【-なにができるのか-】
「葵さんはなにができますか?」
「ふぇえ?!」
「『水使い』なんですよね、それは分かっています。どういった風に水を出せるんですか? 水をどのように使うんですか? あの海魔と戦うとして、どのような攻撃の手段を持っていますか?」
「そ、そんな一気に仰られても!」
「答えてください! 私は異端者で『風使い』です。一ヶ所――今は一ヶ所にしか干渉できませんが、空気の流れに変化を与えて流れ込む力の反射ができます。反射の角度はある程度、こちらの意思で変えられます。あとは、多分ですけど圧縮した空気に相手が触れれば風圧で遠くまで吹き飛ばすこともできると思います。葵さんは、どうですか?」
「あ、あたしは……」
オロオロとしている葵に腹立たしさもあったが、ディルの睨みに冷や汗を掻き、なにも言わず答えを待つ。
「手で触れた物を水に変えて、飲み水にすることができます。それは、どんな『水使い』でもできることですけど、あとは……審査の際にやって、どうにかできたことが一つ」
「その一つって?」
「爪――手袋をしているんで、見せられませんけど、具体的には……指の先、だと思うんですけど、空気中の水分を収束させて鉤爪状にすることができます」
「十本とも?」
「十本とも、です。そんな、期待はしないでくださいよ? ただ、爪みたいなものを作れるってだけで、威力なんて……」
「圧縮された水は鉄をも切断するって知ってるか?」
ディルがリィとストリッパーの様子を窺いながら、上から言葉を零して来る。
「テメェの指には十個、それがあると考えろ。で、テメェはそっちのクソガキみたいに視線で変質させるのではなく、典型的な触れて変質させるタイプなんだな。そこらを踏まえて作戦を考えろ。場所は山道。片側には人が分け入ることができない急勾配な山肌がある。ストリッパーは俊敏に動く。ただし、その頭はフィッシャーマンと同程度。テメェらが得意としている力を扱って、優位性を確保するためにはどうしたら良い? 足りない脳味噌を使って考えろ。少なくとも、そこでポンコツに睨まれて竦んでいるクソみたいな生き物より脳味噌は詰まってんだろ」
「ディル、そろそろヘイトが限界」
「なら一撃を避けろ」
「避けた直後、そっちに行く」
「俺の心配なんてしてねぇで、テメェは切り刻まれないことだけ考えろ」
リィとディルの会話の最中で、雅は山道と山肌の間に何度も視線を移す。
「葵さん、私が注意を惹きます」
「注意?」
「リィの言っていたヘイトってやつです。私がストリッパーを挑発しますんで、その間に葵さんは――」
伝えることだけ伝え切り、「分かりましたか?」と訊ねると葵は静かに首を縦に振った。
「行く」
その一言が速いか、それともリィが動くのが速いか。それは判断しかねるほどの一瞬に起こり、ストリッパーが起死回生を求めて、リィへとその場から弾けるように飛び掛かった。それを見据えて、彼女はディルよりも華麗な足運びでストリッパーの一撃を避ける。
次に彼の者の視線がディルに移る。
「来いよ。追い返して、そこのクソガキ二人にテメェを仕向けてやるから」
唸り、そして雄叫びを上げながらストリッパーはがむしゃらに挑発するディルへと走る。その間に雅と葵は解散し――特に葵は雅よりも遠くへと海魔から距離を置いた。
「ストリッパーの刃はヒレの成長で剥離された、硬質な皮だ。要するに、この海魔の先祖は殻を破るか、或いは脱皮を繰り返すことで成長する生物だったんだろうな。動物の皮に拘るのは、そこにも起因するんだろう」
振り回される刃物――ヒレの刃を巧みにかわしつつ、要りもしない能書きをディルは垂らす。それもまた、雅たちへの助言としか思えない。
この男は私たちに本当に死んで欲しいと思っているの?
