いて激しく呼吸を繰り返す。それは、奇妙な音となって、空洞の中で反響を繰り返し、雅たちを威嚇しているかのように思えた。
いつ崩れるか分からない空洞の中で、風圧を起こすのは厳しい、かな。
向かって来る力を反発させて撃ち返すことはできなくもない。だが、リザードマンが空洞を崩すような立ち回りをするとは思えない。反射させるとしても一回。その一回で見切られる。そのような確信が雅の中にあった。
そして、加速に加速を重ねて姫崎 岬を動けなくさせたときのような、或いは戦艦の扉をぶち破ったときのような、あれだけの破壊力を伴わせた短剣の投擲は控えなければならない。雅にしてみれば必殺の一撃を防がれたようなものだ。
だからここは、楓に頼らざるを得ないだろう。
「雅さん、阿吽のなんたらって知ってます?」
「阿吽の呼吸でしょ。そこまで言ったんなら最後まで言おうよ」
「あと、つぅと言えばなんとやらも知ってますか?」
「だから、そこまで言ったんなら最後まで言ってよ」
つぅと言えばかぁ。これも阿吽の呼吸と似たような意味合いだ。
「だったら、私の言いたいことも分かります、よね?」
「……私は楓ちゃんの身軽さを信じるよ」
「雅さんの力と咄嗟の反応、頼らせてもらいます」
楓はその場で軽く跳ね、短剣を両手で握りながらリザードマンへと突貫する。言っても、ただ真っ直ぐ突っ込むのではない。雅と手合わせをしたときのような、軽やかな足捌きでジグザグに跳ね、軽く踏み込んだ直後に力強く地面を蹴り抜いて、その勢いで彼の者の懐に果敢に攻め入る。
「若イ討伐者ニシテハ、良い動きダ」
雅は不安を感じ、早々に右手で一点を指差す。楓が動きながら短剣を突き立てようとしたところに、リザードマンの石鎗が見事に合わせて来ている。そしてリーチに差がある。短剣が彼の者に届くより先に、石鎗の薙ぐような振りが楓を襲ってしまう。
それを妨げるのが雅の変質させた空気だ。楓に届くより前にあった空気に接触し、石鎗ごとリザードマンの右腕が逆方向へと弾かれる。
「ここっ!!」
そして楓の剣戟が奔る。
「っ、嘘でしょ!」
言いながら楓が大きく引き下がった。
「どうしたの?」
「鱗のない胸部を狙ったのに、刺さりませんでした。それと」
「電撃が不発に終ワッタ、か?」
リザードマンは楓の心情を見事に言い当てたらしく、彼女の表情が翳る。
「我ながら、ゴム質の皮を持ッタのは、誇らしいコトだ」
「ゴム、質……? けれど、私はゴムでも電撃が通ることぐらい知っています」
質にもよるが、高出力の電撃は絶縁体の象徴とも言えるゴムを貫通することがある。ましてやリザードマンは元々、海中に生きる海魔だ。ゴム質だろうとゴムなわけではない。
それでも貫通しないのならば、ゴム質という表現自体が相応しくない。
「ゴム質なんかじゃない、絶縁体だよ。どんな電撃も跳ね除ける物体の総称」
「そう、ですか。ということは、私の『雷使い』としての力はほぼ完全に封じられたってことになりますね」
「討伐者ヨ。我の振った鎗ガ、貴様の空気に触れたゾ。臭いで分かる。次は弾ケルと思うナ」
そして雅の『風使い』としての力もまた、リザードマンに読み取られてしまっている。
“異端者”としての『雷』と『風』を把握され、唯一の『金』を楓は自身のサポート――武器の変質に当てているため、これに頼ることもできない。
つまり、この海魔との戦いでは変質の力は不意討ち以外では役に立たない。真正面から、人間と海魔の単純な技術力の勝負となる。
海魔を討つ技術が勝るか、それとも人間を狩る技術が勝るか。
「最悪だ」
手帳からある程度、予測はしていたものの、これほど早々に打つ手無しの状況に持ち込まれるとは思わなかった。




