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お嬢様第一侍女マリベル短編集

【書籍化進行中】番外編:お嬢様が勇者パーティーを追放されたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!

作者: 月宮 かすみ
掲載日:2026/07/01

「エレノア嬢。君には今日で、勇者パーティーを外れてもらう」


 魔境入口の宿場町。

 王命を受けた勇者パーティーの滞在先で、勇者アレクはそう告げた。


 公爵令嬢エレノアは、手元の帳簿から顔を上げる。


 明日の移動に必要な食料。

 魔境へ入るための通行許可証。

 神殿への祝福申請書。

 聖水の保管状況。

 魔石の残量。

 負傷者が出た場合の搬送先。

 領主への報告書。


 それらを確認していた手が、静かに止まった。


「理由を伺ってもよろしいでしょうか」


 エレノアは取り乱さなかった。

 背筋を伸ばし、穏やかな声で尋ねる。

 だが勇者アレクは、その落ち着きが気に入らないようだった。


「理由? 簡単だ。戦えない者は足手まといだからだ」


 剣士バルドが鼻で笑う。


「魔王討伐は遊びじゃない。貴族令嬢のお茶会に付き合っている暇はないんだ」


 魔法使いミリアも肩をすくめた。


「帳簿だの物資管理だの、そんなものは誰でもできるでしょう?」


 神官オルドが頷く。


「聖水の管理も、神に仕える私が見ればよいことです」


 弓使いカイルは、退屈そうに矢筒をいじっていた。


「正直、戦闘では邪魔になるしな」


 エレノアは、ひとつひとつの言葉を静かに受け止めた。

 胸の奥に小さな痛みが走る。

 けれど、唇を噛むことはしなかった。


「……分かりました」


 エレノアは帳簿を閉じた。


「ですが、次の街へ入るための通行許可証と、神殿への祝福申請書だけは確認を――」


「そういうところだ」


 勇者アレクが不機嫌そうに遮った。


「いちいち細かい。俺たちは魔王を倒す勇者パーティーだ。書類の一枚や二枚で立ち止まるような小物ではない」


「ですが」


「もう必要ない。君の荷物は馬車に積ませた。王都へ帰るといい」


 エレノアの指先が、ほんのわずかに震えた。

 だが、それだけだった。

 彼女は静かに立ち上がり、勇者たちへ一礼する。


「承知いたしました。皆様の旅路に、どうかご加護がありますように」


 そう言って、エレノアは部屋を出た。


 扉が閉まる。


 勇者アレクは大きく息を吐いた。


「やれやれ。ようやく足手まといが消えたな」


 その言葉に誰も反論しなかった。

 その時点でこの勇者パーティーの運命は、だいたい決まっていた。



 ***



 エレノア本人より先に、報告は公爵家へ届いた。


「エレノアお嬢様が、勇者パーティーを追放されたそうです」


 公爵家の衣装室で、侍女マリベルの手がぴたりと止まった。

 その手にはエレノアの帰還に備えて整えていた室内用のガウンがある。


 魔境付近は朝晩が冷える。

 長旅で疲れたお嬢様が屋敷に戻ってすぐ肩に掛けられるように。

 そう思ってマリベルはガウンについた小さな埃を丁寧に払っていた。

 その指先が静かに布地を握りしめる。


 報告に来た若い従僕は、そっと半歩下がった。


 まずい。

 この静けさはまずい。


「……理由は?」


 マリベルは、静かに尋ねた。

 声は穏やかだった。

 だからこそ、従僕の背筋に冷たいものが走る。


「そ、それが……戦えない公爵令嬢は足手まといだ、と」


 ぶちり。


 ガウンの結び紐が、マリベルの指先で切れた。


 従僕は震えた。


 結び紐は悪くない。

 悪いのは勇者である。


「お嬢様が」


 マリベルは静かに言った。


「足手まとい?」


「勇者様方が、そうおっしゃったとか……」


「なるほど」


 マリベルは、切れた結び紐をそっと見つめた。

 それから懐の裁縫道具を取り出し、手早く縫い直す。

 針の運びは、怒りに震えているとは思えないほど正確だった。

 そして丁寧にガウンを畳み直す。

 乱暴には扱わない。

 これはお嬢様のガウンである。

 壊してよいのは、勇者の尊厳だけだ。


「お嬢様はどちらに?」


「王都へ戻る馬車に……ですが、まだ魔境入口の宿場町にいらっしゃる可能性も」


「そうですか」


 マリベルは深く頷いた。

 そして、いつの間にか右手に黒塗りの鉄扇を握っていた。

 若い従僕は見なかったことにした。

