表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

お嬢様第一侍女マリベル短編集

【連載版あり】番外編:お嬢様が勇者パーティーを追放されたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!

掲載日:2026/07/01

※本作は、連載版『お嬢様ああああああああああああああああ!!!!』と同じ登場人物・題材を用い、短編として構成と展開を再執筆した作品です。

「エレノア嬢。君には今日で、勇者パーティーを外れてもらう」


 魔境入口の宿場町。

 王命を受けた勇者パーティーが滞在する宿の一室で、勇者アレクはそう告げた。

 公爵令嬢エレノア・アルヴァインは、手元の帳簿から顔を上げる。


 明朝の出発時刻。

 魔境へ入るための通行許可証。

 瘴気除けの香の残数。

 魔力回復用の魔石。

 聖水の保管状況。

 食料と飼料。

 負傷者が出た場合の搬送先。


 それらを確認していた指先が、静かに止まった。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「理由?」


 アレクは鼻で笑った。


「戦えない者は、勇者パーティーには不要だからだ」


 剣士バルドが椅子の背にもたれる。


「不要どころか邪魔だろう。魔物が出るたびに、公爵令嬢様が傷つかないよう守らなきゃならない。自分で歩く分、荷物より扱いにくい」


 魔法使いミリアも、卓上の帳簿を見て肩をすくめた。


「毎日、数字を書いて、荷物を数えて。そんなことで勇者パーティーの一員のつもりでしたの?」

「私は遠征補佐として――」

「誰でもできますわ」


 ミリアが遮る。


「字が書ければ帳簿はつけられます。わたくしたちが命を懸けて戦っている間、あなたは安全な場所で紙を眺めていただけでしょう?」


 神官オルドも頷いた。


「聖水の管理も、神に仕える私が行えばよいことです。公爵令嬢のお遊びで神殿の仕事に口を出される必要はありません」


 弓使いカイルは、退屈そうに矢筒を弄んだ。


「戦闘中に死なれても迷惑だ。公爵家から責任を問われる前に、帰ってもらった方がいい」


 エレノアは、一人ずつ彼らを見た。

 雨で街道が崩れたとき、迂回路を探した。

 バルドが熱を出した夜には、眠らず医師を捜した。

 ミリアが魔力を使い果たしたときには、回復用の魔石を融通してもらった。

 カイルの弓弦が湿らないよう、宿の暖炉の位置まで確認した。

 オルドが滞りなく祈れるよう、神殿への申請を先回りして整えた。

 アレクが前だけを見て進めるよう、すべての雑事を引き受けた。

 けれど彼らにとって、それは誰にでもできる雑用だったようだ。


「皆様は、私がこれまで行ってきた仕事を、不要だとお考えなのですね」

「仕事などと大げさに言うな」


 アレクが立ち上がる。


「食料を数え、宿を取り、書類に署名しただけだろう」


 彼は、エレノアへ冷たい目を向けた。


「そもそも君は、本当に俺たちを支えるために来たのか?」

「どういう意味でしょう」

「魔王討伐の功績が欲しかったのだろう」


 エレノアの目が、わずかに見開かれた。


「勇者パーティーに同行した献身的な公爵令嬢。魔王を倒した英雄を陰で支えた女。公爵家の名を上げるには、悪くない肩書きだ」

「私は、そのような目的で同行したのではありません」

「そう言うだろうな」


 アレクは帳簿を閉じた。


「戦えないくせに勇者一行へ紛れ込み、雑用をしただけで仲間を名乗る。正直、前から目障りだった」

「私は仲間だと名乗ったことは――」

「なら、ちょうどいい」


 アレクは冷たく言い放つ。


「最初から仲間ではなかった。そういうことだ」


 胸の奥へ、鋭いものが刺さった。

 それでもエレノアは、顔を伏せなかった。


「……承知いたしました」


 帳簿を閉じ、静かに立ち上がる。


「本日をもって、遠征補佐の任を辞します」

「最初からそう言えばいい」

「ただ、最後に一つだけ。明朝は激しい雨が予想されます。北の峡谷は増水しますので、東の旧街道を――」

「そういうところだ!」


 アレクが書類を奪い、卓上へ投げ捨てた。


