(1)
今日はやけに、風が冷たく感じる。
くたびれた衣服に身を包んだ男……菊田香介は空になった缶コーヒーを片手に、公園のベンチに腰掛けながら白く濁った空を眺めていた。
菊田は既に若くはなく、普通なら定職に就いて家庭の一つでも支えていてもおかしくはない歳である。だが、非正規の仕事にばかり就き、安定とは程遠い日々を過ごしていた。仕事ぶりを評価され、勤務先から正規雇用の誘いを受けたこともあったが、そのたびに自らの意志で断っていた。一定の時が過ぎれば突然辞表を出して姿を消し、再び新たな職を探す。常人には理解しがたい行動を繰り返す彼を支える伴侶はなく、身内も知人いない天涯孤独の御身であった。
「俺は……」
溜め息交じりに呟いていると、菊田の足元に何かがコツンと当たった。
感触のした方を見ると、そこにあったのは糸がところどころほつれた野球ボールであった。
「あ!」
どこからか黄色い声が飛んできたかと思うと、遠くにぼんやりと浮かんでいたいくつかの影のうちの一つが、バタバタとそそっかしい足音を立てながら走ってくる。
影はこちらに迫るにつれて徐々に形を成していき、やがて頬を赤く染めた少年の姿に変わった。
赤い帽子に、黄色のシャツ。ちらほらと繕ってもらった跡が見受けられる、色の落ちた短パン。いかにもわんぱくそうで、はつらつとした雰囲気を身にまとっていた。
「はあはあ……。ごめんなさい、おじさん。ボール、飛んできたでしょ? 当たらなかった?」
「あ、ああ。大丈夫。ほら」
菊田は空いている方の手で足元のボールを拾い上げ、微笑を浮かべながらそっと差し出す。
少年はそれを受け取ると、満面の笑みを彼に返した。
「ありがとう!」
「いや、いいんだ。それより……気をつけるんだよ」
「うん!」
少年が再びぼんやりとした影に戻っていくのを、菊田はじっと見つめていた。
その表情は、口角こそ微かに上がっていたが、瞳の奥に映るのは闇。深い哀しみをたたえた、真っ暗な闇だけだった。
「俺は」
肩をブルブルと震わせ、手の平でその目をかきむしるように覆い隠す。そして再び空を見上げ、乾いた声を絞り出した。
「俺は、どうしてこんな力を持って生まれてしまったんだ」
その日の夜、一つのニュースが全国に流れた。それは年端もいかない子供が、公園の遊具から落ちて死亡したというものであった。
報道の中で紹介された写真には、赤い帽子を被り黄色いシャツを着た少年が映し出されていた。