 見たら止めなければならない気がしたからである。


 マリベルは一歩踏み出す。

 その背中から、怒りが静かに立ちのぼっていた。


「お嬢様が勇者パーティーを追放されたですって!?」


 若い従僕が、びくりと肩を跳ねさせた。


 次の瞬間、マリベルは走り出していた。


「ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」


 公爵家の廊下に、マリベルの絶叫が響き渡った。

 衣装箱を抱えた侍女が壁際に退避し、針仕事をしていた下働きが固まり、廊下の角にいた老執事が静かに目を伏せる。


 マリベルは鉄扇を握りしめ、迷いなく玄関ホールへ向かった。

 侍女たるもの、廊下を走ってはならない。

 ただし、お嬢様の名誉に関わる一大事は、その限りではない。

 少なくともマリベルの中では、そう定められている。


「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」


 老執事が静かに告げる。

 そばにいた従僕が、青ざめた顔で尋ねた。


「今回は魔境方面ですが、馬車で間に合いますか?」


 老執事は遠い目をした。


「飛竜も用意しなさい」


「飛竜もですか」


「ああ」


 老執事は、遠ざかっていく絶叫を聞きながら続けた。


「あと、祈りもだ」


「何を祈れば?」


「魔境の宿場町の無事を」


 公爵家の使用人たちは、即座に動き出した。



 ***



 一方その頃。

 勇者パーティーは、すでに困っていた。


「通行許可証を提示してください」


 魔境入口の関所で、門番が無表情に言った。

 勇者アレクは堂々と胸を張る。


「俺は勇者だぞ」


「存じております。通行許可証を提示してください」


「だから、俺は勇者だ」


「ですから、通行許可証を」


 勇者は後ろを振り返った。


「許可証は?」


 剣士バルドが首を傾げる。


「お前が持っているんじゃないのか?」


 魔法使いミリアが荷物を漁る。


「いや、こういうものは……エレノア様が」


 沈黙。


 勇者アレクは咳払いをした。


「……次だ。神殿で祝福を受ければ何とかなる」


「勇者様、聖水が濁っています」


 神官オルドが青ざめた声を上げた。


「なぜだ」


「直射日光に当ててはいけなかったようです」


「神官なのに知らなかったのか!?」


「申し訳ございません! いつもは専用の保管箱に入っていたので!」


 弓使いカイルが食料袋を開ける。


「食料、三日分しかないぞ」


 剣士バルドが宿屋の方を見た。


「宿も満室だった。取れないらしい」


 魔法使いミリアは地図を広げていた。


 上下逆だった。


「この赤い線は何かしら?」


 ミリアが眉をひそめて地図を指差す。

 横から覗き込んだ門番が、無表情のまま答えた。


「そこは毒沼地帯ですね」


「毒沼!?」


 勇者アレクが声を上げる。


「なぜそんなところを通る地図を持っている!」


「知らないわよ! 注釈が多すぎるの!」


 ミリアが地図をばさばさと振った。

 剣士バルドが顔をしかめる。


「それもエレノア嬢が見ていたやつだろう!」


 全員が黙った。

 勇者アレクのこめかみが引きつる。


「今までどうしていたんだ!」


 何も言えなかった。

 そして、誰ともなく思った。

 エレノア嬢が全部やっていたのでは、と。

 だが、勇者アレクは認めなかった。


「そんなもの、誰でもできる!」


 言い切った直後、関所の門番が言った。


「では、許可証を」


 勇者アレクは沈黙した。


 結局、勇者パーティーは街の神殿へ向かった。

 魔境へ入る前には神殿で聖女の祝福を受ける必要がある。

 祝福を受ければ魔物の瘴気に対する抵抗力が増す。

 それは魔王討伐へ向かう者にとって重要な儀式だった。


「勇者パーティーだ。急ぎで祝福を頼む」


 勇者アレクは、神殿の大広間でそう言った。

 奥から現れたのは、白い聖衣をまとった聖女だった。


 白銀の髪。

 澄んだ青い瞳。

 祈るように組まれた細い指。

 聖女リリアーナである。


 彼女は勇者たちを見ると、丁寧に一礼した。


「勇者様御一行ですね。魔境へ向かわれる前に、祝福を――」


 そこで言葉が止まった。

 リリアーナは勇者たちの後ろへ視線を向ける。

 何度見ても、その姿はない。


「……あの」


 リリアーナは静かに尋ねた。


「エレノア様は、どちらに?」


 勇者アレクは軽く肩をすくめた。


「ああ、あの足手まといの公爵令嬢なら追放した」