「もう君の指図は受けない!」

「指図ではありません。皆様の安全のために」

「余計なお世話だ。俺は勇者だぞ? 崖が崩れようが、魔物が出ようが、剣で道を切り開く」


 バルドが笑う。


「公爵令嬢様には分からんだろうな。戦う者は、机の上で道を選ぶんじゃない」


 ミリアが扉を示した。


「荷物は裏口へ移してありますわ。お部屋も物資置き場に使いますので、早く出ていってくださいませ」


 エレノアは彼らを見渡した。


 怒鳴らない。

 泣かない。

 ただ深く、一礼する。


「皆様の旅路に、どうかご加護がありますように」


 誰も返事をしなかった。

 扉を閉める。

 その向こうから、バルドの笑い声が聞こえた。


「最後までお上品なこった」

「ようやく厄介払いができたな」


 アレクの声が続く。


「これで足手まといを守る必要もない」


 エレノアは足を止めなかった。

 けれど、宿の廊下を歩く指先は、ひどく冷たくなっていた。



 ***



 エレノア本人よりも先に、報せは公爵家へ届いた。


「エレノアお嬢様が、勇者パーティーから追放されたそうです」


 公爵家の衣装室。

 侍女マリベルの手が、ぴたりと止まった。

 その手には、エレノアが帰還した日に使う予定の室内用ガウンがある。

 長旅で疲れたお嬢様が屋敷へ戻ってすぐ肩に掛けられるように。

 そう思って、マリベルが自ら整えていたものだ。

 報告に来た若い従僕はそっと半歩下がった。


 まずい。

 この静けさは、まずい。


「……理由は?」


 マリベルは、ガウンから目を上げずに尋ねた。

 声は穏やかだった。

 だからこそ、従僕の背筋に冷たいものが走る。


「そ、それが……戦えない公爵令嬢は足手まといだ、と」


 ぶちり。

 ガウンを結ぶ細い紐が、マリベルの指先で切れた。

 従僕は震えた。

 結び紐は悪くない。

 悪いのは勇者である。


「お嬢様が」


 マリベルは静かに言った。


「足手まとい?」

「勇者様方が、そうおっしゃったとか……」

「なるほど」


 マリベルは切れた紐を見つめた。

 それから懐から裁縫道具を取り出す。


 一針。

 もう一針。


 怒りで指が震えているとは思えないほど正確な手つきで、紐を元より丈夫に縫い直した。


「お嬢様の物を壊してしまうところでした」

「は、はい」

「反省いたします」


 マリベルはガウンを丁寧に畳む。

 これは、お嬢様の物である。

 粗末に扱ってはならない。

 壊してよいのは、勇者の尊厳だけだ。


「お嬢様は、まだ宿場町に?」

「王都へ戻る馬車を待っておられるかと」

「そうですか」


 マリベルは深く頷いた。

 畳んだガウンを棚へ戻す。

 そして振り返ったときには、その右手に黒塗りの鉄扇が握られていた。

 いつ取り出したのか。

 従僕には分からなかった。

 分かりたくもなかった。


「お嬢様が勇者パーティーを追放されたですって!?」


 マリベルが廊下へ踏み出す。

 次の瞬間。


「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」


 公爵家の廊下に、マリベルの絶叫が響き渡った。

 衣装箱を抱えた侍女が壁際へ退避する。

 花瓶を運んでいた下働きが、その場にしゃがみ込む。

 厨房では料理長が無言で鍋の火を弱めた。

 廊下の先には、すでに老執事が立っていた。


「飛竜を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」


 そばにいた従僕が尋ねる。


「馬車ではなく、飛竜でございますか」

「最速のものを」

「ほかには?」


 老執事は、鉄扇を握って玄関へ向かうマリベルを見た。


「祈りだな」

「マリベルさんの無事を?」

「いや」


 老執事は静かに目を伏せた。


「勇者たちの無事をだ」


 公爵家の使用人たちは、即座に動き出した。



 ***



 一方その頃。

 足手まといを追い出し、身軽になったはずの勇者パーティーは宿場町から一歩も出られずにいた。


「魔境通行証と、武具持込証をご提示ください」


