第11話 勇者は、自分で選んだことがない
勇者は、剣を抜けずにいた。
訓練場。
朝の光の中で、いつもなら迷いなく振るわれるはずの聖剣が、鞘に収まったまま動かない。
「……どうしました、勇者様」
周囲の兵士たちが、遠慮がちに声をかける。
「いえ」
勇者は短く答えた。
「少し、考え事を」
そう言って場を離れる自分の背中に、違和感がまとわりつく。
考え事をする勇者。
それ自体が、この町では“想定されていない”。
(いつからだ)
歩きながら、勇者は思う。
剣を振るう理由を、考えるようになったのは。
祈りの意味を、疑うようになったのは。
処刑台。
目を逸らした瞬間。
あそこから、何かが壊れ始めた。
勇者は、大聖堂へ足を向けた。
聖女が祈りを捧げる場所。
女神の声が、最も近くに届く場所。
扉を押し開けると、冷たい空気が肌を撫でる。
「……女神よ」
勇者は、跪いた。
「世界は、安定していますか」
返答は、すぐにあった。
『安定しています』
『あなたの行いは、正しい』
即答。
迷いの余地はない。
だが。
「……では、なぜ」
勇者は、言葉を探しながら続ける。
「町で、誰も動かなくなっている」
『それは、役割を果たしている証です』
「……祈る者が祈り、剣を振るう者が剣を振るう」
『はい』
勇者は、拳を握った。
「……それ以外を、選んではならないのですか」
一瞬。
ほんの一瞬、沈黙が落ちた。
『勇者よ』
『迷いは、不要です』
その声は、以前よりも強かった。
確認ではなく、修正に近い響き。
勇者は、はっきりと感じた。
(……ああ)
これは、答えではない。
命令だ。
大聖堂を出ると、町のざわめきが耳に入る。
「噴水が、まだ直らないらしい」
「聖女様は、どうして……」
「勇者様が何とかしてくださるだろう」
その言葉が、胸を締め付ける。
(俺が、何とかする……?)
いつも、そうだった。
剣を抜けば、道は示されていた。
選択肢は、最初から一つだった。
だが、今は違う。
噴水の前に立つ。
止まったままの水。
勇者は、剣に手をかけ――止めた。
(剣で、直るのか)
分からない。
だが、剣を抜けば、きっと“正しいことをした”と世界は判断する。
その“正しさ”に、恐怖を覚えた。
そのとき。
視界の端に、人影が映った。
旅人。
そして、隣にいる少女。
祈っていない。
剣も持たない。
だが、人に手を伸ばしている。
胸の奥が、ざわつく。
(……見たことがある)
いや。
(知っている)
処刑台に立っていた男と、同じ目だ。
勇者は、無意識に一歩踏み出し――止まった。
(……俺は)
ここで声をかけるべきか。
剣を抜くべきか。
それとも、何もしないか。
女神の声は、聞こえない。
代わりに、胸の奥で、別の声がした。
『選べ』
誰の声かは分からない。
だが、それは命令ではなかった。
勇者は、初めて理解した。
――自分は、今まで一度も選んだことがない。
剣を抜いたのも。
魔王を討ったのも。
英雄を見捨てたのも。
すべて、“正しい物語”が選んでいた。
勇者は、剣から手を離した。
代わりに、噴水の縁に座る。
兵士たちが、ざわつく。
「……勇者様?」
勇者は、答えなかった。
ただ、止まった水を見つめながら、思う。
(……もし)
(あの男が、ここに来た理由が)
(世界を壊すためじゃないなら)
胸の奥で、何かが静かに崩れ落ちた。
勇者は、まだ選べない。
だが。
――選ばない、という選択を。
初めて、自分の意思で取っていた。
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