【連載版あり】番外編:お嬢様が勇者パーティーを追放されたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!
※本作は、連載版『お嬢様ああああああああああああああああ!!!!』と同じ登場人物・題材を用い、短編として構成と展開を再執筆した作品です。
「エレノア嬢。君には今日で、勇者パーティーを外れてもらう」
魔境入口の宿場町。
王命を受けた勇者パーティーが滞在する宿の一室で、勇者アレクはそう告げた。
公爵令嬢エレノア・アルヴァインは、手元の帳簿から顔を上げる。
明朝の出発時刻。
魔境へ入るための通行許可証。
瘴気除けの香の残数。
魔力回復用の魔石。
聖水の保管状況。
食料と飼料。
負傷者が出た場合の搬送先。
それらを確認していた指先が、静かに止まった。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか」
「理由?」
アレクは鼻で笑った。
「戦えない者は、勇者パーティーには不要だからだ」
剣士バルドが椅子の背にもたれる。
「不要どころか邪魔だろう。魔物が出るたびに、公爵令嬢様が傷つかないよう守らなきゃならない。自分で歩く分、荷物より扱いにくい」
魔法使いミリアも、卓上の帳簿を見て肩をすくめた。
「毎日、数字を書いて、荷物を数えて。そんなことで勇者パーティーの一員のつもりでしたの?」
「私は遠征補佐として――」
「誰でもできますわ」
ミリアが遮る。
「字が書ければ帳簿はつけられます。わたくしたちが命を懸けて戦っている間、あなたは安全な場所で紙を眺めていただけでしょう?」
神官オルドも頷いた。
「聖水の管理も、神に仕える私が行えばよいことです。公爵令嬢のお遊びで神殿の仕事に口を出される必要はありません」
弓使いカイルは、退屈そうに矢筒を弄んだ。
「戦闘中に死なれても迷惑だ。公爵家から責任を問われる前に、帰ってもらった方がいい」
エレノアは、一人ずつ彼らを見た。
雨で街道が崩れたとき、迂回路を探した。
バルドが熱を出した夜には、眠らず医師を捜した。
ミリアが魔力を使い果たしたときには、回復用の魔石を融通してもらった。
カイルの弓弦が湿らないよう、宿の暖炉の位置まで確認した。
オルドが滞りなく祈れるよう、神殿への申請を先回りして整えた。
アレクが前だけを見て進めるよう、すべての雑事を引き受けた。
けれど彼らにとって、それは誰にでもできる雑用だったようだ。
「皆様は、私がこれまで行ってきた仕事を、不要だとお考えなのですね」
「仕事などと大げさに言うな」
アレクが立ち上がる。
「食料を数え、宿を取り、書類に署名しただけだろう」
彼は、エレノアへ冷たい目を向けた。
「そもそも君は、本当に俺たちを支えるために来たのか?」
「どういう意味でしょう」
「魔王討伐の功績が欲しかったのだろう」
エレノアの目が、わずかに見開かれた。
「勇者パーティーに同行した献身的な公爵令嬢。魔王を倒した英雄を陰で支えた女。公爵家の名を上げるには、悪くない肩書きだ」
「私は、そのような目的で同行したのではありません」
「そう言うだろうな」
アレクは帳簿を閉じた。
「戦えないくせに勇者一行へ紛れ込み、雑用をしただけで仲間を名乗る。正直、前から目障りだった」
「私は仲間だと名乗ったことは――」
「なら、ちょうどいい」
アレクは冷たく言い放つ。
「最初から仲間ではなかった。そういうことだ」
胸の奥へ、鋭いものが刺さった。
それでもエレノアは、顔を伏せなかった。
「……承知いたしました」
帳簿を閉じ、静かに立ち上がる。
「本日をもって、遠征補佐の任を辞します」
「最初からそう言えばいい」
「ただ、最後に一つだけ。明朝は激しい雨が予想されます。北の峡谷は増水しますので、東の旧街道を――」