 関所の係官が、無表情に手を差し出す。

 アレクは腰の聖剣を示した。


「俺は勇者だ」

「存じております。通行証と武具持込証を」

「勇者が聖剣を持って魔境へ入るんだぞ」

「ですから、その証書をお願いいたします」


 アレクは仲間たちを振り返った。


「証書は?」


 バルドが首を傾げる。


「お前が持ってるんじゃないのか?」

「俺は受け取っていない」


 ミリアが荷物を漁る。


「書類は全部、エレノア様の革鞄に入っていたはずですわ」


 全員が黙った。


「では、立ち入りは認められません」


 係官が告げる。


「俺は魔王を倒す勇者だぞ!」

「存じております」

「ならば通せ!」

「規則ですので」


 アレクは苛立ちを押し殺し、別の道を尋ねた。


「北は昨夜の雨で増水しております」

「東は?」

「崖崩れで封鎖されました」

「南!」

「毒霧が発生しています」

「西は!」

「魔王軍の監視塔があります」


 アレクは言葉を失った。


「なぜ、そんな重要なことを誰も教えなかった!」


 バルドが怒鳴る。

 係官は答えた。


「昨日、遠征補佐官の方へお伝えしました」


 昨夜、エレノアは雨と迂回路について説明しようとしていた。

 アレクが遮った。


「道など、後でどうにでもなる」


 アレクは強引に言った。


「先に瘴気除けと食料を整えるぞ」


 物資商へ向かう。

 だが、瘴気除けは品切れだった。


「勇者様方の分は、エレノア様が一月前に予約しておられます」

「なら、それを出せ」

「受取人はエレノア様です」

「俺たちのための品だ!」

「受取人変更には、公爵家の印章が必要です」

「そんなものはない!」

「では、お渡しできません」


 食料箱を確認すれば、三日分しかない。


「十日分用意したはずでしょう!」


 ミリアが声を上げる。


「箱の数を確認した者は?」


 誰もいない。

 オルドが、濁った聖水の瓶を抱えて現れる。


「勇者様。聖水が変色しています」

「お前が管理すると言っただろう!」

「直射日光を避ける必要があるとは知らず……」

「神官だろうが!」

「いつもは専用の箱に入っておりましたので!」

「その箱はどこだ!」

「エレノア様が管理を……」


 また、エレノアの名前だった。

 宿へ戻れば、部屋はすでに別の客へ貸し出されている。


「予備室は、エレノア様の名義で押さえられておりました」


 宿の主人が説明する。


「エレノア様が宿を出られたため、契約も解除されました」

「食事は!」

「予約も取り消されております」

「なぜだ!」

「追放された方が、皆様のお世話を続ける理由がございませんので」


 アレクは何も言えなかった。

 追い出した相手が、今までどおり世話を続ける。

 どこかで、そう思っていたのだ。


「……俺たち、本当に何もできないな」


 カイルが呟く。


「黙れ」


 アレクは認めなかった。


「慣れていないだけだ。こんなものは誰にでもできる」


 その直後、宿の主人が請求書を差し出した。


「では、滞在費と騎獣の飼料代をお願いいたします」


 数字を見たアレクの顔が固まる。


「高すぎる!」

「危険地域加算が含まれております」

「聞いていないぞ!」

「エレノア様には説明済みです」


 アレクは請求書を押し戻した。


「先に神殿へ行く」

「勇者様?」

「聖女の祝福さえ受ければ、細かいことは後でどうにでもなる」


 すでに、どうにもならないことをいくつも積み上げながら。



 ***



 宿場町の神殿には、魔境へ向かう冒険者たちが集まっていた。

 勇者パーティーが現れると、人々が道を開ける。

 聖剣を持つ英雄たち。

 向けられる期待の視線に、アレクは少しだけ自信を取り戻した。


「魔境へ入る。すぐに祝福を頼む」


 奥から現れたのは、白銀の髪を持つ聖女リリアーナだった。


「皆様をお待ちしておりました」


 リリアーナは一礼し、勇者たちの後ろを見る。


「エレノア様は、どちらに?」

「いない」

「お身体の具合でも?」

「パーティーから追放した」


 リリアーナの表情が、すっと消えた。


「追放?」

