第十一話 不変の魔女
大魔術師の称号を持つほどになると、他の大陸に移動することすら面倒な手続きを踏まなければならないことが取り決められていた。
そこには何枚もの申請しなければならない書類や、装備の検査なども含まれている。もちろん普通の魔術師はそこまで精密な検査などしないだろうが、それだけ力がある重要人物して扱われているからこその対応だった。
だからこそ、今回の事態はかなり異例のできごとであった。
依頼されたのはほんの数刻前のことであったのに、面倒な申請を全てすっ飛ばし、最終工程ともいえる移動魔法陣が屋敷の床に出現したのだ。
準備などどうでも良いから早く来いということなのだろうが、さすがにこれはどういうことかと考えてしまう。
長いこと姿をくらましていた傲慢のレギナが見つかったという報告は届いていたが、その仲裁に赴いたシンからの要請であった。
確かに大陸が離れているとはいえ、この暴食大陸に届くほど強い魔力の余波が届くほど強い魔法を放ったのも事実だ。
とはいえ、明日には赴くと返事をしたのにも関わらず移動魔法陣が出現したということは急を要する出来事が起こったのだろう。
もっとも、その内容を何となく理解できる魔術師は傍で赤い光を放つ移動魔法陣を眺めている悪魔にいった。
「グラ、念のためにスペルビアの所に行って説明しといてくれないかい? 私は不法侵入したわけじゃないとね」
「んなもんいわなくても、アイツは周知してるだろ」
「さて、どんなもんかねぇ……ああ見えてシンは抜けているところがあるから念には念をしといても問題ないと思うよ」
「上手いこといっているが、つまり体のいい使い走りじゃねぇか」
「否定はしないね」
実際彼女にとって契約している悪魔は体のよい使い走り程度にしかならない存在だった。実際には悪魔と契約する場合、一生奴隷として扱われるのが一般的だ。
だがその常識を覆す存在がいたのが、大魔術師と呼ばれる魔術師達である。悪魔と契約することにより、手に入れた力で悪魔と立場を逆転させた者。
それが大魔術師と呼ばれる者のほとんどがそうであった。もちろんその類であったことを否定はしない。何せ悪魔であるグラトニーを陶器で出来た人形に閉じ込めたのは他でもない自分だからだ。
金髪の巻き毛に、翡翠色の硝子玉が嵌め込まれている。滑らかな陶器の肌にふっくらと色づけられた唇。
三十センチ程度の小ぶりな人形に閉じ込められた悪魔は屈辱的な姿に暫くの間、言葉を失ったほどだ。
それほど衝撃的な姿だったのだろうが、今では自分の体のように動かしている。多分他の魔術師に比べ、一番酷い扱いをしているのかもしれないが、自業自得という言葉が頭を過ぎった。
そもそも彼女を怒らせなければこんな姿になることはなかったのだ。
「さて、あまり待たせていると後が怖いからね。早く行くとするか」
「しょうがねぇなぁ。俺様もさっさと済ませて帰ってくるとするか」
面倒そうにごちりながら別の移動魔法陣を発動させると、一足早くスペルビアの方へと飛んで行った。それを見送りながら魔術師は移動魔法陣に足を踏み入れる。
短杖や指輪は装備しているから特に持って行くものもないだろう。短い詠唱を口にすると、移動魔法陣が赤い光を強く放ち始めた。
そして一瞬強く放たれた閃光の後、魔術師の姿はその場から消えたのであった。
数秒ほど浮遊感の後、ふわりと爪先から踵へと無事に床へと着地した。ふわりとドレスの裾が揺れ動き、その上から羽織った外套がまるで羽根のように舞い踊る。
緩くウェーブがかった金色の長髪が風に揺れた。頬に冷たい風を感じた魔術師は怪訝そうに視線を上げる。
室内に呼ばれたはずなのに、何故風を感じるのだろうか?
ささやかな魔術師の疑問は辺りを見ればすぐに答えを教えてくれた。豪奢な装飾が施されてあったであろう部屋は無残にも崩れ落ち、頭上を彩るシャンデリアはおろか、天井すら抜け落ちていた。
一部屋どころの話ではなく、屋敷が半壊している状態に思わず呆気にとられた。
どこからどう見ても魔力を暴走させたとしか思えない光景に思わず噴出してしまう。
ここで笑ってしまうのは不謹慎であることは承知している。が、笑いを堪えることなど出来なかった。
高級そうな家具が消し炭となった姿を眺めながら唇を震わせる。ひとしきり笑った後、魔術師は至極楽しそうな声を漏らした。
「こりゃあまた、随分と派手にやらかしたねぇ、レギナ」
「シンが下らないことをしでかしたからだ」
「なるほどねぇ……まあ、奴のやりそうなことなんて想像がつくが、これの修復もつけの内に含まれるのかい?」
「いいや、屋敷の修復は全てシンにつけておけ」
半壊した瓦礫の山に背を向け、凛と立つ女性に視線を向ける。はっとするような美貌を持っているのにも関わらず、無表情のまま冷たく言い放つ。
不機嫌な女王さまのご機嫌とりまではする気になれず、魔術師は笑みを浮かべたまま「そうかい」と短く頷いておいた。
見たこともないほど怒り狂っている同胞を尻目に魔術師は魔法を発動させた。確かにそれは魔法に分類されるが、特殊なであった。
――事象の回帰。
魔法を操る者なら一度は憧れる魔法の一つであった。誰だってふいに壊れてしまった物を直したいと、純粋にそう思うだろう。それを可能にするのが事象の回帰と呼ばれる高位魔法だ。
