第10話 マイナー初登板
試合当日の朝。
きおは、まだ薄暗い球場に立っていた。
マイナーの球場は、メジャーのような華やかさとは無縁だ。
観客席は小さく、芝はところどころ剥げ、フェンスは錆びている。
それでも、きおの胸は高鳴っていた。
(……今日、俺は投げるんだ)
ラクランが隣でミットを肩に担ぎながら言った。
「緊張してるか?」
「ちょっとだけ。でも……楽しみの方が大きいです」
ラクランは小さく笑った。
その笑顔の裏で、きおの頭上に浮かぶ“寿命カウント”を確認する。
昨日のブルペンでは、揺れが何度も起きた。
そのたびに数字が減り続け、ラクランは胃が痛くなるほど不安だった。
だが──
(……日付を跨いだら戻ってる。ベース値は少し減ってるけど……まだ大丈夫だ)
数字は寿命だと理解している。
揺れの直後に減ることも知っている。
ただ、揺れの正体が何なのかは分からない。
きおは普通に投げているだけに見えるのに、寿命だけが異常に減る。
(原因さえ分かれば……)
だが、今は試合が始まる。
――――
ブルペンに向かうと、見慣れない影が立っていた。
「……監督?」
マイナー監督が腕を組んで、ブルペンの前に立っていた。
普段は試合前にここへ来ることなどほとんどない人物だ。
「噂の新人を見に来た。どれほどのもんか、直接確かめたくてな」
コーチが驚いたように眉を上げた。
「監督、自分が見ておきますので……」
「いや、今日は俺が見る」
監督はきおをじっと見つめた。
その目は、数字ではなく“球質”を見るタイプの目だった。
ラクランは喉が乾くのを感じた。
(……監督まで来たら、きおはもっと投げさせられる)
――――
きおはマウンドに立ち、ラクランが構える。
初球、ストレート。
だが、指のかかりが甘い。
(……直す)
きおが意識を切り替えた瞬間、
ラクランの視界が揺れた。
空気が歪み、世界が跳ねる。
(……まただ)
揺れの直後、きおの寿命カウントが減る。
その日中は戻らない。
積み重なっていく。
だが、きおは気づかない。
ただ、修正したフォームで投げただけだ。
ズバンッ。
ミットに収まった瞬間、監督の目がわずかに見開かれた。
「……今の、見たか?」
コーチが慌ててスピードガンを見る。
「え、ええ……でも、肩はまだ作ってないはずで……」
監督はスピードガンではなく、きおの腕の振りと球の伸びを見ていた。
「数字じゃない。球質が異常だ」
ラクランはミット越しに監督の表情を盗み見た。
(……まずい。監督が気づいたら、きおはもっと投げさせられる)
監督は短く言った。
「今日の相手なら、十分抑えられる。先発で行く」
コーチが驚く。
「監督、本気ですか?」
「本気だ。あれは本物だ」
きおは嬉しそうに目を輝かせた。
「ありがとうございます!」
ラクランは胸の奥が冷たくなる。
(……今日も寿命が減る。でも……昨日みたいに日付を跨げば戻る。
だから……まだ大丈夫だ。大丈夫なはずだ)
――――
試合開始。
初回、きおはマウンドに立つ。
観客席はまばらだが、ざわつきが伝わってくる。
「アジアの新入りが先発らしいぞ」
「変な球投げるって噂の」
きおは深呼吸した。
(……大丈夫。直せばいい)
初球、ストレート。
タイミングが少しズレた。
(戻す)
揺れが走り、寿命カウントが減る。
(また……!)
きおは気づかず、修正したフォームで投げる。
ズバンッ。
打者は完全に振り遅れた。
「速っ……!」
「なんだ今の伸び」
きおは嬉しそうに笑った。
(……よし、狙い通り)
ラクランは胸の奥が冷たくなる。
(揺れの直後に寿命が減る……でも、揺れの正体が分からない。
きおは普通に投げてるだけなのに……なんでだ)
だが、止められない。
きおは勝つために戻る。
迷いなく、当然のように。
揺れが連続し、寿命カウントが減り続ける。
三者連続三振。
観客席がどよめいた。
「なんだあの新人……」
「球が消えるみたいだぞ」
きおはベンチに戻りながら、嬉しそうにラクランを見る。
「ラクランさん、今のどうでした?」
「……最高だよ」
ラクランは笑った。
だがその笑顔は、きおには見えないほど苦しかった。
(……今日の分は、また夜に戻る。
でも……ベース値が少しずつ減ってる。
このまま続いたら……どうなるんだ)
――――
三回、きおの打席が回ってきた。
DHなしのリーグ。
投手も打席に立つ。
初球、外角の速球。
きおは見送った。
(……タイミングが遅い。直す)
揺れが走り、寿命がまた減る。
きおは何も知らず、修正したタイミングでスイングした。
カキーン。
打球は鋭くライト前へ抜けた。
「ピッチャーがあんな打球打つか?」
「なんだあいつ……」
きおは嬉しそうに一塁ベース上で帽子を触った。
(……直してよかった)
ラクランは胸の奥が締めつけられる。
(……今日の分は、また夜に戻る。
でも……ベース値が少しずつ減ってる。
このまま続いたら……どうなるんだ)
――――
試合はきおの圧倒的な投球で進んだ。
五回まで無失点、被安打ゼロ。
だが、ラクランだけが知っていた。
その裏で、きおの寿命がどれだけ減っているかを。
(……守らないと。俺が、こいつを)
試合後、監督がきおの肩を叩いた。
「お前……本当にすごいな。次も先発だ」
きおは目を輝かせた。
「はい! もっと頑張ります!」
ラクランはその笑顔を見て、胸が痛くなった。
(……頑張らなくていい。もう十分だ。
でも言えない……)
きおはまだ知らない。
——揺れの正体も。
——寿命が減っている理由も。
そしてその謎を抱えたまま、
きおのマイナー生活は静かに加速していく。