「戦えない足手まといだからな」


 神殿の空気が止まった。

 リリアーナは、ゆっくりと聖杖を下ろす。


「祝福をお授けすることはできません」

「何だと?」

「皆様の旅へ、私は祈れません」

「俺たちは魔王を倒す勇者パーティーだぞ!」

「存じております」

「ならば祝福を寄越せ!」

「お断りいたします」


 リリアーナの声には、明確な怒りがあった。


「エレノア様は、ご自分が評価されることもなく、皆様が無事に進めるよう準備を続けておられました。その御方を足手まといと呼ぶ方々へ、神の加護を願うことはできません」


 バルドが苛立ったように言う。


「実際、戦えないだろう!」

「では、剣を振るわない私も足手まといでしょうか」

「聖女は別だ」

「なぜです?」

「祝福が使える」

「皆様に必要だから、ということですね」


 リリアーナは静かに目を細めた。


「自分に必要な支えだけは尊び、目に見えない支えは雑用と呼ぶのですか」


 誰も答えられない。

 アレクだけが、まだ認めなかった。


「聖女まで、公爵令嬢に取り込まれたか」


 リリアーナの眉が動く。


「取り込まれた?」

「王都で聞いたぞ。あの女に逆らった者は、皆、最後には頭を下げるそうじゃないか」

「それは、エレノア様が正しかったからです」

「公爵家の力に屈しただけだろう」


 アレクは吐き捨てる。


「聖女まで、あの女の機嫌を取るために魔王討伐を邪魔するとはな」

「邪魔ですか」


 聖女の穏やかな表情が、すっと消えた。

 その瞬間。


「そこまでです」


 礼儀正しい声が、神殿の入口から響いた。


 黒い侍女服。

 白いエプロン。

 きっちり結われた髪。

 背筋を伸ばし、足音ひとつ乱さず歩く侍女。

 マリベルである。

 その右手には、黒塗りの鉄扇が握られていた。


「公爵家侍女、マリベルと申します」


 マリベルは完璧に一礼した。

 リリアーナの顔から血の気が引く。


「マリベル様……」

「ごきげんよう、聖女様」

「勇者様」


 リリアーナはアレクへ向き直った。


「今すぐ謝罪なさることをおすすめいたします」


 アレクはマリベルを見た。

 小柄な侍女。

 武器は扇が一つ。


「この女にか?」

「騎士団と王城と大神殿と裁判所に、安全対策の規則を作らせた、ただの侍女です」

「何を言っているのか分からない」

「すぐにお分かりになります」


 マリベルは勇者たちを見渡した。


「お嬢様を足手まといとお呼びになったのは、どなたでございますか?」


 アレクが前へ出る。


「俺だ」


 バルドも鼻を鳴らした。


「荷物と同じだと言ったのは俺だ」


 ミリアは腕を組む。


「帳簿をつけるだけなら、誰にでもできますわ」


 マリベルは微笑んだ。


「大変よく分かりました」


 その笑みに、リリアーナが一歩下がる。


「分かったなら帰れ」


 アレクが言う。


「侍女風情が、勇者の決定に口を出すな」

「口を出すつもりはございません」

「なら何をしに来た」

「事実確認でございます」

「何の事実だ」

「皆様が、お嬢様を足手まといと呼べるほど有能でいらっしゃるのかを」


 バルドの顔が歪んだ。


「侍女ごときが俺たちを試すだと?」

「すでに結果は出ております」

「何だと」

「通行証なし。瘴気除けなし。食料不足。聖水は管理失敗。宿泊先もなし」


 マリベルはにっこり微笑む。


「魔境へ入る前から、見事なご活躍でございますね」

「黙れ!」


 バルドが剣を抜いた。


「まあ。侍女相手に剣を?」

「貴様が侍女らしく控えないからだ!」

「では、剣の扱いから学び直していただきましょう」


 マリベルの鉄扇が、ぱちりと開く。


 黒い扇面に、金文字が輝いた。


『お嬢様第一』


 バルドが踏み込む。

 次の瞬間。


 ぱん。


 乾いた音が響いた。

 バルドの剣が宙を舞い、神殿の武器掛けへ綺麗に収まる。


「俺の剣が……」

「抜くべきでない場所で抜いたものは、片づけるのが礼儀でございます」


 鉄扇が膝裏へ軽く触れる。

 バルドは、その場に正座していた。


「なぜ正座!?」

「反省の姿勢でございます」