 神殿の空気が止まった。

 リリアーナの表情が、すっと消える。


「今、エレノア様を何とお呼びになりました?」


「足手まといだ。戦えない補佐役など、魔王討伐には不要だろう」


 リリアーナは、ゆっくりと聖杖を下ろした。


「祝福はお授けできません」


 勇者アレクは目を剥いた。


「なぜだ! 俺たちは勇者パーティーだぞ!」


「存じております」


「ならば祝福を寄越せ!」


「聖女の祝福は、支える者への敬意を知らぬ方々に授けるものではございません」


 リリアーナの声は静かだった。

 だが、そこには明確な怒りがあった。


「エレノア様は私が道を誤ったとき、責めるだけでなく、立ち上がる道を示してくださいました。その方を何も知らずに足手まといと呼ぶ方々へ、私は祈れません」


 剣士バルドが苛立ったように言う。


「実際、戦えないだろう!」


 リリアーナは彼を見た。


「では、なぜあなた方は今、わたくしの祝福を必要としているのですか?」


「それは……」


「支える力を必要としながら、支える者を足手まといと呼ぶのですね」


 剣士バルドは黙った。

 魔法使いミリアが視線を逸らす。

 神官オルドは、自分の手元の濁った聖水を見つめていた。

 弓使いカイルは、すでに何かを察した顔をしている。


 勇者アレクだけが、まだ認めなかった。


「聖女まで公爵令嬢に毒されたか」


 リリアーナの眉が、ぴくりと動いた。


「……毒された?」


 その瞬間。

 神殿の扉が、静かに開いた。


「公爵家侍女、マリベルと申します」


 黒い侍女服。

 白いエプロン。

 きっちり結われた髪。

 穏やかな笑顔。

 そして右手には、黒塗りの鉄扇。

 どこからどう見ても、公爵家に仕える礼儀正しい侍女である。


 ただし、その侍女が現れた瞬間、リリアーナの顔色が変わった。


「マリベル様……」


 リリアーナは小さく呟いた。


「来てしまいました……」


 勇者アレクは眉をひそめる。


「何者だ」


 マリベルは完璧に一礼した。


「エレノアお嬢様にお仕えしております、侍女マリベルでございます」


「公爵令嬢の次は侍女か。帰れ。ここは戦場へ向かう者たちの場だ」


 リリアーナが青ざめる。


「勇者様、今すぐ謝罪を」


「なぜだ」


「マリベル様が来てしまいました」


「だから何だ!」


「騎士団と王城と大神殿を正座させた、ただの侍女です」


 勇者アレクは一瞬、意味が分からないという顔をした。


「ただの侍女が、何を正座させたって?」


 マリベルは答えなかった。

 ただ、黙って微笑んだ。

 その笑みを挑発と受け取ったのか、剣士バルドが前に出る。


「侍女相手に勇者様が出るまでもない」


 腰の剣を抜く。

 マリベルは目を細めた。


「まあ。侍女相手に剣を?」


「ここは戦場だ!」


「では」


 マリベルの鉄扇が、ぱちりと開いた。

 黒い扇面に、金文字が輝く。


『お嬢様第一』


「戦場の礼儀を教えて差し上げます」


「調子に乗るな!」


 剣士バルドが床を蹴った、その次の瞬間。


 ぱん、と乾いた音がした。


 バルドの剣が宙を舞う。

 剣はくるくると回転し、神殿の壁に立てかけられた武器掛けへ、綺麗に収まった。


「え」


 バルドが自分の空の手を見る。

 その直後、膝裏を軽く払われた。

 彼はその場に正座していた。


「なぜ正座!?」


「反省の姿勢でございます」


 マリベルは涼しい顔で言った。


「次の方」


「次の方じゃない!」


 魔法使いミリアが杖を構える。


「これでも食らいなさい! フレアスフィア!」


 赤い炎が渦巻き、火球となってマリベルへ放たれた。

 マリベルは鉄扇をひらりと振る。

 火球は向きを変え、神殿脇の小さな焚き火台へ飛び込んだ。


 やかんが、しゅんしゅんと音を立てる。


「まあ」


 マリベルは満足そうに頷いた。


「お嬢様のお茶に使えそうでございます」


「私の魔法を湯沸かしに使わないで!」


 ミリアは叫んだ。

 そして次の瞬間、正座していた。


「なぜ!?」


「火の始末は大切でございますので」


 弓使いカイルが無言で矢を番える。

 連続で放たれた矢が、空気を裂いてマリベルへ迫った。

 マリベルは懐から白いレースのリボンを取り出すと、ひらりと投げた。

 リボンは空中で生き物のように翻り、迫る矢を一本残らず絡め取る。

 次の瞬間、束ねられた矢は花束のような形になって、カイルの腕の中へぽすんと収まった。


