第9話 マイナー合流
翌朝、きおはラクランとともにマイナー施設へ向かった。
球団本部から車で一時間ほど離れたその球場は、メジャーの華やかさとは無縁だった。
駐車場は砂利で、フェンスは錆び、クラブハウスの外壁は色あせている。
看板の文字も剥がれかけていて、風が吹くたびにカタカタと揺れた。
「……ここが、マイナー?」
きおがつぶやくと、ラクランは淡々と答えた。
「ここが現実だ。メジャーとは別世界だぞ」
クラブハウスの扉を開けた瞬間、汗と土と洗剤の混ざった匂いが鼻をついた。
ロッカールームでは、選手たちが大声で笑い、叫び、音楽を流している。
「おい、新入りか?」
「アジアのピッチャーだろ?」
「映像見たぞ。変な球投げてたな」
荒々しい視線がきおに向けられる。
敵意ではないが、好奇心と警戒が入り混じった目だ。
(……怖い。でも、負けたくない)
ラクランが隣にいるだけで、少し安心できた。
「ロッカーはここだ。荷物を置け」
案内されたロッカーは小さく、扉は少し歪んでいた。
閉めると金属が軋む音がした。
「ブルペンに行くぞ。コーチが待ってる」
ラクランに促され、きおはグラブを持って外に出た。
ブルペンは球場の外れにあり、簡易的な屋根がついているだけだった。
マウンドの土は固く、ところどころ凹んでいる。
コーチが腕を組んで待っていた。
「きお、だな。映像は見た。……本物かどうか、今日確かめる」
その声には、期待と半信半疑が混ざっていた。
ラクランがミットをはめ、しゃがみ込む。
きおは深呼吸し、マウンドに立った。
ストレートを投げ込む。
(……肩、まだできてないな。戻す)
きおは迷いなく意識を切り替えた。
——30秒前へ。
身体がふっと軽くなる。
筋肉の張りも、呼吸も、心拍も、すべて巻き戻る。
(もう一回。今度は肩をしっかり入れる)
フォームを微調整を何度も繰り返した。
最高の状態で腕を振った。
——その瞬間。
ラクランの視界がわずかに歪んだ。
空気が引き伸ばされるような、あの“揺れ”だ。
(……いきなりか)
揺れの直後、きおの頭上の数字が乱れた。
寿命が、一気に削れる。
ラクランは息を呑んだ。
(初球から……!)
だが、きおは気づかない。
ただ、狙い通りのフォームで腕を振り抜いた。
ミットに収まった瞬間、乾いた音がブルペンに響いた。
コーチが目を見開いた。
「……は?」
スピードガンを見て、さらに固まる。
「おい、肩作ってないだろ……なんで初球からこんな球が出るんだ」
周囲の選手たちもざわつき始めた。
「今の速すぎね?」
「ウォームアップなしであれはおかしいだろ」
きおは戸惑いながらも、褒められていると思って笑った。
「え、あの……良かったですか?」
コーチはしばらく言葉を失っていたが、やがてゆっくりとうなずいた。
「……ああ。良すぎる。意味が分からんが、良すぎる」
きおは胸が熱くなった。
(……戻して直した甲斐があった)
ラクランはミットの中で手を強く握りしめていた。
(……寿命が、また削れた)
揺れの直後に削れ、0時に戻る。
自然の清算サイクルとは明らかに異なる動き。
(このままじゃ……)
言えない。
言えるはずがない。
「きお!」
コーチが声を張り上げた。
「明後日の試合、先発で投げてもらう」
「えっ……!」
きおは目を丸くした。
「マジかよ」
「いきなり先発?」
「でも、あの球なら……」
周囲の選手たちがざわつく。
きおは胸の奥が熱くなった。
(……俺、試合に出られるんだ)
コーチは真剣な目で言った。
「お前の球は、試す価値がある。
うちは勝ててない。だからこそ、こういう才能が必要なんだ」
その言葉に、きおは強くうなずいた。
「……はい! 頑張ります!」
ラクランはきおの背中を見つめながら、静かに息を吐いた。
(……守らないと)
ブルペンの空気はざわついたまま。
きおの“異常な球”が、マイナーの小さな世界を揺らし始めていた。
そして、きお自身はまだ知らない。
——自分がリープを使うたびに、寿命が削れていることを。
その事実を知っているのは、今のところラクランだけだった。