時空間を操れる者にのみ修得可能な魔法で、誰彼使えるものではない。もちろん才能がものをいうこともあるが、実際完璧に扱えるのは知る限りでも数名しかいなかった。
仮に操れたとしても、それは不安定なものでとても完璧とは程遠いものだったからだ。
もちろん同じ大魔術師であっても傲慢のレギナや、色欲のシンは当然のことだが扱えない。大魔術師で扱える存在がいるとしたら、あとは行方不明になっている虚飾のフェイタルくらいだろう。
魔力の流れを感じながら想像する。魔法とは本来、想像の力だ。それを呪文にし、発動する。つまり想像することを完璧にやってのければ理論上、詠唱など必要ないのだ。
もっとも、そうは上手く行かないのが現実というもので、少なからず魔法を発動する際には呪文を使用する。もっとも、彼女の場合、得意とする時空間魔法以外は詠唱しなければ発動することすらままならない。
そこのところが他の魔術師よりも劣っていると感じる部分ではあるが、時空間魔法を操れる彼女は大魔術師の中でも上位に食い込むほどの実力者であった。
一瞬にして半壊した屋敷が元通りに戻って行く光景を眺めていたレギナが満足そうに頷いた。
「さすが暴食のヴァール。仕事の完璧度は他の魔術師とは比べ物にならないほど素晴らしいな。……どこかの愚か者と違って」
「私からすれば、そんな莫迦と一緒にしないでほしいところなんだがねぇ」
「それはすまない」
真顔でそう告げられ、思わず唇を震わせる。どうやらまだお怒りのようだ。何を仕出かしたのかは知らないが、相当レギナの逆鱗に触れるようなことをやらかしたに違いない。
本当であれば爆笑したい衝動に狩られたが、それをやった日には次は自分の身が危ないと分かっているため必死で堪える。
それにしても、だ。
「当の問題児はどこに居るんだい? 人を呼びだしておいて、姿を見せないとはいい度胸をしているねぇ。いつから色欲のシンはそこまで偉くなったのやら」
「それはすまなかった。呼びだしたというのに直ぐに顔を出さなくて」
「……」
艶やかな声が聞こえ、修復された扉に振り返ればそこには盛大に顔を腫らせたシンが立っていた。無駄に整っている顔をしているだけに顔半分の腫れあがり方が尋常じゃなかった。
どこからどう見てもレギナに殴り飛ばされた痕だろう。あまりにも痛々しい姿に思わず口元を片手で覆い隠す。
憐れみというよりも、笑いを堪えるので必死だった。目許があからさまに弛んでいるのが分かったのか、シンが珍しく苦い表情を浮かべるのが分かった。
確かに色欲を司る大魔術師の顔面を容赦することなく、殴り飛ばせるのはある意味レギナくらいなものだろう。
笑いを噛み殺しながら長身のシンに手を伸ばす。シンが立っていると百八十センチを優に越えるため、どう考えても身長が届かない。そのため背伸びする必要があった。
そっと頬に手を振りかざすだけで痛々しい頬の腫れが引き、元の見た目麗しい美貌が元通りになった。
その様子を不服そうに見つめているレギナに気づき、楽しそうに提案する。
「私が居る間だったら何度でもシンを殴り飛ばしてもいいぞ? いくらでも治してやろう。ただし、報酬はその都度キッチリ支払ってもらうがね」
「それだけは遠慮してほしいところだ。これ以上レギナに殴られるのは正直辛いし、痛い」
「おや。どうせ先に手を出したのはお前さんの方なんだろう? 自業自得じゃないか」
瞳を細めながら、意味深に笑えばシンは「それをいわれると辛いな」と笑い返す。しかし、レギナに殴られるのはもう勘弁だとその微笑みが物語っていた。
そもそも、悪戯好きな憤怒のアエシュマや強欲のダハクが普段から殴られているのを目撃しているのだから、自重しておけばよかったものをつい、ちょっかいを出したくなったのだろう。
そしてその結果がこれだ。
存外魔術師というものは長生きする種族のためか、時折無性に刺激が欲しくなったりするものも多々いる。
それがどうあれ、今回はシンが悪いことは明白だ。唇をゆがめると、嘲るように笑った。
「後でお前さんの所に請求書を回しておくとしよう。さて、これでも私は忙しい身だからね。このまま依頼どおり、周辺の被害を元通りに戻してから帰るとしよう」
「度々すまないな、ヴァール」
「これも仕事の内だから問題ないさ。それよりもお前さんに不変の魔女として、一つ忠告しといてやろう」
改まった口調にレギナの顔から表情が消えるのを眺めながら口を開いた。
「古の盟約が果たされる時が訪れた。汝は選ぶこととなるだろう。消失の痛みを背負うか、それとも貪欲なまでに奪うか――」
「……何のことだ?」
「詳しいことはいえぬが、そう遠くない未来に選ぶ選択肢の一つさ。何だったら先見を得意とするシンに聞いてみるといい。より詳しく知っているだろうからねぇ」
未来を見ることの出来るのは何も自分だけではない。先見を得意とするシンも遠からず訪れるその未来を知っているのだろう。
もっとも、それについて助言するかどうかは別だ。ただ自分の場合は面白くなるから教えただけ。ただそれだけだった。
「それではヴァルプルギスの夜宴にて」
裾を掴み、礼をすると姿を消す。これから闇は更に深まり、魔術師にとって活動しやすくなる時間帯だ。
まだ傲慢大陸でやることはたくさんあるため、夜の帳へとかけ出したのであった。