「贈答品の作法から学び直してくださいませ」


 カイルは花束のような矢を抱えたまま、無言で正座した。

 自分からだった。


 その様子を見た神官オルドが、震えながら結界を張る。


「聖なる守りよ!」


 透明な壁が、勇者たちの前に展開した。

 マリベルは少しだけ首を傾げる。


「掃除の邪魔でございます」


 鉄扇で軽く叩いた。


 ぱきん。


 結界が割れた。


 オルドも正座した。


「聖なる守りが……」


「床の方がまだ堅うございます」


 勇者アレクは歯を食いしばった。


「俺は勇者だぞ!」


 聖剣を抜く。

 神殿に白い光が満ちる。

 その光を前にしても、マリベルは一歩も退かなかった。


「私はただの侍女でございます」


「関係あるか!」


 勇者がマリベルに向かって聖剣を振り下ろした。

 その刃をマリベルの鉄扇が受ける。


 金属音が響く。


 次の瞬間、マリベルは鉄扇で聖剣の腹を軽く叩いた。

 勇者の手がしびれる。


「あっ」


 聖剣が床に落ちた。

 からん、と情けない音が響く。

 勇者アレクは呆然とした。


「聖剣が……」


「剣を落とす勇者様」


 マリベルは、にっこり微笑む。


「足手まといとは、たいへん自己紹介がお上手でございますね」


 勇者アレクは正座した。

 いや、させられたのだ。


 勇者パーティーが全員正座したところで、マリベルはふと横を見た。

 聖女リリアーナも正座していた。


「聖女様?」


 マリベルが声をかける。

 リリアーナは真剣な顔で答えた。


「エレノア様を侮辱する言葉を、最初の一言で止めきれませんでした。その責任を感じまして」


 マリベルは深く頷いた。


「大変よろしい心がけでございます」


「ありがとうございます」


 勇者アレクが正座したまま叫んだ。


「なぜ聖女だけ褒められている!?」


「自主性がございますので」


「俺たちは強制だぞ!」


「だからでございます」


 そのとき、神殿の入口から静かな声がした。


「マリベル」


 マリベルの肩がびくりと跳ねた。

 それまで勇者パーティーを正座させていた侍女とは思えないほど、分かりやすく動揺した。


「お、お嬢様!?」


 神殿の入口に立っていたのは、公爵令嬢エレノアだった。

 旅装のままだが、背筋は伸びている。

 少し疲れた顔をしていた。

 けれど、俯いてはいなかった。

 エレノアは大広間を見渡す。


 正座する勇者。

 正座する剣士。

 正座する魔法使い。

 正座する弓使い。

 正座する神官。

 自主的に正座する聖女。


 そして、鉄扇を持つ侍女。


 しばらく沈黙したあと、エレノアは言った。


「これは何?」


「事実確認でございます」


 マリベルは即答した。

 勇者アレクが叫ぶ。


「暴力だ!」


「礼儀作法でございます」


「違う!」


 エレノアは、もう何度目か分からないため息をつき、額に手を当てた。


「帰ったらお説教です」


「はい」


「長いお説教です」


「はい」


「勇者様方を正座させた件について」


「はい」


「反省している?」


「お嬢様を足手まといと呼んだ方々へ、支える仕事の尊さをお伝えした件については、反省いたしかねます」


「マリベル」


「ですが、神殿の備品は壊しておりません」


「褒めません」


 エレノアは小さく息を吐いた。

 そして、勇者アレクの前に立つ。


「勇者様」


「……何だ」


「私を足手まといと判断されましたね」


 勇者アレクは正座したまま顔を歪める。


「……ああ」


「では、次の街への通行許可証はどちらに?」


「……」


「魔境内で聖水を保管する方法は?」


「……」


「食料の残数は?」


「……」


「領主様への報告書は?」


「……」


「負傷者が出た場合、最初に連絡すべき相手は?」


「……」


「魔石の残量は?」


「……」


「魔境東側の毒沼地帯を避ける道順は?」


「……」


「聖剣の手入れに使う布は?」


「……」


 勇者は答えられなかった。

 剣士も、魔法使いも、弓使いも、神官も。

 誰も答えられなかった。


 エレノアは静かに言った。


「魔王討伐は、剣だけではできません」


 その声は大きくなかった。

 けれど、大広間の隅々まで届いた。


「前へ進む人がいるなら、その人が倒れないように支える人が必要です。武器を振るう人がいるなら、武器を整える人が必要です。祈る人がいるなら、祈りが届くよう準備する人が必要になります」


