最近流行りの冷笑系
自分は冷笑系と呼ばれる人達が嫌いだ。
彼らはまるで癖のように、他人の言葉を斜め上から見下ろして笑う。
何かを真面目に語れば「意識高いね」、努力を口にすれば「必死すぎ」、夢を話せば「痛い」と返す。
自分たちは安全な場所から眺めているだけで、世界の本質を全部知っているつもりでいる。
他の人間を自分より下だと思い込んで、安心して呼吸している。
だが、忘れないでほしい。
君が笑い飛ばした信念や理念を、本気で理解しようとしている人の方が、遥かに格上だということを。
君が鼻で笑った言葉の裏には、失敗や焦りや、積み重ねてきた時間や、それでも前を向こうとした意志が宿っている。
それを踏みにじりながらも、君は自分が賢いと思っている。
その浅さが、何よりも痛々しい。
人は、学び続ける限り成長する。
昨日より今日、今日より明日、少しずつでも前に進む。
新しいことを知り、見えなかった景色を手に入れ、恥をかいて、間違えて、それでもまた学ぶ。
その繰り返しの中で、少しずつ大人になっていく。
人はそうやってしか変われない。
だが、学ぶことを恐れた者たちには、その道は開かれない。
冷笑の陰に隠れて、知らないことを知らないままでいることを選んだ者。
自分はすべてを俯瞰している気になり、何も知らないのに「わかったふり」をして座り込んでしまった者。
そんな彼らには、もう成長の余地など無いのだ。
冷笑は簡単だ。
努力もいらないし、責任もいらない。
けれど簡単な生き方は、強さと同じではない。
怯えながら笑う人間の目は、すぐにわかる。
だからこそ、自分は冷笑系と呼ばれる人達が嫌いだ。
彼らが誰かを見下している間にも、学び続ける誰かは前へ進む。
世界を知ろうと手を伸ばし、わからないものに触れて、自分を変えていく。
その姿こそが、成長という名の静かな輝きだ。
学びを恐れた君たちには、それを見ることすらできない。
けれど現実は、残酷なほど単純だ。
止まる者は、止まったまま。
進む者だけが、未来へ行く。