「反省などしていない!」

「では、これからなさってくださいませ」


 バルドは立ち上がろうとしたが、マリベルが鉄扇をわずかに持ち上げただけで、その膝は再び床へ戻った。


「次の方」

「次の方じゃないわよ!」


 ミリアが杖を掲げる。


「疾風よ、切り裂きなさい!」


 鋭い風の刃が迫る。

 マリベルは数枚のハンカチを取り出し、風の中へ投げた。

 布は切り裂かれず、風に乗って神殿脇の物干し紐へ飛んでいく。


 一枚。

 二枚。

 三枚。


 すべて等間隔に並んだ。


「まあ。乾燥にちょうどよい風でございます」

「わたくしの魔法を洗濯に使わないで!」

「ですが、風の強さにむらがございますね」

「批評までしないでくださいませ!」


 ミリアが次の魔法を唱えようとする。

 気づいたときには、彼女も正座していた。


「なぜ、わたくしまで!?」

「洗濯物を散らかしたためでございます」

「散らかしたのはあなたでしょう!」


 カイルが無言で矢を放つ。

 マリベルは三本の矢を、鉄扇の骨の間で受け止めた。

 白いリボンで束ね、カイルへ返す。


「どうぞ」

「何だ、これは」

「贈答用の矢束でございます」

「俺の攻撃だ」

「お気持ちだけ頂戴いたします」


 カイルは矢束を抱えたまま、自分から正座した。


「判断が早くて大変よろしい」

「勝てないと分かった」

「賢明でございます」


 神官オルドが結界を張る。


「聖なる守りよ!」


 マリベルは結界を見て、首を傾げた。


「少々、斜めでございますね」

「結界に角度など関係ありません!」

「お嬢様の御前に置かれるものは、まっすぐでなければなりません」


 鉄扇の先で押す。

 結界が傾く。

 さらに押す。

 光の壁が折り畳まれていく。

 最後には四角く畳まれ、オルドの腕の中へ収まった。


「結界が畳まれた……」

「使用後は片づけるのが礼儀でございます」


 オルドは光の塊を抱えたまま正座した。


「もう抵抗いたしません……」

「大変よろしい」


 残ったのは、勇者アレクだけだった。


「俺は神に選ばれた勇者だ!」


 聖剣を抜く。


「侍女などに屈するものか!」

「私はただの侍女でございます」

「ただの侍女が結界を畳むな!」


 アレクが踏み込む。

 聖剣を、マリベルの鉄扇が正面から受け止めた。

 激しい金属音。

 白い光が弾ける。

 それでも、マリベルの足は動かない。


「なぜだ……!」

「踏み込みが浅うございます」

「何だと!」

「お嬢様のお荷物一つ運んだことのない足では、その程度なのでしょう」


 鉄扇を僅かに捻る。

 聖剣が宙を舞った。

 マリベルは布で包んで受け止める。


「聖剣を布巾で!?」

「刃物へ素手で触れるのは危険でございますので」


 聖剣を壁へ立てかけ、アレクへ向き直る。


「剣を落とし」


 一歩近づく。


「道も分からず」


 もう一歩。


「食料も、宿も、聖水も失い」


 にっこりと微笑む。


「それでも、お嬢様を足手まといとお呼びになった」


 アレクの額に汗が浮かぶ。


「では、お尋ねいたします」


 鉄扇が、ぱちりと閉じた。


「本当の足手まといは、どちらでございましょう?」


 次の瞬間。

 アレクも正座していた。


「俺まで……!」

「大変美しい姿勢でございます」

「褒めるな!」


 勇者パーティー全員が、神殿の床へ並んで正座していた。

 そこでマリベルは、隣にもう一人座っていることに気づく。


「聖女様?」

「はい」


 リリアーナも正座していた。


「エレノア様への侮辱を、最初の一言で止められませんでした。その責任を感じまして」


 マリベルは深く頷く。


「自主的な反省。大変よろしい心がけでございます」

「ありがとうございます」


 アレクが叫ぶ。


「なぜ聖女だけ褒める!」

「聖女様は、自ら反省なさっておりますので」

「俺たちは反省するようなことなどしていない!」

「でしたら、なおさら正座を続けていただきます」


 そのとき。

 神殿の入口から、静かな声が響いた。


「マリベル」


 マリベルの肩が、びくりと跳ねた。


「お、お嬢様」


