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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

魔王閣下の料理人

作者: 万丈千里

同じ原作者のグルメマンガ『大使閣下の料理人』と『信長のシェフ』を混ぜて書いてみました。

                1

 あなたは知っているだろうか。

 シャンパンの栓を抜くように、頭をポンと切り落とされてもなお飛び回るワイバーンの首からしたたり落ちる、極上のルビーを溶かしたような鮮血の美しさを。


 あなたは知っているだろうか。

 バジリスクの吐息で、生きたまま石と化したコカトリスを蒸し焼きにし、その表面の石を砕いたとき立ちのぼる、えもいわれぬ芳香を。


 もちろん、ぼくはそのすべてを知っている。

 未来永劫薄れはしない血の色が床に染み込んだ屠殺場がぼくの遊び場。幻獣しょくざいたちの断末魔がぼくの子守唄。

 ぼくの名は、ジフラール・クロロフィル。魔界の第37位を占める魔王ハーゲンティ閣下の料理人だ。


                2

 権力の頂点に至る道筋はいくつもある。

 多くの者はそのことを知らず、たったひとつのやり方で上をめざそうとする。すなわち、暴力によって、自分より上の位にあるものを排除するやり方だ。誰もが生まれ落ちたときから「弱肉強食」の四字を胸に刻み、絶え間ない戦乱渦巻くこの魔界にあっては無理もない。

 だが、ひとりの男が、異なるアプローチが存在することを見つけだす。


 たとえば、料理。

 たとえば、ワイン。


 あるときは、自分を害そうとする者をもてなすことで懐柔し、あるときは、強き者に取り入って自らにかわり敵を討たせる。

 そうやって、食事というものが、盾にも矛にもなることを知った。

 決してあわてることなく、権力の梯子段を一歩一歩、いや、ひとつかみずつ這い上がっていったその男は今、魔界72柱のちょうど中位に達しようとしている。

 彼、魔王ハーゲンティが、食卓という名の戦場で手にする、切れ味鋭いひとふりの武器。それがぼくだ。

 今宵、斬るか斬られるか。すべては料理の出来次第——。


                3

 城の扉が重々しく開く音が、ぼくに、魔王閣下が客人とともに帰還したことを教えてくれた。

 それは、ぼくにとって、合戦のはじまりを告げるほら貝の音に等しい。

 武者震いなのか、それとも単に怯えているだけなのか、自分でも判別がつかない震えを感じながら、手入れの行き届いた厨房を見回した。ニダヴェリール製の20種類もの包丁、ムスペルヘイムの炎熱と直接つながったオーブン、ニヴルヘイムの極寒をつたえる冷蔵庫……、ぼくの自慢の調理器具の数々だ。

 選りすぐったはずの料理の選択は適切だったろうか。いつもの不安が胸をよぎる。それでも、ここまでくれば、後は当たって砕けるだけだ。砕けてしまえば、床に落とした卵みたいに、ぼくのことなんか誰ひとり思い出しもしないだろうけど。

 ぼくは、ふたりの魔王が待つ食卓へと向かった。料理人の魂を切り裂く客のナイフに、音と香りを銃弾がわりにまき散らして抵抗し、味わう舌が最後の審判を下す戦場へと。


                4

「第六天魔王である」

 甲高い声でそう自己紹介した客人が魔界で占める地位は第27位。魔王閣下よりもずっと上だ。

 西洋風の鎧に身を包んではいるが、その顔はまぎれもなく東洋人のものだった。

 事前のリサーチで、今夜の客が人間だったときの名前をぼくは知っている。


 『織田信長』


 だから、ここでは、彼のことを「信長公」と呼ぶことにしよう。

 人間界で途方もない善行や悪行をなした者が、死んだ後で、天界あるいは魔界に転生するのは珍しいことではない。いやいや、もちろん至って珍しいことなのだろうが、閣下のお仲間をみていると、まるでよくあることのように錯覚してしまう。

 以前、この城の食卓で、子供のようにむせび泣きながらキッシュ・ロレーヌをむさぼり食べたジル・ド・レエ閣下もそのひとりだった。

 「まれによくある」というやつだ。


                5

 今夜のコースはまず食前酒から。

 手持ちの盆の上にかけてあった覆いを取りのけると、ぼくはふたつの杯をテーブルに並べ、ボトルからゆっくりと食前酒を注いだ。

 信長公が、ほう、と小さくつぶやいた。

 その驚きは、食前酒に対して向けられたものではない。

 今夜の食前酒には、ストゥング酒の660年物を用意した。市場では、ヨカナーンの首ふたつで取引されるほどの代物だ。悪かろうはずはない。だが、信長公の関心を引いたのは、たった今それが注がれた杯の方だった。