 勇者たちは、何も言えない。

 リリアーナが静かに頭を下げる。


「エレノア様の補佐がなければ、このパーティーは今日中に全滅します」


 勇者が顔を上げた。


「今日中!?」


 リリアーナは真剣に頷いた。


「はい。かなり高い確率で」


「かなり……」


「祝福なし、通行許可なし、聖水管理失敗、食料不足、地図の読み違い。魔境以前に、宿場町から出られません」


 勇者アレクは、初めて顔を青くした。

 自分たちが何に支えられていたのか。

 何を軽んじたのか。

 ようやく理解し始めたのだ。


「……すまなかった」


 勇者は正座したまま頭を下げた。


「エレノア嬢。君がそこまでしてくれていたとは知らなかった。戻ってきてくれ」


 エレノアはすぐには頷かなかった。


「謝罪は受け取ります」


 勇者たちの顔に少しだけ安堵が浮かぶ。

 だが、エレノアは続けた。


「ですが、信頼のない場所で補佐はできません」


 勇者アレクは言葉を失った。


「私を戻したいのなら、まずあなた方が、自分たちに何が足りなかったのか理解してください」


 その瞬間、マリベルの鉄扇がぱちりと開いた。


「では、まず侍女見習いから始めていただきましょう」


 勇者アレクが顔を上げる。


「なぜ勇者が侍女見習いを!?」


「支える仕事を足手まといと呼んだ方々ですので」


 マリベルは美しく微笑んだ。


「支える仕事の尊さを、身をもって学んでいただきます」


「魔王討伐は!?」


「その前に、布巾の絞り方でございます」


「なぜだ!」


「机も拭けぬ方に世界の汚れは払えません」


「それっぽく言うな!」


 結局、勇者パーティーは全員、エプロン姿で正座することになった。


 勇者も。

 剣士も。

 魔法使いも。

 弓使いも。

 神官も。

 そして、なぜか聖女リリアーナも自主的にエプロンをつけていた。


「聖女様は必要ありません」


 マリベルが言うと、リリアーナは真剣な顔で答えた。


「わたくしもエレノア様のお役に立つ作法を学びとうございます」


 マリベルの鉄扇が静かに開いた。


「距離が近い」


「まだ何もしておりませんわ!」


「志願した時点で近いのでございます」


「見習いも許されませんの!?」


「三百年ほど修行してから再度お申し込みくださいませ」


「ですから、寿命が足りませんわ!」


 エレノアは深くため息をついた。


「マリベル」


「はい、お嬢様」


「聖女様を威嚇しない」


「善処いたします」


「絶対しない顔ね」


 マリベルは勇者たちへ向き直る。


「では皆様。まずは布巾の絞り方からでございます」


 勇者アレクは震える手で布巾を握った。


「俺は勇者だぞ……」


「存じております。では勇者様、机の端まできちんと拭いてくださいませ」


「なぜ魔王を倒す前に机を拭いているんだ……」


「支える仕事の尊さを学ぶためでございます」


 剣士バルドは、皿を拭かされていた。


「剣より難しいんだが」


「力任せに拭くからでございます」


 魔法使いミリアは、お湯の温度を見ていた。


「火加減は魔法より繊細なの……?」


「当然でございます。お嬢様のお茶でございますので」


 弓使いカイルは、ナプキンを畳んでいた。


「矢羽根より繊細だな」


「ようやくお気づきに」


 神官オルドは、聖水の保管箱に布をかけていた。


「直射日光を避ける……覚えました……」


「大変よろしい」


 リリアーナは、エレノア用の茶器を磨こうとして、マリベルに止められていた。


「お嬢様用の茶器は私が磨きます」


「では予備の茶器を」


「距離が近い」


「茶器にも!?」


 勇者パーティーは、その日初めて知った。