 神殿の入口に、エレノアが立っていた。

 旅装のまま。

 エレノアは神殿内を見渡した。


 正座する勇者。

 正座する剣士。

 正座する魔法使い。

 正座する弓使い。

 正座する神官。

 自主的に正座する聖女。


 そして、鉄扇を持つ侍女。


「これは何?」

「事実確認でございます」


 マリベルは即答した。


「暴力だ!」


 アレクが叫ぶ。


「礼儀作法でございます」

「違う!」


 エレノアは額に手を当てた。


「マリベル」

「はい、お嬢様」

「帰ったらお説教です」

「はい」

「長いお説教です」

「はい」

「神殿で、勇者様方を正座させた件について」

「はい」

「反省してる?」

「お嬢様を足手まといと呼んだ方々に、ご自分のお立場を確認していただいた件については、反省いたしかねます」

「マリベル」

「ですが、神殿の床も壁も傷つけておりません」

「褒めません」


 エレノアは、正座する勇者たちの前へ進んだ。


「勇者様」

「……何だ」

「私を、魔王討伐の功績を得るために同行した女だとおっしゃいましたね」

「……言った」

「私のしてきたことは、誰にでもできる雑用だとも」

「ああ」

「戦えない私は、荷物と同じだと」


 バルドが目を伏せた。


「では、確認いたします」


 エレノアは静かに問いかける。


「明朝の雨によって、通れなくなる街道は?」

「北の峡谷だ」

「迂回路は?」

「……分からない」

「食料は、あと何日分ありますか?」

「三日分だ」

「次の補給地点までは、九日かかります」


 勇者たちの顔色が変わる。


「魔力回復用の魔石は、ミリア様が最大魔法を何度使えば尽きますか?」


 ミリアは答えられない。


「カイル様、予備の弓弦はどこへ?」

「……君の革鞄だ」

「オルド様、濁った聖水を元へ戻す方法は?」

「分かりません」

「勇者様、聖剣が損傷した場合、修復できる職人は?」

「……知らない」


 勇者たちは、誰も顔を上げられなかった。


「そんなことは」


 アレクが苦し紛れに言う。


「別の誰かにやらせればいい」


 エレノアは、まっすぐ彼を見た。


「その誰かを、皆様は先ほど追放なさいました」


 アレクは言葉を失った。


「補佐の仕事は、誰にでも始められるかもしれません」


 エレノアの声は静かだった。


「けれど、誰にでも務まる仕事ではありません」


 食料は数えるだけでは足りない。

 道は地図を見るだけでは決められない。

 負傷者を運ぶ場所。

 撤退する順番。

 天候。

 魔物の習性。

 必要な薬と、その保管方法。


「剣を振るう方が、剣だけを見ていられるように」


 バルドが俯く。


「魔法を使う方が、魔法だけに集中できるように」


 ミリアが唇を噛む。


「祈る方が、祈りを途切れさせずに済むように」


 オルドは聖水の瓶を握りしめる。


「勇者様が、前だけを見て進めるように」


 アレクは、エレノアを見られなかった。


「そのために私はいました」


 エレノアの指先が、ほんの少し震える。


「私は、皆様が私の仕事を知らなかったのだと思っていました」


 静かな声が続く。


「けれど、違ったのですね。皆様は、知ろうとしなかった」

「エレノア嬢……」


 アレクが、正座したまま掠れた声で呼ぶ。


「見えないから価値がないと決めた。剣を振るわないから、何もしていないと決めた」


 エレノアは逃げずに、勇者を見つめる。


「戦えないから、何もしていなかったわけではありません」


 誰も言葉を挟めない。


「私は功績が欲しくて同行したのではありません」


 胸元へ手を添える。


「誰も死なせたくなかったからです」


 アレクの表情が歪んだ。


「……すまなかった」


 正座したまま、頭を下げる。


「君がしていたことを、俺は何も見ていなかった」

「いいえ」


 エレノアは首を振った。


「見ようとなさらなかったのです」


 その言葉に、アレクは何も返せなかった。

 バルドも頭を下げる。


「荷物と同じだなんて、言っていい言葉じゃなかった」


 ミリアも視線を落とした。


