(9)
陰鬱な空気が流れる斎場に、線香の匂いがたち込める。
飾られた遺影には誰からも親しまれた男の、人懐っこい顔が写っている。それは至極、彼の生前の人柄が投影されたものだった。
葬儀に訪れた弔問客は皆、早過ぎる別れに涙を流していた。
すすり泣く声と共に、どこからともなくボソボソと話す声が聞こえてくる。
「坂口、この間会ったときはあんなに元気だったのに。どうして……」
「家で心臓の発作を起こしたらしい。搬送された時にはもう、手遅れだったって」
坂口は街頭でのインタビューが放送された日の夜、何の前触れもなく倒れてそのまま息を引き取ったという。以前から医者から体型に関しては再三注意を受けていたようであったが、病気の兆候は見られていなかったらしい。
突然死。彼の死は、この表現がまさにふさわしかった。
「坂口……」
菊田は遺影を見つめながら、数珠をギュッと握りしめる。
坂口と久々に顔を合わせてから、日はまだ浅い。自分と再び接点を持ってから命を落とすまでの間が、短すぎるように思えてならなかった。まるで自分との出会いが、彼の死の引き金であったような……。
今すぐこの場から逃げ出したい衝動に駆られたが、理性で抑え込み何とか踏みとどまった。
一連の流れを済ませた後、菊田はよろよろとした足取りで会場から出て胸をさすっていた。すると背後から、人の気配を感じた。
「ここにいたのね」
気配の主は、喪服姿の律子だった。目は少しばかり腫れぼったく、ひどく疲れているように見える。
「あそこにいると、苦しくなってきて。外の空気を吸いたくなったんだ」
「そう」
律子は視線を落とし、菊田の元に歩み寄る。そして険しい顔つきで、重い口を開いた。
「ねえ、菊田君にはわかっていたんじゃないの?」
「わ、わかってるって、何を」
「あの日、坂口君が死ぬこと。そういう力が、菊田君にはあるんじゃないの? テレビに映ってる坂口君を見た時、様子がおかしかったもの。ねえ、教えて。あなたの目には、何が映っているの。あの時確か、私に何か言おうとしてたよね。それってひょっとして」
「……」
菊田は観念したように目を伏せると、湿っぽく息をついた。
ここまで来たらもう、ためらう必要はないだろう……。
何もかも明かす決意を固めてから、彼女の瞳を真っ直ぐ見据えた。
「そうだよ。俺には、死期が近い人間を感知する力があるんだ。その日のうちに死ぬ運命にある人を見ると、黒い靄みたいなものがかかって見える。直接目にする時もあるし、写真でわかる時もある。坂口みたいに、映像で見た時でも……。とにかく、俺にはわかってしまうんだ。死期が近い人間が。あの時も、見えてたんだよ。坂口を包む、黒い靄が」
笑うべきではないはずなのに、勝手に口角が上がっていく。その瞳の奥に、何者にも形容しがたいほどの深い哀しみを宿しながら。
途切れ途切れになりながら、言葉はさらに継がれていく。
「昔からそうだった。子供の頃からずっと、この能力には苦しめられてきた。人の運命が見えていながら、どうすることもできない自分がどうしようもなく嫌だった。しまいには自分がこの目で見たせいで、人の死を招いているんじゃないかって、錯覚するほどだった。俺は、俺は……」
「救おうとは、思わなかったの?」
氷の刃の如く冷たい口調に、菊田はつい押し黙る。
律子はさらに顔を強張らせながら、噛みつくように詰め寄った。
「見えていたんだったら、どうして助けようと思わなかったの? 坂口君、倒れる前に病院に行ってたら、助かってたかもしれないのよ? 電話で病院に行くように勧めるとか、できなかったの?」
「助けようとしたことはあったよ、昔はね。けど、どうすることもできなかったんだ。俺がわかるのは、靄がかかった人間が、遅かれ早かれその日のうちに死ぬってことだけ。病気で死ぬのか、事故で死ぬのか。または、もっと別の何かで死ぬのか……。対処のしようがないんだ」
「だからって、それを黙って見ていたの? これまで、それを黙って見過ごしてきたっていうの? 死ぬってわかってる人間を……見殺しにしてきたの……?」
「…………」
悲痛な訴えに対し、菊田は返す言葉を見つけられずにいた。
もし自分が彼女の立場であったら、間違いなく同じようなことを吐き捨てるだろう。助けられたかもしれない命を、あっさり見捨てた人でなしに。幾多の命を見放してきた、最低の人間に。
「……ごめん。無理、なんだよね。死ぬってことがわかるだけじゃ。わかってるの、本当は。でも、どうしても止められなかった。言わずにはいられなかった。私は……。私は……うっ……ううっ……」
目から大粒の涙をこぼす律子を直視することなど、菊田には到底できやしなかった。
人の運命をわかっていながら何の行動もしなかった、自分を非難する思い。感情に任せて責め立てたことへの罪悪感。そして、人とは思えぬ力を有した、怪物に対する恐怖心。何もかもが入り混じり、このような行動をとってしまったことが手に取るように理解できてしまったから。だからどうしても、彼女と目を合わせる気にはなれなかった。
「全部俺が悪いんだ。やっぱり俺は、死神なんだよ」
菊田はそう言い残すと、律子を残して足早に去っていった。