 剣を振るうより難しい仕事がある。

 火球を放つより繊細な火加減がある。

 矢を射るより正確さを求められる畳み方がある。

 祈るだけでは守れないものがある。

 そして、支える仕事を軽んじる者は、ただの侍女に正座させられる。


 エレノアは彼らの様子をしばらく見ていた。


 怒りはまだ少し胸に残っている。

 傷つかなかったわけではない。

 けれど、自分がしてきたことは無駄ではなかった。

 それを、この奇妙な光景が証明していた。


「マリベル。そろそろ帰りますよ」


「はい、お嬢様」


「帰ったらお説教です」


「はい」


「勇者様方を侍女見習いにした件について」


「はい」


「反省している?」


「お嬢様を足手まといと呼んだ方々に、支える仕事の尊さをお伝えした件については、反省いたしかねます」


「マリベル」


「ですが、皆様たいへん伸びしろがございました」


「そこではありません」


 エレノアは呆れたように息を吐いた。

 けれど、その口元は少しだけ緩んでいた。

 マリベルの胸が熱くなる。

 お嬢様が笑った。

 ならば、今日の戦も勝利である。



 ***



 その後、王都には新たな噂が流れることになる。


 公爵令嬢エレノアを勇者パーティーから追放すると、侍女が来る。


 聖剣も効かない。

 魔法も効かない。

 勇者の威厳も効かない。

 最後には、勇者がエプロン姿で布巾を絞る。


 その名は、マリベル。


 職業は、侍女。

 ただの侍女である。

 本人も、周囲も、そう言い張っている。


 武器は忠誠心。

 防具はエプロン。

 必殺技は、完璧な礼儀作法。


 そして今日も、公爵家のどこかで彼女の声が響く。


「お嬢様が魔王に攫われたですって!? ぶっ殺してやりますわああああああああああああああああ!!!!」


 屋敷中の使用人が、一斉に手を止めた。

 老執事は何も聞かず、ただ静かに頷く。


「馬車を用意しなさい。あと、公爵様にご報告を」


 そばにいた従僕が、震える声で尋ねる。


「今回は……どちらへ?」


 老執事は遠い空を見た。


「魔王城だ」


 公爵家の者たちは、もう誰も理由を尋ねない。


 お嬢様が呼ばれた。


 ならば、戦である。


最後まで読んでくださり、ありがとうございます。


お嬢様第一侍女マリベルのお話は、他にもあります。

気に入っていただけましたら、第一作目の「お嬢様ああああああああああああああああ!!!!」もぜひ読んでみてくださいね。


面白かった、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、ブックマーク・評価・いいね・感想などで応援していただけると励みになります。


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これからも、お嬢様とマリベルを楽しんでいただけるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします!

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― 新着の感想 ―
いっそのこと魔王討伐はマリベルにして貰いましょう。 ちょうど拐われたようですから。
 とても興味深く読ませていただきました。  平凡な素材で、しかも様式美を整えながら個性的な物語が展開されています。  面白い。一言です。
ラスト、ストリートファイターの豪鬼を思い浮かべてしまった。 一瞬千撃 抜山蓋世 鬼哭啾啾 故豪鬼成 マリベル、侍女を極めし者也…!
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