「そういうところだ!」
アレクが書類を奪い、卓上へ投げ捨てた。
「もう君の指図は受けない!」
「指図ではありません。皆様の安全のために」
「余計なお世話だ。俺は勇者だぞ? 崖が崩れようが、魔物が出ようが、剣で道を切り開く」
バルドが笑う。
「公爵令嬢様には分からんだろうな。戦う者は、机の上で道を選ぶんじゃない」
ミリアが扉を示した。
「荷物は裏口へ移してありますわ。お部屋も物資置き場に使いますので、早く出ていってくださいませ」
エレノアは彼らを見渡した。
怒鳴らない。
泣かない。
ただ深く、一礼する。
「皆様の旅路に、どうかご加護がありますように」
誰も返事をしなかった。
扉を閉める。
その向こうから、バルドの笑い声が聞こえた。
「最後までお上品なこった」
「ようやく厄介払いができたな」
アレクの声が続く。
「これで足手まといを守る必要もない」
エレノアは足を止めなかった。
けれど、宿の廊下を歩く指先は、ひどく冷たくなっていた。
***
エレノア本人よりも先に、報せは公爵家へ届いた。
「エレノアお嬢様が、勇者パーティーから追放されたそうです」
公爵家の衣装室。
侍女マリベルの手が、ぴたりと止まった。
その手には、エレノアが帰還した日に使う予定の室内用ガウンがある。
長旅で疲れたお嬢様が屋敷へ戻ってすぐ肩に掛けられるように。
そう思って、マリベルが自ら整えていたものだ。
報告に来た若い従僕はそっと半歩下がった。
まずい。
この静けさは、まずい。
「……理由は?」
マリベルは、ガウンから目を上げずに尋ねた。
声は穏やかだった。
だからこそ、従僕の背筋に冷たいものが走る。
「そ、それが……戦えない公爵令嬢は足手まといだ、と」
ぶちり。
ガウンを結ぶ細い紐が、マリベルの指先で切れた。
従僕は震えた。
結び紐は悪くない。
悪いのは勇者である。
「お嬢様が」
マリベルは静かに言った。
「足手まとい?」
「勇者様方が、そうおっしゃったとか……」
「なるほど」
マリベルは切れた紐を見つめた。
それから懐から裁縫道具を取り出す。
一針。
もう一針。
怒りで指が震えているとは思えないほど正確な手つきで、紐を元より丈夫に縫い直した。
「お嬢様の物を壊してしまうところでした」
「は、はい」
「反省いたします」
マリベルはガウンを丁寧に畳む。
これは、お嬢様の物である。
粗末に扱ってはならない。
壊してよいのは、勇者の尊厳だけだ。
「お嬢様は、まだ宿場町に?」
「王都へ戻る馬車を待っておられるかと」
「そうですか」
マリベルは深く頷いた。
畳んだガウンを棚へ戻す。
そして振り返ったときには、その右手に黒塗りの鉄扇が握られていた。
いつ取り出したのか。
従僕には分からなかった。
分かりたくもなかった。
「お嬢様が勇者パーティーを追放されたですって!?」
マリベルが廊下へ踏み出す。
次の瞬間。
「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」
公爵家の廊下に、マリベルの絶叫が響き渡った。
衣装箱を抱えた侍女が壁際へ退避する。
花瓶を運んでいた下働きが、その場にしゃがみ込む。
厨房では料理長が無言で鍋の火を弱めた。
廊下の先には、すでに老執事が立っていた。
「飛竜を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」
そばにいた従僕が尋ねる。
「馬車ではなく、飛竜でございますか」
「最速のものを」
「ほかには?」
老執事は、鉄扇を握って玄関へ向かうマリベルを見た。
「祈りだな」
「マリベルさんの無事を?」
「いや」
老執事は静かに目を伏せた。
「勇者たちの無事をだ」
公爵家の使用人たちは、即座に動き出した。
***
一方その頃。