「誰にでもできると言いながら、わたくしには何一つできませんでした」


 オルドとカイルも、それぞれ謝罪する。

 アレクが顔を上げた。


「戻ってきてくれないか」


 エレノアは、すぐには答えなかった。


「謝罪は受け取ります」


 勇者たちの顔に安堵が浮かぶ。


「ですが、今すぐ補佐へ戻ることはできません」

「なぜだ」

「信頼が失われたからです」


 エレノアは静かに答える。


「補佐は皆様の命を預かる仕事です。互いに信じられない状態では務まりません」

「では、どうすれば」

「まず、ご自分たちに何が足りなかったのかを理解してください」


 その瞬間。


 ぱちり。


 マリベルの鉄扇が開いた。


「では、まず侍女見習いから始めていただきましょう」

「なぜ勇者が侍女見習いを!?」

「支える仕事を、誰にでもできる雑用とおっしゃった方々ですので」


 マリベルは美しく微笑んだ。


「その容易さを、ご自身で証明していただきます」

「魔王討伐はどうする!」

「宿場町から出られない方が、魔王をご心配なさるのですか?」

「くっ……」

「まずは、目の前のお仕事からでございます」


 その日。

 勇者パーティーは、全員白いエプロンを着けた。

 アレクは保存食を一食分ずつ分ける。


「袋によって量が違うぞ」

「全員が同じ量になるよう調整してくださいませ」

「適当では駄目なのか」

「その適当で、九日目に食料が尽きます」

「……量り直す」

「大変よろしい」


 バルドは包帯を巻く。


「これでは駄目か」

「強すぎます。それですと負傷者の腕まで締め上げますよ」

「剣より加減が難しいぞ」

「人の身体は、剣より繊細でございますので」


 ミリアは薬湯用の湯を沸かす。


「魔法なら一瞬ですわ」


 火力を上げる。

 湯が噴きこぼれた。


「半分失いましたね」

「……弱火にいたします」

「大変よろしい」


 カイルは濡れた布を干し、オルドは聖水の瓶を布で包む。

 誰もが戦闘とは違う汗を浮かべていた。

 そこへ白いエプロンを身につけたリリアーナが現れる。


「マリベル様。わたくしにもお手伝いを」


 マリベルの鉄扇が開いた。


「聖女様は必要ございません」

「わたくしも、エレノア様をお支えする作法を学びとうございます」

「距離が近い」

「まだ近づいておりませんわ!」

「志願した時点で、心の距離が近うございます」

「では、どこから志願すればよいのですか!?」

「三百年ほど離れた場所から」

「時間の距離ですの!?」


 エレノアが額へ手を当てる。


「マリベル」

「はい、お嬢様」

「聖女様を追い払わない」

「覚悟を確認していただけでございます」

「確認方法がおかしいわ」


 勇者パーティーは、その日初めて知った。

 食料は、袋へ詰めれば終わりではない。

 包帯は、巻けばよいものではない。

 湯は、沸かせばよいものではない。

 道具は、持っていれば使えるものではない。


 祈りも。

 剣も。

 魔法も。


 その力が振るわれるまでには、数え切れない準備がある。

 そして、見えない仕事を軽んじた者は、ただの侍女にエプロンを着せられる。


「マリベル」

「はい、お嬢様」

「そろそろ終わりにしましょう」

「勇者様の布巾は、まだ水分が残っておりますが」

「今日は、ここまでです」

「承知いたしました」


 マリベルは勇者たちへ向き直る。


「本日の研修は終了でございます」


 勇者たちが一斉に息を吐く。


「明朝、日の出とともに二日目を開始いたします」

「まだ続くのか!?」

「当然でございます」


 アレクがエプロン姿で崩れそうになる。


「俺は魔王を倒す勇者だぞ……」

「存じております」


 マリベルは微笑んだ。


「明日は、帳簿をつけていただきますので」

「魔王より強敵ではないか……」

「数字は襲ってまいりません」

「逃げ道がない分、魔物より恐ろしいぞ!」


 エレノアは、思わず小さく笑った。

 その声を聞いたマリベルが、すぐに振り返る。


「お嬢様」

「何でもありません」

「笑ってくださいましたか?」

「少しだけです」


 マリベルの胸の奥が熱くなる。

 お嬢様が笑った。

