第十八話 一と千の兵
朝のうちに準備しておいた魔方陣の上に着地したエレアノーラは辺りを見渡した。周囲には人の山が出来ている。敵陣の中央に意図的に出現したのだから当然だ。
不可侵の森の手前には白色の外套を羽織った魔道士。そして、後方には結界を突破した後、突入する兵士たちが控えていた。
魔道士の割合は少なく、結界を破った後は兵士達が城を襲撃する手筈となっていたのだろう。
どれも甲冑を身に纏い、槍や剣を持っている姿は凄みがある。とはいっても、しょせん威圧感があるだけで、エレアノーラの敵ではなかった。
甲冑に身を包んだ兵士たちは突然現れたエレアノーラに驚いたように声を張り上げた。
「貴様、何者だ!?」
「何者も何も、傲慢のレギナ様だよ」
「敵襲! 敵襲! 魔術師が現れたぞ!」
そう答えると同時に突き刺すように飛んできた槍や剣を短杖で払い避けながらふわりと宙に舞った。
短杖を構えなおすと、兵士に向けて詠唱する。
「オーキュペテの迷子 痛みと悲しみ 溢れ滴り落ちる それでも誰も気づかない」
追撃するように槍が空高く突き上げられるが、まるで風を操るかのように器用に避けながらエレアノーラは呪文を口ずさむ。
「悲劇ノ錘」
短杖から不可視の打撃攻撃が放たれ、周囲にいた兵士たちの手に持っていた武器が粉々に砕け散った。
頭上から直に食らった打撃攻撃に、地にのめり込む兵士を頭から踏みつけ、沈没させる。息をつく間もなく、エレアノーラへと攻撃を仕掛けてくる兵士たちを短杖で殴り飛ばした。
甲冑を着込んだ兵士がたやすく吹き飛んでいく。仲間を巻き込みながら倒れる兵士たちの姿を眺めながら短杖を構え直した。
嵌められた魔硝石が光を放つ。周囲を覆い隠そうとする兵士たちに向け、詠唱する。
「ハルピュイアの慟哭 絶望と切望 永遠と繰り返す 迷子を見つけだすまで」
「そんな初級魔法で一体何をする気だ!」
吠えるような罵声と共に迫ってきた剣を短杖で受け止めた。
甲高い音を響かせながら火花が散る。燃え滾る殺気の篭った眼差しにエレアノーラは薄っすらと微笑を口に浮かべた。
絶望のように底の見えぬ金色の瞳に一瞬怯んだ兵士を嘲笑うようにエレアノーラは鼻を鳴らす。
「ふん。初級魔法を莫迦にするとは、その頭はただのお飾りのようだな。その身を持って味わうといい。お前が莫迦にした初級魔法がどれほどの威力を持っているのかを」
エレアノーラは兵士の攻撃を払いのけ、跳び離れると呪文を唱えた。
「悲嘆ノ鉄槌」
「ぐあっ!」
目に見えぬ音速の打撃が、円周状に広がっていく。反射的に盾で防ごうとする者もいるが、それすら打ち砕き、不可視の攻撃は兵士達を地に沈めていく。
確かに彼らの言っていることは正しい。悲劇ノ錘や、悲嘆ノ鉄槌は初級魔法だ。術者が捕らえた相手を音速で叩き潰す、ただそれだけの至ってシンプルな打撃攻撃である。
しかし、そのシンプルな攻撃がエレアノーラは好きだった。属性もなく、単なる物理攻撃は込められた魔力に応じて敵を倒してくれる。
だが誰でも覚えられる魔法でもあるため、あまり術者が好んで使用するような魔法ではなかった。
実際に悲劇ノ錘や、悲嘆ノ鉄槌を実戦で扱っている者を見たことがなかった。
魔法を覚えるにあたって、とりあえず初歩の魔法だから覚えているに過ぎないのだ。確かに初級魔法は基礎の基礎。だからこそ初級魔法は小難しい魔法より扱いやすく、効率よく相手を倒せることをエレアノーラは知っていた。
初級魔法は魔法の原型ともいえるものだ。下級から上級に上がるにつれ魔法は複雑となり、人の手が加えられた物に変わっていく。
確かにそういったものの威力は凄いだろう。それは分かっている。だが、それだけでは敵を倒せないのだ。
魔力をいかに温存しながら、どれだけの敵を屠れるか。効率よく敵を排除出来るか。無慈悲な戦場において、それ以外の理由など存在しない。
