第7話 球団会議 ~大人たちの判断~
球団本部の会議室は、朝の光が差し込んでいるにもかかわらず、どこか薄暗かった。
蛍光灯は古く、じりじりと低い音を立てている。
壁のペンキはところどころ剥がれ、ホワイトボードは黄ばんでいた。
万年下位の弱小球団らしい、疲れた空気が漂っていた。
「……で、これが昨日のトライアウト映像だ」
スカウトのひとりがノートPCをプロジェクターにつなぎ、再生ボタンを押した。
画面に映るのは、きおの投球。あの、揺れの直後に質が変わる球。
会議室にいる十数名のスタッフたちは、最初は半信半疑だった。
だが、スライダーがミットに吸い込まれた瞬間、ざわりと空気が揺れた。
「……なんだ、この曲がり方は」
「球速は平凡だが、質が異常だ」
「うちの分析班でも説明できんぞ」
「いや、そもそもこれ……どうやって投げてる?」
弱い球団の会議は、いつもはもっと静かだ。
予算の話、補強の失敗、育成の遅れ。暗い話題ばかりが並ぶ。
だが今日は違った。
映像の中のきおが、彼らの沈んだ空気を一瞬で変えていた。
ラクランは黙って映像を見つめていた。
彼だけが知っている。
——あの球の裏で、きおの寿命が削れていたことを。
「この子、いくつだ?」
「十八。高校卒業したばかりだそうです」
「十八でこの球……?」
スカウトたちの声には、驚きと興奮が混ざっていた。
弱い球団にとって、こういう“掘り出し物”は希望そのものだ。
「契約金は?」
「ほとんどかかりません。ドラフト外ですし、本人も条件にこだわりはないようで」
「……いいな。うちは金で勝てない。こういう選手を拾うしかない」
球団幹部のひとりが、深くうなずいた。
その言葉には、長年の苦労と諦めが滲んでいた。
「で、ラクラン。お前はどう見た?」
突然名前を呼ばれ、ラクランはわずかに姿勢を正した。
映像の中のきおの投球が、脳裏に焼き付いている。
(……揺れの直後に、数字が削れた)
言えるはずがない。
寿命が見えるなんて、誰にも言えない。
ラクランは短く答えた。
「……球質は、本物です」
会議室が静まり返った。
ラクランの言葉には、捕手としての重みがある。
「本物、か」
「ラクランがそう言うなら間違いないな」
「よし、契約だ」
決定はあっけないほど早かった。
弱い球団は、迷っている余裕がない。
「すぐにマイナーに送る。あの球なら、実戦で試す価値がある」
「AAかAAAか……どっちに置く?」
「AAAだろう。うちは投手が足りてない」
ラクランは胸の奥がざわつくのを感じた。
(……AAA? いきなり?)
だが、きおの球質なら不思議ではない。
問題は、球質ではない。
——寿命だ。
揺れの直後に削れ、0時に戻る。
自然の清算サイクルとは明らかに異なる動き。
(……このままじゃ危ない)
だが、言えない。
言えるはずがない。
「ラクラン、お前も同行してくれ」
幹部の声に、ラクランは顔を上げた。
「捕手として、あの子を見てほしい。うちの未来がかかってる」
未来。
その言葉が、妙に重く響いた。
「……分かりました」
ラクランは静かに答えた。
「それと——」
別の幹部が口を開いた。
「9月のロースター拡大で、メジャーに上げる可能性もある」
会議室がざわついた。
「さすがに早すぎるだろ」
「いや、うちは下位だ。若手を試すにはちょうどいい」
「ファンも喜ぶ。希望が欲しいんだ」
ラクランは息を呑んだ。
(……9月に、メジャー?)
きおの寿命の削れ方を思い出す。
あのまま投げ続ければ、いつか——。
だが、球団はそんなこと知るはずもない。
彼らに見えているのは、きおの“才能”だけだ。
「以上だ。契約の準備を進めろ」
会議はあっさりと終わった。
弱い球団の決断は、いつも早い。
迷っている余裕がないからだ。
スタッフたちが席を立ち、会議室から出ていく。
ラクランはひとり、しばらく席に残った。
(……きお。お前は、普通じゃない)
映像の中のきおの投球が、何度も脳裏に再生される。
揺れ。
削れた寿命。
戻る数字。
自然の枠に収まらない存在。
(……見届けるしかない)
ラクランは立ち上がり、会議室を後にした。
その頃、きおのスマートフォンには、
まだ知らない番号から着信が入ろうとしていた。