足手まといを追い出し、身軽になったはずの勇者パーティーは宿場町から一歩も出られずにいた。
「魔境通行証と、武具持込証をご提示ください」
関所の係官が、無表情に手を差し出す。
アレクは腰の聖剣を示した。
「俺は勇者だ」
「存じております。通行証と武具持込証を」
「勇者が聖剣を持って魔境へ入るんだぞ」
「ですから、その証書をお願いいたします」
アレクは仲間たちを振り返った。
「証書は?」
バルドが首を傾げる。
「お前が持ってるんじゃないのか?」
「俺は受け取っていない」
ミリアが荷物を漁る。
「書類は全部、エレノア様の革鞄に入っていたはずですわ」
全員が黙った。
「では、立ち入りは認められません」
係官が告げる。
「俺は魔王を倒す勇者だぞ!」
「存じております」
「ならば通せ!」
「規則ですので」
アレクは苛立ちを押し殺し、別の道を尋ねた。
「北は昨夜の雨で増水しております」
「東は?」
「崖崩れで封鎖されました」
「南!」
「毒霧が発生しています」
「西は!」
「魔王軍の監視塔があります」
アレクは言葉を失った。
「なぜ、そんな重要なことを誰も教えなかった!」
バルドが怒鳴る。
係官は答えた。
「昨日、遠征補佐官の方へお伝えしました」
昨夜、エレノアは雨と迂回路について説明しようとしていた。
アレクが遮った。
「道など、後でどうにでもなる」
アレクは強引に言った。
「先に瘴気除けと食料を整えるぞ」
物資商へ向かう。
だが、瘴気除けは品切れだった。
「勇者様方の分は、エレノア様が一月前に予約しておられます」
「なら、それを出せ」
「受取人はエレノア様です」
「俺たちのための品だ!」
「受取人変更には、公爵家の印章が必要です」
「そんなものはない!」
「では、お渡しできません」
食料箱を確認すれば、三日分しかない。
「十日分用意したはずでしょう!」
ミリアが声を上げる。
「箱の数を確認した者は?」
誰もいない。
オルドが、濁った聖水の瓶を抱えて現れる。
「勇者様。聖水が変色しています」
「お前が管理すると言っただろう!」
「直射日光を避ける必要があるとは知らず……」
「神官だろうが!」
「いつもは専用の箱に入っておりましたので!」
「その箱はどこだ!」
「エレノア様が管理を……」
また、エレノアの名前だった。
宿へ戻れば、部屋はすでに別の客へ貸し出されている。
「予備室は、エレノア様の名義で押さえられておりました」
宿の主人が説明する。
「エレノア様が宿を出られたため、契約も解除されました」
「食事は!」
「予約も取り消されております」
「なぜだ!」
「追放された方が、皆様のお世話を続ける理由がございませんので」
アレクは何も言えなかった。
追い出した相手が、今までどおり世話を続ける。
どこかで、そう思っていたのだ。
「……俺たち、本当に何もできないな」
カイルが呟く。
「黙れ」
アレクは認めなかった。
「慣れていないだけだ。こんなものは誰にでもできる」
その直後、宿の主人が請求書を差し出した。
「では、滞在費と騎獣の飼料代をお願いいたします」
数字を見たアレクの顔が固まる。
「高すぎる!」
「危険地域加算が含まれております」
「聞いていないぞ!」
「エレノア様には説明済みです」
アレクは請求書を押し戻した。
「先に神殿へ行く」
「勇者様?」
「聖女の祝福さえ受ければ、細かいことは後でどうにでもなる」
すでに、どうにもならないことをいくつも積み上げながら。
***
宿場町の神殿には、魔境へ向かう冒険者たちが集まっていた。
勇者パーティーが現れると、人々が道を開ける。
聖剣を持つ英雄たち。
向けられる期待の視線に、アレクは少しだけ自信を取り戻した。
「魔境へ入る。すぐに祝福を頼む」
奥から現れたのは、白銀の髪を持つ聖女リリアーナだった。