現に初級魔法とはいえ、直撃を食らった兵士たちは力なく地に平伏し、身動き一つしない。
人間たちが信仰する女神の加護が施された盾や武器は粉砕され、防護魔法の印が彫られた甲冑は罅割れ、鎧としての役目をすでに果たしていた。
こっけいな王国兵の姿を尻目にエレアノーラは短杖を構えなおした。
一度の攻撃で倒せる数は十からニ十人前後といったところか。初級魔法とはいえ、本来ならば防護魔法の施された装備をした相手ならば近くにいるニ、三人ほど倒せれば十分過ぎるほどなのだ。
一般の常識を覆すほどの威力に怯えの色を浮かばせる者もいた。これが普通の魔術師と大魔術師の違いなのかと思い知ったかのような、絶望に染まった顔はある意味笑いすら誘う。
普段、大魔術師ほどの実力者ともなると、表舞台にはめったなことでは現れない。そのためか、短命な人間たちはすぐに忘れてしまう。
この世でもっとも敵に回すと面倒な存在のことを。
まるで死んでしまったように動かない兵士達を足蹴にし、次なる獲物を求め、魔法を放つため短杖を構えるエレアノーラは傲慢の名に相応な冷徹無慈悲な仮面を被っていた。
「さて、初級魔法でいたぶられ、蹂躙され、殺されることがどれだけ屈辱なのか思い知るといい。頭でっかちの王国兵どもが!」
エレアノーラの大声に対抗するかのように、兵士達の雄叫びが周囲に響きわたる。まるで全てを呑み込むほどの大声に空気がビリビリと揺れた。
大魔術師とはいえしょせん相手は一人。数では圧倒的に王国兵たちの方が勝っている。どうってことないと思っているのだろう。
もちろんその点も考慮して、敵陣のど真ん中に現れたのは魔道士の一斉攻撃を防ぐためだ。
いまエレアノーラの周囲には王国兵がひしめき合い、仲間に当てずに攻撃することは不可能な状態だ。自分に攻撃を当てたいのならば、それこそ仲間を犠牲にするしか攻撃する方法はない。
もっともそんなことをしても自滅行為にしかならず、王国兵の数が減るだけだ。故に手を出したくとも手を出せない魔道士たちを嘲笑いながらエレアノーラは思う存分魔法を操る。
エレアノーラが魔法を発動するたびに人がゴミ屑のように吹き飛んで行くのが分かった。草原に叩きつけられ、呻き声を漏らす者もいれば、動くことすら出来ない者もいる。
たった一人の魔術師に千人近くいた兵たちがなす術なくやられているのだ。ふつう初級魔法とはいえ、これだけ連続して魔法を発動していれば魔力切れを起こしそうなものを、エレアノーラは息一つ乱すことなく発動し続けているのだ。
休む間もないというのに、一寸の狂いも無く目標を吹き飛ばす。命までは取らないが、負傷した兵士は動くことすら出来ぬ具合だ。
まるでじりじりと追い詰めるようなエレアノーラの攻撃を一方的に食らい、半分ほどの兵士がやられた時だろうか。
目の前で悲劇ノ錘を剣で弾き飛ばされたのを目撃したエレアノーラは更に踏み込んでくる一人の兵士に視線を向けた。
他の兵士と違い、華美な装飾が施された甲冑に魔力を帯びた剣。ほう、と感心したように呟いた。
「ようやく隊長格のお出ましか。ずいぶんと遅い登場だな」
「貴様が傲慢のレギナか」
「いかにも、私が傲慢のレギナだ」
間合いを開けたまま隙を探るように見つめる兵士の視線を一身に受けながら、エレアノーラは首肯した。
むしろその立ち振る舞いは堂々としたものだ。怖れることなど何一つない、強い意思の篭った金色の双眸に兵士は険しい表情を浮かべながら硬い声で告げた。
「我が名はクロード。バルトシュア王国騎士隊長だ。罪人、傲慢のレギナ。エティエンヌ妃殿下を拉致した罪で貴様を裁く!」
「おいおい、人の話すら聞かないで突っ込んでくるのは頭でっかちな王国兵の特徴なのか?」
「黙れ! 下種な魔術師の言葉に耳を傾ける軟弱者なんぞこの王国兵にはおらん!」
