第12話 善意は、選択を歪める
勇者の町の外れにある、古い礼拝堂。
使われなくなって久しいその建物は、女神信仰が広まる前の様式を色濃く残していた。祈りのための像はあるが、祝福の紋章は刻まれていない。
「……ここなら、少しは安全」
案内役の少女が、小さく息を吐いた。
「“正しい場所”じゃないからね」
英雄は頷いたが、表情は硬いままだった。
(……あれは)
先ほど町で見た光景が、頭から離れない。
噴水の前で立ち尽くす勇者。
剣を抜かなかった、その一瞬。
(勇者は、もう“完全な装置”じゃない)
それは希望でもあり、危険でもあった。
「……考えすぎ」
案内役の少女が、彼の様子に気づく。
「今は、距離を取るのが正解だよ。下手に関わると――」
「分かっている」
英雄は、遮るように言った。
「だからこそ、だ」
聖女候補の少女が、不安そうに二人を見る。
「……何か、起きるんですか」
英雄は、少し迷ってから答えた。
「起きないように、するつもりだ」
それが、彼の判断だった。
***
夜。
礼拝堂の中で、聖女候補の少女は一人、座っていた。
祈ってはいない。
だが、手は自然と胸の前で組まれている。
(……私は、何を信じてるんだろう)
同行を選んだ。
自分で決めた。
それなのに。
町に戻った途端、胸の奥がざわついた。
祈りの言葉が、喉の奥に浮かんでは消える。
「……怖い」
小さな声。
そのとき。
空気が、微かに震えた。
『聖女候補よ』
声が、直接、頭に響く。
少女は、びくりと肩を震わせた。
『選択に、迷いがありますね』
「……っ」
彼女は、周囲を見回す。
誰もいない。
『それは、当然です』
『あなたは、選ばれなかった存在』
胸が、締め付けられる。
『ですが』
『今なら、意味を与えられます』
目の前に、淡い光が浮かぶ。
祈りの象徴。
かつて、憧れた“正しさ”。
『勇者を導きなさい』
『町を安定させなさい』
少女の喉が、鳴る。
「……それは……」
『あなたが、役立つ唯一の道』
涙が、視界を滲ませる。
(……違う)
(私は、選んだ)
だが、その選択は、まだ弱い。
『彼は、あなたを尊重している』
『だから、止めません』
その言葉が、決定打だった。
(……英雄さんは)
(私に、何も強制しない)
(だから……)
光が、少女の胸に近づく。
***
その頃。
英雄は、礼拝堂の外に立っていた。
胸の奥に、言いようのない違和感が広がっている。
(……何か、間違えたか)
案内役の少女が、隣で腕を組む。
「ねえ」
「なんだ」
「今の判断、ちょっと危ない」
彼女は、珍しく歯切れが悪かった。
「“選ばせる”ってさ、放っておくことじゃない」
英雄は、眉をひそめる。
「……俺は、彼女を縛りたくない」
「分かってる」
案内役の少女は、言葉を選ぶ。
「でもね。弱ってる人に“自由だよ”って言うのって」
一拍。
「……崖の前で、背中を押さないのと同じなんだよ」
その瞬間。
礼拝堂の中から、光が溢れ出した。
「……っ!」
二人が駆け込む。
そこには、膝をつく聖女候補の少女がいた。
胸元に、淡い紋章が浮かび上がっている。
「……ごめんなさい……」
震える声。
「私……選びました……」
英雄は、息を呑んだ。
見えてしまった。
――聖女。
――代理導線。
――暫定修正点。
役割が、再び。
だが。
完全ではない。
歪んだ形で、彼女に絡みついている。
「……俺は」
英雄は、理解した。
自分は、彼女を信じたつもりで。
実際には――一人で戦わせていた。
案内役の少女が、歯を食いしばる。
「……やられた」
「違う」
英雄は、低く言った。
「やらせた」
彼は、一歩前に出る。
だが、手は伸ばさない。
今、壊せば。
彼女は、また“選ばされる”。
「……俺の判断ミスだ」
それは、初めての明確な後悔だった。
聖女候補の少女は、涙を流しながら、微笑もうとする。
「でも……これで……」
英雄は、首を振った。
「違う」
静かだが、はっきりと。
「それは、君の選択じゃない」
光が、揺らぐ。
だが、消えない。
世界は、もう一歩、踏み込んでしまった。
英雄は、拳を握りしめた。
(……次は)
(もっと、残酷な選択が来る)
善意で距離を取った結果。
最も守りたかった存在を、危険に晒した。
それでも。
ここで引けば、すべてが“正しい物語”に回収される。
英雄は、目を閉じ。
決めた。
――次は、放っておかない。
選ばせるために。
逃げないために。
物語は、さらに深い場所へと踏み込んでいった。
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