「皆様をお待ちしておりました」
リリアーナは一礼し、勇者たちの後ろを見る。
「エレノア様は、どちらに?」
「いない」
「お身体の具合でも?」
「パーティーから追放した」
リリアーナの表情が、すっと消えた。
「追放?」
「戦えない足手まといだからな」
神殿の空気が止まった。
リリアーナは、ゆっくりと聖杖を下ろす。
「祝福をお授けすることはできません」
「何だと?」
「皆様の旅へ、私は祈れません」
「俺たちは魔王を倒す勇者パーティーだぞ!」
「存じております」
「ならば祝福を寄越せ!」
「お断りいたします」
リリアーナの声には、明確な怒りがあった。
「エレノア様は、ご自分が評価されることもなく、皆様が無事に進めるよう準備を続けておられました。その御方を足手まといと呼ぶ方々へ、神の加護を願うことはできません」
バルドが苛立ったように言う。
「実際、戦えないだろう!」
「では、剣を振るわない私も足手まといでしょうか」
「聖女は別だ」
「なぜです?」
「祝福が使える」
「皆様に必要だから、ということですね」
リリアーナは静かに目を細めた。
「自分に必要な支えだけは尊び、目に見えない支えは雑用と呼ぶのですか」
誰も答えられない。
アレクだけが、まだ認めなかった。
「聖女まで、公爵令嬢に取り込まれたか」
リリアーナの眉が動く。
「取り込まれた?」
「王都で聞いたぞ。あの女に逆らった者は、皆、最後には頭を下げるそうじゃないか」
「それは、エレノア様が正しかったからです」
「公爵家の力に屈しただけだろう」
アレクは吐き捨てる。
「聖女まで、あの女の機嫌を取るために魔王討伐を邪魔するとはな」
「邪魔ですか」
聖女の穏やかな表情が、すっと消えた。
その瞬間。
「そこまでです」
礼儀正しい声が、神殿の入口から響いた。
黒い侍女服。
白いエプロン。
きっちり結われた髪。
背筋を伸ばし、足音ひとつ乱さず歩く侍女。
マリベルである。
その右手には、黒塗りの鉄扇が握られていた。
「公爵家侍女、マリベルと申します」
マリベルは完璧に一礼した。
リリアーナの顔から血の気が引く。
「マリベル様……」
「ごきげんよう、聖女様」
「勇者様」
リリアーナはアレクへ向き直った。
「今すぐ謝罪なさることをおすすめいたします」
アレクはマリベルを見た。
小柄な侍女。
武器は扇が一つ。
「この女にか?」
「騎士団と王城と大神殿と裁判所に、安全対策の規則を作らせた、ただの侍女です」
「何を言っているのか分からない」
「すぐにお分かりになります」
マリベルは勇者たちを見渡した。
「お嬢様を足手まといとお呼びになったのは、どなたでございますか?」
アレクが前へ出る。
「俺だ」
バルドも鼻を鳴らした。
「荷物と同じだと言ったのは俺だ」
ミリアは腕を組む。
「帳簿をつけるだけなら、誰にでもできますわ」
マリベルは微笑んだ。
「大変よく分かりました」
その笑みに、リリアーナが一歩下がる。
「分かったなら帰れ」
アレクが言う。
「侍女風情が、勇者の決定に口を出すな」
「口を出すつもりはございません」
「なら何をしに来た」
「事実確認でございます」
「何の事実だ」
「皆様が、お嬢様を足手まといと呼べるほど有能でいらっしゃるのかを」
バルドの顔が歪んだ。
「侍女ごときが俺たちを試すだと?」
「すでに結果は出ております」
「何だと」
「通行証なし。瘴気除けなし。食料不足。聖水は管理失敗。宿泊先もなし」
マリベルはにっこり微笑む。
「魔境へ入る前から、見事なご活躍でございますね」
「黙れ!」
バルドが剣を抜いた。
「まあ。侍女相手に剣を?」
「貴様が侍女らしく控えないからだ!」
「では、剣の扱いから学び直していただきましょう」
マリベルの鉄扇が、ぱちりと開く。
黒い扇面に、金文字が輝いた。
『お嬢様第一』