エレアノーラの嘲りすらもばっさり切り捨て、手にした剣を勢いよく振るう。空気を切る音と同時にエレアノーラの頭上を銀色の光が一閃した。
さすがに隊長格ということもあり、魔法で強化された剣は切れ味がいいようだ。逃げ遅れた髪の毛を数本持っていかれた。
ぱらりと落ちる銀色の髪を眺めながら、エレアノーラは喉を突き刺すような鋭い攻撃を避ける。早いだけではなく、打撃力も中々にあるようだ。
油断すれば怪我を負いかねない攻撃にやっと手応えのある好敵手が現れたと喜びの笑みを広げた。
「いいな、お前! 久しぶりに面白そうな相手だ!」
そう呟くや、エレアノーラは握っていた短杖を剣に形を変えた。銀色の刀身は鋭く、柄の部分に魔硝石がはめ込まれている。
疾風のように突っ込んできた隊長と打ち合いをする。一発、二発、三発と刃を合わせ、相手の実力を推し量る。こんな機会なかなかあるものではないから、余計に楽しかった。
男も魔術師の癖に接近戦で挑んできたことに驚いているようだったが、その考えを改めたようだ。
「貴様……魔術師の癖に、接近戦が得意のようだな」
「ご名答。私は緻密な魔法を操ることよりも、肉体戦の方が好きなんだ」
「しかし、接近戦ならば私の方が有利なことに変わりはない!」
「言ってくれる」
揺るがない自信に満ちた双眸を真正面から受け止めながら、激しい打ち合いを繰り返す。他の兵士は手を出したくとも出せない状態なのだろう。
下手をしたら騎士隊長に当たる可能性もある。一対一を純粋に楽しんでいたエレアノーラであったが、いい加減受け流すのにも飽きたのか、攻めに転じることにした。
剣を持っていた手を右手から左手に変える。そして柄を握りなおすと、勢いよく地面を蹴った。
先ほどと同じようにエレアノーラの攻撃を受け止めようとする騎士隊長だったが、結果は受け止めきれず、受け流す結果となった。
驚いたように握った自分の手を見下ろしているが、そんなのを待ってやるほど優しくはない。遠心力をつけるように体を回しながら下から切り上げた。
庇うように剣を構えるが、受け流すならともかく、躊躇しながら構えられた剣はエレアノーラの攻撃により勢いよく吹き飛ばされた。
押し殺せなかった衝撃に背中から倒れる騎士隊長の首元に剣先を突きつけた。
「チェックメイトだ。残念だったな、騎士隊長サマ」
嫌味ったらしく様付けすれば、騎士隊長の表情が更に険しさを増す。そんな様子をせせら笑うかのように唇をつり上げた。
「さて、準備も整ったことだし……そろそろ王都へご帰還願おうか?」
「何だと?」
敗れた騎士隊長の言葉を無視し、エレアノーラは早朝のうちに仕掛けておいた魔法を発動させることにした。
エレアノーラの魔力に反応した魔方陣が赤い光を放つ。草原の下に隠されていた魔方陣の存在に驚いたように騒ぎ出す王国兵。
混乱の波が徐々に広がる中、魔方陣に魔力が行き届いたのを確認したエレアノーラは嫌味ったらしく手を振るった。
「さらばだ、王国兵諸君。私に勝つには千年早かったようだな。本気で勝ちたいのなら一万の兵でも連れてくることだ」
そう呟くのと同時に魔方陣は発動し、草原にいた王国兵は一人残らず消えていた。今頃王都の手前に叩き落されていることだろう。
落下する場所は指定したが、移動させる数が数だっただけに結構乱暴に発動させてしまったのだ。
朝のうちに準備していたとはいえ、所詮は下準備にすぎない。まあ、殺してはいないし、全治何ヶ月の奴も中にはいるだろうが、問題はないだろう。
もし仮に死者が出たとしたら、出現先で着地に失敗した王国兵たちの下敷きになった者くらいか。
どちらにしてもエレアノーラは殺していないので、どうでもよいことだ。一仕事を終えたエレアノーラは体を解すように腕を回した後、屋敷に戻るため移動魔方陣を展開したのであった。