第6話 ラクラン・リード [1/2]
ラクラン・リードは、朝のロッカールームでひとり静かにスパイクの紐を結んでいた。
昨日のトライアウト。
そして今日の実戦テスト。
どちらも、彼にとって忘れられない“異常”があった。
——数字が、戻っていた。
彼の視界の奥には、生まれつき“人の残り時間”が見える。
それは時計のように正確で、決して増えることはない。
減るだけだ。
例外など、一度もなかった。
……少なくとも、きおを見るまでは。
ラクランは紐を結ぶ手を止め、深く息を吐いた。
昨日の夕方に見た数字より、
今朝のきおの数字は“長くなっていた”。
(……あり得ない)
ラクランは眉を寄せた。
数字が増えることはない。
健康的な生活を送った人が、翌朝ほんの少しだけ伸びることはある。
だが、それは“自然の清算”の範囲だ。
きおの変動は、その幅を明らかに超えていた。
そして、もうひとつ。
——揺れ。
きおが投げる直前、世界がわずかに“ずれる”。
空気の層が歪むような、視界の奥が引き伸ばされるような、
説明できない違和感。
その直後、きおの数字が“乱れる”。
(揺れ → 数字の変化。
偶然じゃない)
だが、理由は分からない。
きおが何をしているのかも分からない。
ただ、昨日の最後のスライダー。
あれは危険だった。
——数字が、一気に削れた。
ラクランは思わず息を呑んだ。
あの瞬間、きおは“何か”を代償にしていた。
(……気づいていないんだろうな)
きおの顔には、ただ必死さと緊張だけがあった。
自分の身に何が起きているかなど、まるで知らない。
ラクランはゆっくりと立ち上がり、ミットを手に取った。
捕手としての本能が告げていた。
——あの子は危ない。
——だが、放っておけない。
危険と興味。
警戒と保護。
相反する感情が胸の奥でせめぎ合う。
(きお……お前はいったい何なんだ)
昨日のスライダーの軌道を思い出す。
あれは、ただの才能では説明できない。
揺れの後に投げた球は、質が“変わる”。
(あの揺れが……鍵だ)
だが、きお自身は気づいていない。
自分が“世界を動かしている”ことに。
ラクランは深く息を吸った。
——そして、ふと幼い頃の記憶がよみがえった。
最初は、誰にでも見えているものだと思っていた。
人の頭上に浮かぶ数字。
日数と時間と分と秒。
それが何を意味しているのか、説明されなくても分かっていた。
だから、ある日、母に言ったのだ。
「ママ、今日は“二十日と三時間”なんだね」
母は笑って、
「何の話?」
と首をかしげた。
ラクランは数字を指さした。
だが、母はその方向を見ても、何も反応しなかった。
「ほら、そこに——」
言いかけた瞬間、母の表情が変わった。
心配と困惑が混ざったような、あの独特の大人の顔。
「ラクラン、冗談はやめなさい」
その声を聞いたとき、ラクランは初めて理解した。
——ああ、これは“みんなに見えているもの”じゃないんだ。
それからは、誰にも言わなくなった。
言えば、またあの目を向けられる。
心配され、距離を置かれ、
“普通じゃない子”として扱われる。
ラクランは数字のことを胸の奥にしまい込み、
ただ静かに観察するようになった。
数字は減り続ける。
日付が変わると、前日の行いが清算されるように変動する。
健康的な生活を送った人は、翌朝ほんの少しだけ伸びる。
逆に、無茶をした人は短くなる。
それが“自然の仕組み”なのだと、
ラクランはいつしか受け入れていた。
——だが、きおは違う。
揺れの直後に数字が大きく削れ、
0時になると“削れた分だけ”戻っている。
自然の清算サイクルとは明らかに異なる動き。
(……あれは、なんなんだ)
胸の奥に、言葉にできないざわつきが広がる。
捕手としての本能が告げている。
あの子は危険だ。
だが、それ以上に——
(……放っておけない)
数字が削れた瞬間の、あの痛々しいほどの必死さ。
自分の身に何が起きているかも知らず、
ただ前だけを見て投げる姿。
ラクランは、あの目を忘れられなかった。
——守らなきゃいけない。
そんな感情が、静かに胸の奥に沈んでいく。
今日、球団会議がある。
きおが契約候補として提出される日だ。
(もし契約になれば……俺が面倒を見るしかない)
捕手として。
そして、この奇妙な能力を持つ者として。
ロッカールームの扉を押し開けると、
外の光が差し込んだ。
——きお。
今日、お前の未来が決まる。
ラクランは静かに歩き出した。
その胸の奥には、
昨日よりも強い“確信”が芽生えていた。
——あの子は、普通じゃない。
そしてもうひとつ。
——俺が捕らなきゃいけない。
理由は分からない。
ただ、そう思った。