バルドが踏み込む。
次の瞬間。
ぱん。
乾いた音が響いた。
バルドの剣が宙を舞い、神殿の武器掛けへ綺麗に収まる。
「俺の剣が……」
「抜くべきでない場所で抜いたものは、片づけるのが礼儀でございます」
鉄扇が膝裏へ軽く触れる。
バルドは、その場に正座していた。
「なぜ正座!?」
「反省の姿勢でございます」
「反省などしていない!」
「では、これからなさってくださいませ」
バルドは立ち上がろうとしたが、マリベルが鉄扇をわずかに持ち上げただけで、その膝は再び床へ戻った。
「次の方」
「次の方じゃないわよ!」
ミリアが杖を掲げる。
「疾風よ、切り裂きなさい!」
鋭い風の刃が迫る。
マリベルは数枚のハンカチを取り出し、風の中へ投げた。
布は切り裂かれず、風に乗って神殿脇の物干し紐へ飛んでいく。
一枚。
二枚。
三枚。
すべて等間隔に並んだ。
「まあ。乾燥にちょうどよい風でございます」
「わたくしの魔法を洗濯に使わないで!」
「ですが、風の強さにむらがございますね」
「批評までしないでくださいませ!」
ミリアが次の魔法を唱えようとする。
気づいたときには、彼女も正座していた。
「なぜ、わたくしまで!?」
「洗濯物を散らかしたためでございます」
「散らかしたのはあなたでしょう!」
カイルが無言で矢を放つ。
マリベルは三本の矢を、鉄扇の骨の間で受け止めた。
白いリボンで束ね、カイルへ返す。
「どうぞ」
「何だ、これは」
「贈答用の矢束でございます」
「俺の攻撃だ」
「お気持ちだけ頂戴いたします」
カイルは矢束を抱えたまま、自分から正座した。
「判断が早くて大変よろしい」
「勝てないと分かった」
「賢明でございます」
神官オルドが結界を張る。
「聖なる守りよ!」
マリベルは結界を見て、首を傾げた。
「少々、斜めでございますね」
「結界に角度など関係ありません!」
「お嬢様の御前に置かれるものは、まっすぐでなければなりません」
鉄扇の先で押す。
結界が傾く。
さらに押す。
光の壁が折り畳まれていく。
最後には四角く畳まれ、オルドの腕の中へ収まった。
「結界が畳まれた……」
「使用後は片づけるのが礼儀でございます」
オルドは光の塊を抱えたまま正座した。
「もう抵抗いたしません……」
「大変よろしい」
残ったのは、勇者アレクだけだった。
「俺は神に選ばれた勇者だ!」
聖剣を抜く。
「侍女などに屈するものか!」
「私はただの侍女でございます」
「ただの侍女が結界を畳むな!」
アレクが踏み込む。
聖剣を、マリベルの鉄扇が正面から受け止めた。
激しい金属音。
白い光が弾ける。
それでも、マリベルの足は動かない。
「なぜだ……!」
「踏み込みが浅うございます」
「何だと!」
「お嬢様のお荷物一つ運んだことのない足では、その程度なのでしょう」
鉄扇を僅かに捻る。
聖剣が宙を舞った。
マリベルは布で包んで受け止める。
「聖剣を布巾で!?」
「刃物へ素手で触れるのは危険でございますので」
聖剣を壁へ立てかけ、アレクへ向き直る。
「剣を落とし」
一歩近づく。
「道も分からず」
もう一歩。
「食料も、宿も、聖水も失い」
にっこりと微笑む。
「それでも、お嬢様を足手まといとお呼びになった」
アレクの額に汗が浮かぶ。
「では、お尋ねいたします」
鉄扇が、ぱちりと閉じた。
「本当の足手まといは、どちらでございましょう?」
次の瞬間。
アレクも正座していた。
「俺まで……!」
「大変美しい姿勢でございます」
「褒めるな!」
勇者パーティー全員が、神殿の床へ並んで正座していた。
そこでマリベルは、隣にもう一人座っていることに気づく。
「聖女様?」
「はい」
リリアーナも正座していた。
「エレノア様への侮辱を、最初の一言で止められませんでした。その責任を感じまして」
マリベルは深く頷く。