 一風変わったその杯の素材は——


 人間の髑髏。

 それに金箔を貼りつけている。


 酒を注ぎ終わるやいなや、信長公は杯を手にとって、しげしげと眺めた。恨めしそうな髑髏の空っぽの眼窩と、公の目が合う。信長公は、おもむろにぼくに尋ねた。

「これは誰の髑髏であるか?」

 もっともな疑問だ。この髑髏は、信長公が自ら杯にした朝倉義景のものではない。浅井長政のものでも、浅井久政のものでもない。信長公が生前に討ち滅ぼしたどの敵のものでもない。

「それは、今夜の食事を最後まで召し上がれば、おわかりになります」

 信長公の左手の中指が、テーブルクロスを軽く引っかくのが見えた。ぼくのような者に、自分よりはるか下の階級に屬する者に、質問の回答が与えられなかったことなど、久しく経験していないのだろう。


 「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」


 そんな句が詠まれるほどせっかちな信長公だ。だから、そのとき魔王閣下に向けた困惑したような表情は、きっと、この者の首をはねてもよいか?、という問いかけにちがいなかった。

 魔王閣下が苦笑して、軽く首を横に振るのを見て、ぼくはほっとした。もっとも、それは、コースが全部終わるまでは待ってほしい、という意味なのかもしれなかったが。


                6

「それにしても憎いのは卍のやつよ。昔の活力があれば、あやつの一族郎党、皆殺しにしてやるのだが」

 一旦厨房に戻ったぼくが、オードブルを運んできたとき、ふたりの会話が耳に入ってきた。

「なさいませぬのか?」

 魔王閣下の問いに、信長公は軽くうなずいたきり口をつぐんだ。どうやら、ぼくのような下々の者に聞かせる類いの話ではないらしい。


「オードブルでございます」

 オードブルは、焦がしバターのソースが香ばしい一品だ。

 小麦粉をまぶして焼いたオードブルの実を一口食べて、信長公は、ふむ、とうなずいた。満足してはいるものの、食前酒に比べると平凡な、と言いたげな表情だ。

「これは魚の白子かな?」

 と尋ねたのは魔王閣下だった。もちろん、そうでないことを百も承知で、ぼくに説明させようとしているのだ。

「食前酒をお出ししたときの杯——」

 先ほどの不興を思い出したのか、信長公の瞳に、ちかりと小さな火花が灯る。

「その中身でございます」


 料理人の間につたわる有名な格言に、「豚は鳴き声以外はすべて食べられる」というものがある。いやしくも料理人ならば、材料を無駄にせず、あますところなく使い尽くせ、という意味だ。

 せっかく目的の『首』を手に入れたのに、頭蓋骨だけを杯に使って残りは捨ててしまうなんて、料理人としてはもってのほかだ。

 そんなわけで、オードブルは『彼』の脳味噌になった。

 皿に残った実の最後のひとかけらを平らげるとき、信長公が見せた複雑な表情は、ソースの味わいのせいばかりではなさそうだ。


                7

「メインディッシュでございます」

 ぼくがメインディッシュを運んでくると、魔王閣下が、珍しく狼狽した顔をした。

 血のしたたるような肉も、泳ぎだしそうなくらい活きのいい魚も、皿の中にはない。

 あるのは無造作によそった米の飯と、調味料とおぼしき黒いペースト状のかたまりのみ。こんな粗末な品では、信長公の機嫌をそこねるのではないか、と心配するのも無理はないだろう。お前はそんなに首が惜しくないのか、という魔王閣下のつぶやきが聞こえてきそうだ。

 だが、信長公には、一目見ただけでそれが何かわかったようだった。せっかちな公にしては珍しく、皿に手をつけようとしないのがその何よりの証拠だ。彼は知っているのだ。この料理を食する準備がまだ整っていないことを。

