第6話 ラクラン・リード ~能力の自覚~ [2/2]
会議室へ向かう廊下は、朝の光が差し込んで静かだった。
スタッフの声が遠くで響く。
ラクランは歩きながら、視界の奥に浮かぶ数字をぼんやりと見つめた。
——人の残り寿命。
それは「日数・時・分・秒」まで正確に見える。
秒単位で減り続ける。
減る速度は常に一定。
事故や突発的な死は見えないが、自然死のラインは分かる。
この数字は、生まれたときからそこにあった。
母に話したとき、誰にも見えていないと知った。
だが、ラクランの“能力との向き合い方”を決定づけたのは、母ではなく——父だった。
父は厳格で、努力と結果を重んじる人だった。
弱音を嫌い、曖昧な言い訳を許さない。
ラクランが少年野球を始めた頃、父はよくこう言った。
「数字に惑わされるな。
大事なのは、目の前のプレーだけだ」
もちろん、父は“寿命の数字”のことなど知らない。
だが、ラクランにはその言葉が妙に刺さった。
——数字に惑わされるな。
父は、ラクランが数字を見ていることを知らない。
だが、まるで見透かしているように言うのだ。
ある日、ラクランは試合前に父に言った。
「相手のピッチャー、今日……あまり長くない」
父は眉をひそめた。
「ラクラン。
そんなことを気にするな。
相手の弱さに頼るな。
自分の力で勝て」
その言葉は、ラクランの胸に深く沈んだ。
——数字を見てはいけない。
——数字に頼ってはいけない。
その日から、ラクランは数字を“見ないふり”を覚えた。
見えてしまうものを、見ないようにする訓練。
父の前では特に、数字の存在を意識しないようにした。
だが、数字は消えない。
視界の奥で、静かに、確実に減り続ける。
ラクランは観察者になった。
数字の変動を記録し、
人の生き方と寿命の関係を理解しようとした。
そして、長い年月をかけて、ひとつの“法則”に気づいた。
寿命は、その日の行動によって変動する。
だが、その変動はリアルタイムでは起きない。
——日付が変わった瞬間に清算される。
まるで0時に走るバッチ処理のように、
前日の行いが一括で寿命に反映される。
健康的な生活を送った人は、翌朝ほんの少しだけ数字が伸びる。
逆に、無茶をした人は短くなる。
大きな手術を成功させた人は、翌日には何日、何年も増えていることもある。
ラクランにとって、それは“自然の仕組み”だった。
世界が持つ、見えない帳簿のようなもの。
人間の生き方を淡々と記録し、0時に清算する。
そして、もうひとつ。
ラクランには“見えないもの”があった。
——自分自身の寿命。
鏡を見ても、水面を覗いても、写真を見ても、
自分の頭上にだけ数字は浮かばない。
父はよく言った。
「自分の限界は、自分で決めるな」
ラクランはその言葉を、別の意味で受け取っていた。
——自分の寿命が見えないのは、
“限界を知るな”ということなのか。
他人の寿命は見えるのに、自分だけは見えない。
その矛盾は、彼の心に静かな影を落とした。
数字が見えるということは、
人の終わりを常に意識するということだ。
知りたくない未来まで、勝手に目に入ってくる。
ラクランは、能力の便利さよりも、
その“重さ”を知っていた。
長年数字を見続けてきたが、
それでも分からないことの方が多い。
寿命とは何なのか。
何がどこまで影響するのか。
世界はどんな仕組みで“時間”を管理しているのか。
ラクランは、自分の能力を完全には理解できていなかった。
数字は規則正しく減り、
日付が変われば前日の行いが清算される。
それが世界の“当たり前”だと信じていた。
——昨日までは。
——だが、きおの数字は、その理解を揺さぶった。
揺れの直後に削れ、0時に戻る。
自然の清算サイクルとは明らかに異なる動き。
ラクランは昨日からずっと考えていた。
(……あれは、自然じゃない)
自然の寿命は、良い行いで少しずつ伸びる。
だが、きおの寿命は“削れた分だけ”戻る。
まるで、世界がきおの寿命だけ別枠で計算しているようだった。
(……あれは、なんなんだ)
きおの数字は、自然の法則の外側にある。
揺れの直後に削れ、0時に戻る。
その繰り返し。
きお本人は気づいていない。
自分が何をしているのかも、何を失っているのかも。
ラクランは胸の奥に、言葉にできないざわつきを覚えた。
——あの子は危ない。
——あの子は、放っておけない。
昨日のきおの目が脳裏に浮かぶ。
痛々しいほどの必死さ。
自分の身に何が起きているかも知らず、
ただ前だけを見て投げる姿。
(……俺が見ておかないと)
ラクランは歩き出した。
廊下の先に、会議室の扉が見えてくる。
今日、きおの未来が決まる。
契約するか、しないか。
プロの世界に踏み込むか、弾かれるか。
だが、ラクランにとっては別の問題があった。
——きおの寿命は、このままでは危ない。
揺れのたびに削れ、0時に戻る。
その繰り返しが、いつまで続くのか。
限界はあるのか。
そもそも、あれは何なのか。
ラクランは答えを持っていない。
だが、きおの数字が“自然の枠に収まらない”という事実だけは、
確実に理解していた。
会議室の扉の前に立つ。
中では、コーチ陣とスカウトがすでに集まっているはずだ。
ラクランは静かに息を整えた。
——きおの数字。
あれは、自然の枠に収まらない。
その事実が、静かに、確実に、
ラクランの中で形を成しつつあった。
そして、扉に手をかけた。