「自主的な反省。大変よろしい心がけでございます」
「ありがとうございます」
アレクが叫ぶ。
「なぜ聖女だけ褒める!」
「聖女様は、自ら反省なさっておりますので」
「俺たちは反省するようなことなどしていない!」
「でしたら、なおさら正座を続けていただきます」
そのとき。
神殿の入口から、静かな声が響いた。
「マリベル」
マリベルの肩が、びくりと跳ねた。
「お、お嬢様」
神殿の入口に、エレノアが立っていた。
旅装のまま。
エレノアは神殿内を見渡した。
正座する勇者。
正座する剣士。
正座する魔法使い。
正座する弓使い。
正座する神官。
自主的に正座する聖女。
そして、鉄扇を持つ侍女。
「これは何?」
「事実確認でございます」
マリベルは即答した。
「暴力だ!」
アレクが叫ぶ。
「礼儀作法でございます」
「違う!」
エレノアは額に手を当てた。
「マリベル」
「はい、お嬢様」
「帰ったらお説教です」
「はい」
「長いお説教です」
「はい」
「神殿で、勇者様方を正座させた件について」
「はい」
「反省してる?」
「お嬢様を足手まといと呼んだ方々に、ご自分のお立場を確認していただいた件については、反省いたしかねます」
「マリベル」
「ですが、神殿の床も壁も傷つけておりません」
「褒めません」
エレノアは、正座する勇者たちの前へ進んだ。
「勇者様」
「……何だ」
「私を、魔王討伐の功績を得るために同行した女だとおっしゃいましたね」
「……言った」
「私のしてきたことは、誰にでもできる雑用だとも」
「ああ」
「戦えない私は、荷物と同じだと」
バルドが目を伏せた。
「では、確認いたします」
エレノアは静かに問いかける。
「明朝の雨によって、通れなくなる街道は?」
「北の峡谷だ」
「迂回路は?」
「……分からない」
「食料は、あと何日分ありますか?」
「三日分だ」
「次の補給地点までは、九日かかります」
勇者たちの顔色が変わる。
「魔力回復用の魔石は、ミリア様が最大魔法を何度使えば尽きますか?」
ミリアは答えられない。
「カイル様、予備の弓弦はどこへ?」
「……君の革鞄だ」
「オルド様、濁った聖水を元へ戻す方法は?」
「分かりません」
「勇者様、聖剣が損傷した場合、修復できる職人は?」
「……知らない」
勇者たちは、誰も顔を上げられなかった。
「そんなことは」
アレクが苦し紛れに言う。
「別の誰かにやらせればいい」
エレノアは、まっすぐ彼を見た。
「その誰かを、皆様は先ほど追放なさいました」
アレクは言葉を失った。
「補佐の仕事は、誰にでも始められるかもしれません」
エレノアの声は静かだった。
「けれど、誰にでも務まる仕事ではありません」
食料は数えるだけでは足りない。
道は地図を見るだけでは決められない。
負傷者を運ぶ場所。
撤退する順番。
天候。
魔物の習性。
必要な薬と、その保管方法。
「剣を振るう方が、剣だけを見ていられるように」
バルドが俯く。
「魔法を使う方が、魔法だけに集中できるように」
ミリアが唇を噛む。
「祈る方が、祈りを途切れさせずに済むように」
オルドは聖水の瓶を握りしめる。
「勇者様が、前だけを見て進めるように」
アレクは、エレノアを見られなかった。
「そのために私はいました」
エレノアの指先が、ほんの少し震える。
「私は、皆様が私の仕事を知らなかったのだと思っていました」
静かな声が続く。
「けれど、違ったのですね。皆様は、知ろうとしなかった」
「エレノア嬢……」
アレクが、正座したまま掠れた声で呼ぶ。
「見えないから価値がないと決めた。剣を振るわないから、何もしていないと決めた」
エレノアは逃げずに、勇者を見つめる。
「戦えないから、何もしていなかったわけではありません」
誰も言葉を挟めない。
「私は功績が欲しくて同行したのではありません」
