第5話 トライアウト ~初投球~ [2/4]
マウンドに立った瞬間、きおは足の裏がじんと熱くなるのを感じた。
土の感触が日本と違う。
乾いていて、少しザラついている。
空気は軽く、日差しは強い。
遠くで英語の声が響き、レーダーガンの電子音が鳴る。
——ここで投げるんだ。
胸の奥がざわつく。
でも、そのざわつきは恐怖ではなかった。
ブルペンの奥では、捕手のラクランがマスク越しにきおを見ていた。
その視線は、まるで“何か”を測るように鋭い。
きおは気づかない。
自分がマウンドに立つたびに、ラクランの視界に数字のノイズが走っていることに。
「準備できたら投げていいぞ」
コーチが短く言った。
きおは頷き、深呼吸をした。
——まずは一球。
足を上げ、腕を振り下ろす。
ボールは捕手のミットに吸い込まれた。
「……ふむ」
コーチがレーダーガンを見て眉を上げた。
「今のが……八十……?」
きおは聞こえなかったふりをした。
緊張で手が汗ばむ。
でも、身体は動く。
ラクランはミットを構えたまま、きおをじっと見ていた。
——今の一球で、寿命が跳ねた。
ラクランは眉をひそめた。
球の軌道の違和感ではない。
もっと根本的な“時間の層”がずれたような感覚。
だが、それを口に出すわけにはいかない。
自分の能力を悟られるわけにはいかない。
「次、スライダー投げられるか?」
コーチが言った。
きおは頷く。
スライダーは得意ではない。
でも、投げられないわけではない。
足を上げ、腕を振る。
ボールはわずかに曲がり、ミットに収まった。
「……ふむ」
コーチはまたレーダーガンを見た。
その表情は読み取れない。
ラクランはミットを軽く振った。
「もっと腕を振っていい」という合図だ。
きおは頷いた。
——次は、全力で。
足を上げ、身体をひねり、腕を振り抜く。
ボールが空気を裂いた。
ミットが大きく鳴った。
「……!」
コーチがレーダーガンを見て固まった。
ラクランの視界には、また数字の揺らぎが走った。
——まただ。
寿命の残量が、一瞬だけ“飛んだ”。
普通の人間ではあり得ない変動。
だが、ラクランは表情を変えない。
「もう一球、同じのを」
コーチが言った。
きおは頷く。
でも、手が震えていた。
——さっきのは、偶然じゃない。
——ぼくは、もっと投げられる。
でも、緊張で身体が固まる。
きおは一度、深呼吸をした。
そして——
ほんの一瞬だけ、時間を戻した。
戻った世界では、
きおは震えていない。
ただ、自然に足を上げている。
ラクランの視界に、また揺らぎが走った。
——……今のは、球じゃない。
ラクランは確信ではなく、強烈な違和感を覚えた。
球の軌道では説明できない。
リリースでもない。
身体の使い方でもない。
もっと根本的な“時間の層”がずれている。
だが、それを言葉にすることはできない。
自分の能力を悟られるわけにはいかない。
きおは全力で腕を振り抜いた。
ミットが弾けるような音を立てた。
「……おい」
コーチがレーダーガンを見て、思わず声を漏らした。
「今の……九十……?」
周囲の選手たちがざわついた。
「嘘だろ」
「あの体格で?」
「日本人の……子どもじゃないか?」
きおは聞こえないふりをした。
でも、胸の奥が熱くなる。
——ぼく、投げられるんだ。
ラクランはミットを外し、きおに歩み寄った。
「……悪くない」
それだけ言って、ミットを肩に担ぐ。
その声は落ち着いていたが、
その奥には“探るような色”があった。
「名前は?」
簡単なはずの言葉なのに、頭が真っ白になった。
きおは一瞬固まる。
——聞き取れない。
スマホをポケットの中で握り、翻訳アプリを起動する。
意味を理解してから数秒だけ戻る。
戻った世界では、自然に答えていた。
「Kio. Kio Kanbe.」
ラクランは短く頷いた。
「……きお。
お前の球、気になる。
もう少し投げてもらうぞ」
その言葉は挑発ではなかった。
ただ、純粋な興味と、捕手としての本能だった。
コーチが近づいてきた。
「きお、だな。……悪くないどころじゃない。
追加で見たい。午後に個別のワークアウトを組む」
周囲の選手たちがざわついた。
「追加? マジかよ」
「選ばれたのか?」
「あの日本人の子が?」
ラクランはコーチに向き直り、静かに言った。
「コーチ。
こいつは……もっと見た方がいい」
その声は淡々としていたが、
きおの球に対する“本気の興味”が滲んでいた。
コーチは頷いた。
「よし。きお、午後も来い。」
きおは言葉を失った。
胸の奥が熱くなる。
視界が少し滲む。
——ぼくは、ここにいていいんだ。
その実感が、
マウンドの上で静かに広がっていった。




