第7話 女神の代理人は、静かに降り立つ
空が、割れた。
正確には、割れたように“見えた”だけだ。音はなく、光も派手ではない。ただ、そこにあったはずの空間が、当然のようにずらされ、その隙間から一人の人物が現れた。
英雄は、即座に理解した。
(――来たか)
女神の代理人。
世界が直接手を下せない対象に対し、間接的に干渉するための存在。
“役割”を最も忠実に体現する、人の形をした装置。
「……うわ」
隣で、案内役の少女が小さく呟いた。
「趣味、悪い」
現れたのは、若い男だった。
年齢は二十代前半に見える。整った顔立ち。清潔な装束。戦場に立つ者の緊張感はなく、学者か聖職者のような佇まい。
だが。
彼の背後には、無数の“線”が見えていた。
英雄の視界にだけ、はっきりと。
――代行者。
――調停者。
――修正執行権限。
役割が、重なりすぎている。
「……初めまして」
代理人は、穏やかな声で言った。
「私は、女神様の意思を地上に伝える者です」
その視線が、英雄に向けられる。
「あなたが、“逸脱個体”ですね」
案内役の少女が、即座に前に出た。
「その呼び方、やめてくれる? 人として扱う気ないでしょ」
「事実を述べているだけです」
代理人は、困ったように微笑む。
「役割を拒否し、物語の進行を阻害する存在。定義上、そうなります」
英雄は、一歩前に出た。
「用件は」
「簡単です」
代理人は、淡々と言う。
「戻ってください」
「……戻る?」
「はい」
彼は指を立てる。
「あなたを、再配置します。記憶の一部を修正し、英雄ではない形で世界に戻す」
「それで?」
「物語は、安定します」
案内役の少女が、鼻で笑った。
「都合いいね。失敗したら消して、使える形に作り直す」
「効率的です」
代理人は、悪びれない。
「世界は、人の感情よりも大きい」
英雄は、代理人を真っ直ぐ見据えた。
「断ったら?」
代理人の表情が、ほんの僅かに変わる。
「……残念ですが」
空気が、重くなる。
「強制修正を行います」
その瞬間。
英雄は、確信した。
(こいつは……話が通じない)
理屈ではなく、仕様だ。
善悪でも、憎悪でもない。
“役割を果たす存在”。
案内役の少女が、英雄の袖を引く。
「ねえ。正面からやると、まずい」
「分かっている」
英雄は、小さく息を吸う。
代理人の背後。
無数の“線”が、彼を通じて世界へと繋がっている。
英雄は、それを“見た”。
そして。
否定した。
――代行者。
――唯一の正解。
――修正権限。
ほんの一瞬。
それだけでよかった。
『警告』
『権限干渉を確認』
『代理権限に揺らぎ』
代理人が、初めて目を見開いた。
「……何を」
「選ばせる、と言ったはずだ」
英雄は、静かに告げる。
「お前にも」
代理人の足元が、僅かに歪む。
完全な破壊ではない。
だが。
“絶対”ではなくなった。
代理人は、ゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
声に、感情が混じる。
「これは、想定外です」
案内役の少女が、小さく笑った。
「でしょ? だから“異物”なんだよ」
代理人は、英雄を見つめる。
その目に、初めて“迷い”が浮かんでいた。
「あなたは……危険だ」
「今さらだ」
英雄は、引かなかった。
代理人は、しばらく沈黙し、やがて言った。
「本日は、引きます」
空間が、再びずれる。
「ですが」
消え際、確かに告げた。
「次は、選択肢を減らします」
代理人の姿が消えると、空気が一気に軽くなった。
案内役の少女が、大きく息を吐く。
「……心臓に悪い」
「同感だ」
英雄は、拳を開く。
手のひらが、僅かに震えていた。
(使った……)
ほんの一瞬。
だが、確実に。
世界の“正しさ”に、傷をつけた。
「ねえ」
案内役の少女が、真剣な声で言う。
「今の、見てた?」
「見た」
「じゃあ分かるでしょ」
彼女は、英雄を見上げる。
「もう、引き返せない」
英雄は、頷いた。
「ああ」
女神の代理人が去った空間を見つめながら、告げる。
「だが、進む道は選べる」
それが、世界にとって最も厄介な答えだとしても。
物語は、確実に。
管理者の想定を外れ始めていた。
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