胸元へ手を添える。
「誰も死なせたくなかったからです」
アレクの表情が歪んだ。
「……すまなかった」
正座したまま、頭を下げる。
「君がしていたことを、俺は何も見ていなかった」
「いいえ」
エレノアは首を振った。
「見ようとなさらなかったのです」
その言葉に、アレクは何も返せなかった。
バルドも頭を下げる。
「荷物と同じだなんて、言っていい言葉じゃなかった」
ミリアも視線を落とした。
「誰にでもできると言いながら、わたくしには何一つできませんでした」
オルドとカイルも、それぞれ謝罪する。
アレクが顔を上げた。
「戻ってきてくれないか」
エレノアは、すぐには答えなかった。
「謝罪は受け取ります」
勇者たちの顔に安堵が浮かぶ。
「ですが、今すぐ補佐へ戻ることはできません」
「なぜだ」
「信頼が失われたからです」
エレノアは静かに答える。
「補佐は皆様の命を預かる仕事です。互いに信じられない状態では務まりません」
「では、どうすれば」
「まず、ご自分たちに何が足りなかったのかを理解してください」
その瞬間。
ぱちり。
マリベルの鉄扇が開いた。
「では、まず侍女見習いから始めていただきましょう」
「なぜ勇者が侍女見習いを!?」
「支える仕事を、誰にでもできる雑用とおっしゃった方々ですので」
マリベルは美しく微笑んだ。
「その容易さを、ご自身で証明していただきます」
「魔王討伐はどうする!」
「宿場町から出られない方が、魔王をご心配なさるのですか?」
「くっ……」
「まずは、目の前のお仕事からでございます」
その日。
勇者パーティーは、全員白いエプロンを着けた。
アレクは保存食を一食分ずつ分ける。
「袋によって量が違うぞ」
「全員が同じ量になるよう調整してくださいませ」
「適当では駄目なのか」
「その適当で、九日目に食料が尽きます」
「……量り直す」
「大変よろしい」
バルドは包帯を巻く。
「これでは駄目か」
「強すぎます。それですと負傷者の腕まで締め上げますよ」
「剣より加減が難しいぞ」
「人の身体は、剣より繊細でございますので」
ミリアは薬湯用の湯を沸かす。
「魔法なら一瞬ですわ」
火力を上げる。
湯が噴きこぼれた。
「半分失いましたね」
「……弱火にいたします」
「大変よろしい」
カイルは濡れた布を干し、オルドは聖水の瓶を布で包む。
誰もが戦闘とは違う汗を浮かべていた。
そこへ白いエプロンを身につけたリリアーナが現れる。
「マリベル様。わたくしにもお手伝いを」
マリベルの鉄扇が開いた。
「聖女様は必要ございません」
「わたくしも、エレノア様をお支えする作法を学びとうございます」
「距離が近い」
「まだ近づいておりませんわ!」
「志願した時点で、心の距離が近うございます」
「では、どこから志願すればよいのですか!?」
「三百年ほど離れた場所から」
「時間の距離ですの!?」
エレノアが額へ手を当てる。
「マリベル」
「はい、お嬢様」
「聖女様を追い払わない」
「覚悟を確認していただけでございます」
「確認方法がおかしいわ」
勇者パーティーは、その日初めて知った。
食料は、袋へ詰めれば終わりではない。
包帯は、巻けばよいものではない。
湯は、沸かせばよいものではない。
道具は、持っていれば使えるものではない。
祈りも。
剣も。
魔法も。
その力が振るわれるまでには、数え切れない準備がある。
そして、見えない仕事を軽んじた者は、ただの侍女にエプロンを着せられる。
「マリベル」
「はい、お嬢様」
「そろそろ終わりにしましょう」
「勇者様の布巾は、まだ水分が残っておりますが」
「今日は、ここまでです」
「承知いたしました」
マリベルは勇者たちへ向き直る。
「本日の研修は終了でございます」
勇者たちが一斉に息を吐く。
