幕間 勇者は、正しいはずの剣を握れなかった
勇者は、眠れていなかった。
王都の私室。豪奢な天蓋付きの寝台に横たわっても、意識は浅い。瞼を閉じるたび、あの処刑台の光景が蘇る。
――目を逸らした自分。
――振り下ろされた剣。
――何も言わなかった民衆。
勇者は、ゆっくりと身を起こした。
壁に立てかけられた聖剣が、淡く光っている。女神の祝福を受けた、世界で唯一の“正しい剣”。魔王を討ち、世界を救った証。
そのはずだった。
「……」
勇者は、剣に手を伸ばし――止めた。
理由は分からない。だが、触れてはいけない気がした。
(おかしい)
これまで、迷ったことはなかった。
剣を抜くべき時は抜けた。
斬るべき敵は、斬れた。
女神の声が、いつも導いてくれたからだ。
『勇者よ』
その声が、今も聞こえる。
『あなたは正しい』
『あなたの選択は、世界のため』
勇者は、額を押さえた。
「……本当に?」
誰に向けた問いでもない。
だが、その瞬間。
聖剣の光が、僅かに揺らいだ。
「……っ」
勇者は、はっきりと感じた。
――何かが、欠けている。
処刑の後。
世界は確かに“安定”しているはずだった。
英雄は不要。
物語は完結。
次の時代へ。
それなのに。
(なぜ……重い)
胸の奥が、妙にざわつく。
剣を握る手が、わずかに震える。
勇者は、部屋を出た。
廊下には、夜番の兵士が立っている。
彼らは敬礼し、勇者を讃える。
「勇者様」
「世界を救ってくださり、ありがとうございます」
その言葉が、突き刺さる。
勇者は、思わず問うていた。
「……救われた、と。そう思うか」
兵士は、戸惑いながらも頷く。
「は、はい。もちろんです」
「犠牲は?」
「……必要な犠牲だったと」
勇者は、それ以上何も言えなかった。
自分も、同じ答えを出したからだ。
――必要だった。
――正しかった。
そう、思わなければ。
部屋に戻ると、聖女が待っていた。
「眠れませんでしたか」
彼女は、穏やかな声で言う。
「……君は」
勇者は、言葉を探す。
「祈ったのか」
「ええ」
「何を?」
聖女は、一瞬だけ沈黙し、答えた。
「世界の安定を」
勇者は、目を伏せた。
「……彼のためには?」
聖女の指が、僅かに震えた。
「……祈りました」
だが、その声は弱い。
勇者は、確信した。
――誰も、彼を選ばなかった。
世界のために。
物語のために。
勇者自身も。
その夜。
勇者は、初めて夢を見た。
夢の中で、英雄は処刑台に立っていない。
剣も、血もない。
ただ、こちらを見ていた。
『――選べ』
声は、聞こえなかった。
だが、確かにそう言われた気がした。
勇者は、叫ぼうとして――声が出ない。
目を覚ますと、朝だった。
聖剣の光は、以前よりも弱い。
『勇者よ』
女神の声が、どこか遠い。
『迷ってはなりません』
『あなたは、正しい』
勇者は、剣を握る。
だが。
(……握れていない)
力を込めているはずなのに。
剣が、以前のように“応えない”。
勇者は、初めて理解した。
英雄がいなくなった世界は、
確かに安定している。
だが。
――正しさだけでは、立っていられない。
そのことを。
まだ、誰も気づいていなかった。
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