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 坂口の葬儀から、菊田は無気力なままずっと布団に寝そべるばかりの日々を過ごした。来る日も来る日も自宅に引きこもり、ほぼ誰とも接触することなく時間を浪費していた。

「……金がないな」

 貯金もそろそろ底をつく頃で、いい加減働きに出なければならない。だが、どうしても外に出る気にはならなかった。

「もう、何もしたくない」

 このまま何も食わずにいれば死ねるだろうか。生きている限り続く、無間地獄のような苦しみから逃れられるだろうか。自殺する勇気はないが、これなら自分にもできるかもしれない……。

「……無理か」

 しかし、やはり生理的欲求に抗うのは並大抵のことではなかった。フラフラとした足取りで立ち上がると、なけなしの小銭が入った財布を持ってコンビニに向かった。

 粗末な弁当を購入して帰宅する途中、郵便受けが目に留まった。しばらく確認していなかったためか、ずいぶんとチラシが溜まっている。

 おもむろに中身を取り出そうとすると、パサッと何かが地面にこぼれ落ちた。拾い上げてみるとそれは、淡い緑色の封筒であった。厚みからして便箋が入っているようだが、裏にも表にも差出人の名は記されていない。

「一体誰が」

 菊田は咄嗟に糊を剥がし、中の便箋を確認する。内容に目を通すと、その表情は一変した。差出人は、なんと律子であった。 

「これ、牧村さんの……」

 便箋には、丁寧な筆跡で次のように記されていた。


 菊田君へ。この間は、本当にごめんなさい。あの時は気が動転してしまって、とても冷静ではいられませんでした。

 死期が近い人間を感知する力。それが菊田君にはあるという話でしたね。正直、今まですごくつらかったのではないかと思います。人が死ぬとわかっていながら、どうすることもできずに見て見ぬふりをするしかない。もし自分がそうだったらと、想像するだけで胸が苦しくなります。

 きっと、あの時も苦しんでいたのですね。私と菊田君が、初めて話をした日も。何もわかっていなかったくせに、私はずいぶん偉そうなことを言ってしまった気がします。喫茶店で話をした日もそう。私は全て知ったつもりになって、あなたを傷つけてしまった。

 菊田君がこんな力を持っているのには、何か意味があるのかもしれません。私にはそれが何なのかはわかりませんが、最後に一言だけ言わせて下さい。例えどんな能力を持っていたとしても、それにどんな意味があったとしても、菊田君は悪くありません。確かに、菊田君は人とは違う力を持っている。普通の人には見えない、他人の運命の一部が見えてしまう。それでも、死神なんかじゃない。菊田君は菊田君なんです。それだけは、決して忘れないで下さい。

 あんなひどいことをしてしまった以上合わせる顔がないと思い、手紙という形をとらせていただきました。もう、菊田君の前には現れないつもりです。どうかこれからは目に映るものに縛られず、前を向いて生きて下さい。人として……菊田香介という、一人の人間として。

 私にはあなたの苦しみの欠片すら汲み取ってあげられませんでしたが、せめて幸せになれるように祈っています。


 手紙には何度も書き直された跡があり、ところどころ文字がにじんでいる部分が見受けられる。この手紙のために、彼女はどれほど時間を費やしたのだろう。そして、人の運命が見えていながら何もせずに放置してきた男なんかを、どうしてここまで気にかけてくれるのだろう。

「俺、は……」

 菊田は便箋を凝視したまま、それを持つ手を小刻みに震わせる。

 思えば自分は、人の死期が近いことを悟りながら、何かしようとしたことがあっただろうか。その身に何が降りかかるのかまではわからないと考えて……思い込んで。結局何もしなかったのではないか。目の前の現実から、顔をそむけることしかできなかったのではないのか。そんな男が、日の当たるところで生きてもいいのだろうか……?

 得体の知れぬもやもやとした塊が、ズンとのしかかる。

「俺は……」

「あっ、菊田さん」

 背後から声をかけられ、菊田は肩をすくめながら顔を向ける。そこに立っていたのは、隣の部屋に住む青年であった。

「久しぶりですね。しばらく顔を見ないから、心配してたんですよ」

「ああ、いや……」

「あ、その手紙、さっき女の人が入れてましたよ。菊田さんと同じ歳くらいの人だったかなあ……。今そこですれ違ったんですけど、暗い顔をしてたものだから妙に印象に残ってしまって」

「!」

 彼女がさっきまで、このアパートの前にいたというのか?

 動揺した菊田は、青年が指し示した方を何度も見ながら目を白黒させた。

「あの。どうかなさったんですか?」

「……言わなきゃ」

「へ?」

 菊田は手に持っていた荷物を放り出し、一心不乱に走り出した。自分を理解してくれようとして悩んでくれた、律子の元へ。特異な能力を持つ自分を人間として見てくれた、彼女の元に向かって。

 ……どうしても直接、伝えたいことがあったから。

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