「明朝、日の出とともに二日目を開始いたします」
「まだ続くのか!?」
「当然でございます」
アレクがエプロン姿で崩れそうになる。
「俺は魔王を倒す勇者だぞ……」
「存じております」
マリベルは微笑んだ。
「明日は、帳簿をつけていただきますので」
「魔王より強敵ではないか……」
「数字は襲ってまいりません」
「逃げ道がない分、魔物より恐ろしいぞ!」
エレノアは、思わず小さく笑った。
その声を聞いたマリベルが、すぐに振り返る。
「お嬢様」
「何でもありません」
「笑ってくださいましたか?」
「少しだけです」
マリベルの胸の奥が熱くなる。
お嬢様が笑った。
ならば、今日の戦も勝利である。
「マリベル」
「はい、お嬢様」
「帰ったらお説教です」
「はい」
「勇者様方を正座させ、エプロン姿で働かせた件について」
「はい」
「反省してる?」
「お嬢様を荷物と呼んだ方々に、荷物を整える仕事の大切さを学んでいただいた件については、反省いたしかねます」
「マリベル」
「ですが、皆様、初日にしては大変よくできておりました」
「そこではありません」
「伸びしろがございます」
「褒めても、お説教はなくなりません」
「承知しております」
マリベルは深く頭を下げた。
反省している顔ではなかった。
***
その後、王都には新たな噂が流れることになる。
公爵令嬢エレノアを勇者パーティーから追放してはならない。
通行証がなくなる。
食料が足りなくなる。
聖水が濁る。
宿から追い出される。
聖女の祝福を受けられなくなる。
そして最後には、侍女が来る。
聖剣も効かない。
攻撃魔法は洗濯に使われる。
結界は畳まれる。
勇者はエプロン姿で布巾を絞る。
その侍女の名は、マリベル。
職業は侍女。
ただの侍女である。
本人も、周囲も、そう言い張っている。
武器は忠誠心。
防具はエプロン。
必殺技は、完璧な礼儀作法である。
***
そして数日後。
公爵家に、新たな急報が届いた。
老執事は報告書を読み、静かに目を閉じる。
近くにいた従僕が尋ねた。
「何があったのでございますか」
老執事が答えるより先に。
公爵家の廊下へ、聞き慣れた絶叫が響き渡った。
「お嬢様が魔王に攫われたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」
屋敷中の使用人が、一斉に手を止める。
老執事は何も聞かず、ただ静かに頷く。
「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」
そばにいた従僕が、震える声で尋ねる。
「今回は、どちらへ?」
老執事は遠い空を見た。
「魔王城だ」
「馬車でございますか?」
「飛竜もだ」
「ほかには?」
老執事は、廊下の向こうから迫ってくる足音を聞いた。
「祈りを」
「誰の無事を祈ればよろしいでしょう」
老執事は、ほんの少し考えた。
「魔王のだ」
公爵家の者たちは、もう誰も理由を尋ねない。
お嬢様が呼ばれた。
ならば、戦である。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
お嬢様第一侍女マリベルのお話は、他にもあります。
気に入っていただけましたら、第一作目の「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」もぜひ読んでみてくださいね。
また、本作とは異なる展開やエピソードを加えた連載版
「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」
も投稿しておりますので、そちらもお楽しみいただけましたら嬉しいです。
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