言っていることとやっていることが歪んでいる。自らをイカれていると自称するくらいだ。多重人格者という可能性も否めない。
「いずれにしたって、人間のご先祖様の方がもっとマシな動きで獲物を狩ろうとしていただろうぜ?!」
ディルの手が振り切られたヒレの刃に軽く触れる。直後、ヒレは触れた部分から燃え上がり、その現象に驚き、伝わって来る熱に怯えてストリッパーは右手に盛っていたヒレの刃をその場に投げ捨てた。
この相手には敵わない。そんな動揺の色をストリッパーはチラつかせている。しかし、ディルはそんな海魔に対して一切の殺意を見せない。見逃してくれると踏み、ストリッパーは踵を返すと、次に目に飛び込んで来た己の背中を刺して来た憎むべき対象である雅を捉えて、ありすぎる膂力で持って恐るべき速度で雅の元に駆ける。
「これは、これで、良い」
自身を律するように雅は呟き、二本目の短剣を引き抜いてストリッパーの突撃に備える。その臨戦体勢を見てか、彼の者はヒレの皮を引き抜き、先ほどと同じように二本の刃を携えて、しかしケダモノで、奇怪な動きを見せながら突っ込んで来る。
初めての経験なら、対処できない。が、フィッシャーマンと対峙したときに似たような感覚は掴んでいる。
海魔を人間と思ってはならない。たとえ人の皮を八割被っているのだとしても、攻撃に至るまでの過程において、人間的な動きは一切持ち合わせていない。
つまり、どんな状況であれ突飛な動きをする。奇怪で珍妙で、人間の常識を超えた動きを取る。フィッシャーマンで学ばされたことが活きる。ストリッパーの乱れに乱れた動きから繰り出される剣戟を次から次へと捌く。
捌くと言っても、最小限のものに限る。目は良いが、ここまで乱雑に振り回されるヒレの刃を全て捌き切るなどという芸当は雅にはできない。だから、下がりながら自身の体を裂くであろう剣戟のみを短剣で受け止めて、弾く。これはディルとの訓練の賜物だ。ディルは足を蹴り飛ばすという分かりやすい行動ばかりを取って、それで雅を翻弄し切った。どれだけ足を狙われると分かっていても、雅にはそれを防ぎ切ることができなかった。けれど、ストリッパーはどれだけ分かりにくい動きを取ろうと、その先にある殺意や剣戟の軌跡がディルの蹴りよりも単調なのだ。
あの複雑怪奇な感情を秘める性悪鬼畜男よりも、野生の本能だけで動くストリッパーは雅にとって相手取りやすい、のだが、ここまで執拗に攻め立てられるとさすがにボロが出始める。
捌き切れなかった剣戟の一つが服を越えて脇腹や腕を裂く。それでも、深くはない。皮一枚を綺麗に裂かれてはいるが、その先の赤い肉にまでは鋭く届いてはいない。
だから、未だ残る右足の痛みよりもその裂傷が伝えて来る痛みに、雅は大して動じない。
動じるとするならば、攻撃の起伏が激しいストリッパーにカウンターとばかりに短剣を繰り出そうとしたとき、被っている八割の人の皮を見て、自制心が働こうとするところだ。
人の皮を被った海魔だ。そうは言われても、八割に人間性が見えると、「これはもしかして人間なのではないか。だったらこれは、人殺しと同じなのではないか」という、自身にあるとは思えなかった正義感に苛まれる。直後、ストリッパーが人ならざる声を上げることで我に帰ることができるのだが、それは肝心な一撃をお見舞いする機会を失ったときだ。
人の皮を被って、ボロボロの服を被って、人になったフリをして人を襲う海魔に、人の心を知ろうなどという感情は無いはずだ。ディルは「動物の皮を被ることもある」と言っていたぐらいだ。
要するに、この海魔にとって皮とは醜悪な自分自身を覆い隠してくれる道具なのだ。ボロボロの服を着ているのは、皮を被った人間がたまたま服を着ていたから。その服を着ていたという事実を、皮を被る行為に似ていると錯覚しているのだ。
断じて、こんな腐臭を放つ生き物が私たちの風習、習性に共感などするものか。
唇を噛み締めて、怒りを堪える。改めて考えろ、と脳に伝える。これは人では無い。死者の皮を被り、人の死を冒涜している化け物なのだ、と。
僅かに、リィの存在が頭の中をチラついたがそれも、ストリッパーの強烈な一撃を短剣で受け取ったときに生じた重みと大きな音で掻き消えた。
誤魔化す。あの子は違うんだと、言い聞かせる。リィは特級海魔だが、まだ人間性がある、と。もしものことがあったって、あの男が連れ回している張本人なのだから、殺すなり討伐するなりの処断を下すだろう。
だから、このときにおいて私は目の前の海魔だけに集中していれば良い。
一段と大きな悲鳴のようにキィンッと耳を劈く叫びを上げたのち、ストリッパーの顔の八割を覆っていた皮が千切れた。それは彼の者が口に穢れた水を溜め込み、吐き出そうとしている証拠だ。人の皮では到底、大量の水を含む頬袋は作れない。膨らむ頬袋に、人の皮は耐え切れなかったのだ。
醜い醜い顔を曝したストリッパーに、もはや自制心は働かなかった。幾ら首から下の八割が人の皮で覆われていようと、首から上は明らかに異形の生命を示している。罪悪感が消え失せた。よって、ストリッパーの穢れた水の生成は、雅にとっては好都合であった。
躊躇いや自制の糸が切れて、集中力が高まる。恐らく、これまでで一番速く、雅の空気への干渉は行われた。
ストリッパーが吐き出した穢れた水の球体は、雅の手前の空間で止まり、空気の流れと様々な変質と変異を経て、吐き出した本人へと返る。そのときに生じた、逆側への風圧ばかりはこのとき、雅は考慮していなかったため全身で受けることになったが、穢れた水をぶち撒けられて皮膚も骨もなにもかもが溶けるよりはマシである。たとえ、風の衝撃波に持ち堪えられず、数メートルほど吹き飛んでしまってもだ。
体の制御ができない。中空で華麗にと考えている内に地面に体が到達し、激しく転がった。