 ならば、今日の戦も勝利である。



「マリベル」

「はい、お嬢様」

「帰ったらお説教です」

「はい」

「勇者様方を正座させ、エプロン姿で働かせた件について」

「はい」

「反省してる?」

「お嬢様を荷物と呼んだ方々に、荷物を整える仕事の大切さを学んでいただいた件については、反省いたしかねます」

「マリベル」

「ですが、皆様、初日にしては大変よくできておりました」

「そこではありません」

「伸びしろがございます」

「褒めても、お説教はなくなりません」

「承知しております」


 マリベルは深く頭を下げた。

 反省している顔ではなかった。



 ***



 その後、王都には新たな噂が流れることになる。

 公爵令嬢エレノアを勇者パーティーから追放してはならない。


 通行証がなくなる。

 食料が足りなくなる。

 聖水が濁る。

 宿から追い出される。

 聖女の祝福を受けられなくなる。

 そして最後には、侍女が来る。


 聖剣も効かない。

 攻撃魔法は洗濯に使われる。

 結界は畳まれる。

 勇者はエプロン姿で布巾を絞る。

 その侍女の名は、マリベル。

 職業は侍女。

 ただの侍女である。

 本人も、周囲も、そう言い張っている。


 武器は忠誠心。

 防具はエプロン。

 必殺技は、完璧な礼儀作法である。



 ***



 そして数日後。

 公爵家に、新たな急報が届いた。

 老執事は報告書を読み、静かに目を閉じる。

 近くにいた従僕が尋ねた。


「何があったのでございますか」


 老執事が答えるより先に。

 公爵家の廊下へ、聞き慣れた絶叫が響き渡った。


「お嬢様が魔王に攫われたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」


 屋敷中の使用人が、一斉に手を止める。

 老執事は何も聞かず、ただ静かに頷く。


「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」


 そばにいた従僕が、震える声で尋ねる。


「今回は、どちらへ?」


 老執事は遠い空を見た。


「魔王城だ」

「馬車でございますか?」

「飛竜もだ」

「ほかには?」


 老執事は、廊下の向こうから迫ってくる足音を聞いた。


「祈りを」

「誰の無事を祈ればよろしいでしょう」


 老執事は、ほんの少し考えた。


「魔王のだ」


 公爵家の者たちは、もう誰も理由を尋ねない。

 お嬢様が呼ばれた。

 ならば、戦である。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


お嬢様第一侍女マリベルのお話は、他にもあります。

気に入っていただけましたら、第一作目の「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」もぜひ読んでみてくださいね。


また、本作とは異なる展開やエピソードを加えた連載版

「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」

も投稿しておりますので、そちらもお楽しみいただけましたら嬉しいです。


面白かった、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマーク・評価・いいね・感想などで応援していただけると励みになります。


星をいただけると、作者が飛んで喜びます!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
番外編と銘打つのであれば連載としてまとめてほしいです ランキングにいくつも同じようなタイトルの同じシリーズの作品が並ぶのはちょっと…
魔王に攫われた、だと!?Σ(゜Д゜) (魔王の)お目が高い!!
毎回楽しく読ませていただいております<m(__)m> 今回も見事な采配でした♡ あと小説書籍化企画とアンソロジーコミック企画まことにおめでとうございます(^^)v …小説は髪の毛一筋ほども問題ないと思…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