 ぼくはケトルを取り出し、魔王ふたりの皿に、中の湯を勢いよく注いだ。

「焼き味噌の湯漬けでございます」

 味噌は、ムスペルヘイムの炎で真っ黒になるまで焼いている。湯も、小瓶ひとつでオーディンの目玉ひとつの値がつく、ミーミルの泉の水を沸かしたものだ。


 悪魔のように黒く

 地獄のように熱く

 死のように濃く

 初恋のように後を引く——


 魔界の湯漬けのできあがりだ。


 カラン、とテーブルに乾いた金属音が響いた。

 それは、信長公が、スプーンとともにテーブルマナーをかなぐり捨てた音だった。

 恍惚の表情を浮かべながら、汁の一滴ものがさないというように、皿にむしゃぶりついている。

 その様子を見て、魔王閣下はあきれたように苦笑した。

「信長公はすっかりこの料理が気に入られたようだ」

「ええ、とっておきのスパイスをかけておきましたから」

「どんなスパイスだね?」

 魔界しか知らぬ魔王閣下には、わからないことかもしれなかった。だが、そのスパイスが、転生組には麻薬のように効くことをぼくは知っている。

「それは『思い出』という名のスパイスですよ」

 そんなぼくと魔王閣下の会話は、信長公の耳には一切届いていない。恍惚の域を通り越して、もはや忘我の境地にあるようだ。

「デザートをお持ちしましょうか」

「いいや」

 とぼくの魔王閣下は首を振る。

「もう少し、彼をこのスパイスに酔いしれさせてやってくれ」

「承知しました」

 お優しい魔王閣下。

 深々とお辞儀をしながら、はじめて彼に出会ったときのことを思い出した。

「私の厨房には、今、人手が足りないんだ」

 あのとき、屠殺場を寝床とするみすぼらしい子供に、魔王自らが厨房入りを請うたのは、一体、どんな気まぐれだったのだろうか。

 足りなかったのは、本当に人手だったのか、それとも食材の方だったのかは、いまだに聞くことができずにいる。


「なつかしいな」

 ようやくわれに返った信長公が、最初に発した言葉がそれだった。

「いくさ場で、幾度もこんなふうに湯漬けをかき込んだものだった」

 信長公は、いくさ場の風の音を聞くかのように耳をすました。

 その両眼には、この城の門をくぐったときには見当たらなかった、往時の活力がみなぎりつつあるようだった。


                8

「これが先ほどのご質問の答えです」

 デザートに用意した金柑の甘露煮を出しながら、ぼくは信長公にそう告げた。煮崩れしないように気をつけて料理した金柑は、どれもきちんと球形を保っている。

 信長公はぼくの言葉の意味をすぐに察したようだった。スプーンで金柑のひとつをすくい、しげしげと眺める。

「で…あるか」

 何かを決意するように、ぷつんと金柑を噛みしめた信長公の目の中でちらちらと燃えていたのは、遠い日に見た炎だろうか。

「ようやく、あやつめを討ち滅ぼす覚悟ができたわ」

 金柑を飲み込んだ信長公がつぶやいた。

 料理人の仕事はここまでだ。引き下がるぼくに、信長公にあいづちを打つ魔王閣下が軽く片目をつぶってみせた。

「あの者は、獰猛なティーガーを何匹も飼いならしているとのうわさでございますが……」

「是非に及ばず」

「それと……、あの者の家紋は卍ではなく逆向きの……」


                9

 今夜のオードブルの食材は、かつて信長公にその禿頭をからかわれ、「金柑頭」と呼ばれた男だ。魔王閣下には、その男の娘婿のものをサーブした。

 戦いに敗れ死んだ者たちが集められるヴァルハラ宮殿の最下層、通称「裏切り者の間」で、狼たちに食い荒らされた死体の山から彼らを探しだすのには苦労したものだ。400年前の食材にしては、悪くない状態だったのがせめてもの救いだ。


 今夜のメニュー

 ・ストゥング酒 660年物(明智光秀の髑髏の杯に入れて)

 ・明智光秀の脳味噌のムニエル

 ・焼き味噌の湯漬け

 ・金柑の甘露煮


                10

 晩餐の片づけを終え、いつものように、客人の反応やレシピの改善点を書き留めている最中に、視界の隅、窓の外で火の手が上がるのが見えた。

 あれは確か、魔界の第31位を占めるヒトラー閣下の領土だったはずだ。後から聞いた話では、信長公は、以前から衝突していたアドルフ・ヒトラーとその配下の29の軍団の一族郎党を、一夜にして誅滅し、広大な領土すべてに火をかけたという。かつて比叡山延暦寺でそうしたように。

 万を超える人々の嘆きを燃料に、一切合財を貪欲に呑み込む炎が赤々と燃えるさまは、とてもとても綺麗だった。


 ぼくの名は、ジフラール・クロロフィル。魔界の第36位を占める魔王ハーゲンティ閣下の料理人だ。

うーん…脳味噌と焼き味噌で味噌がダブってしまった。

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