表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
扶桑再現  作者: 頗梨
弥生
4/20

雷鳴

「アァアアハハハ――!」


少女の潰走に呼応するように、笑い声はますます狂い、満ち足りた愉悦を孕んで響きわたる。


周囲の陰から、快楽に濡れた毒の笑いが幾重にも折り重なり、悪意が溢れ出した。


墨よりも黒く、血よりも濃い液体が噴き出す。


弁が壊れた。もう誰にも、この呪いと悪意が現世を覆うのを止められない。


今、この瞬間に遠くから雷鳴山を仰げば、山全体を呑み込むほどの深淵が降りてくるのが見えるだろう。


「ウウウウ――」


群鬼が呼び吠え、百妖が牢を破って溢れ出る。


地獄の核、監牢の裂け目。その口に、裂け女の手に握られた残破の古剣がある。


濃い黒霧が無数の妖鬼を巻き込み、彼女に喰われ――あるいは自らその七竅へと潜り込んでいく。


核から遠い場所に弾かれた冤魂は、その光景に怯え、我先にと山外へ逃れようとする。


だが雷鳴山の境を出る前に――


見よ。


天、罰を下す。


「ドオォン!」


それは鐘、それは雷、それは天罰。


天穹を覆う墨雲が一瞬で穿たれ、空が裂け、天雷が轟々と転がる。


金の稲妻が瞬く中、ひとつの人影が虚空に立つ。


――東雲太一。


――――――


都内。幽竹に囲まれたある社。日差しが青石と竹影のあいだに静かに落ちている。若い男は茶碗を握り、師に教わったとおり手首を振るう――だが、どうにも集中できない。動きはわずかに急き、何度も茶をこぼしかけた。


秒を数えて自分を縛る。茶碗の縁がかすかに震え、心は千里の彼方へ。外はただ竹葉のさやめきがあるばかりなのに、耳はどこか遠い巨響をひっかけ続ける。


ふいに、何かが静けさを破った気がした。鹿倉陽斗の神経が跳ね、茶碗を取り落としそうになり、そのまま茶を卓に置いて拝殿へ駆ける。


拝殿では、神主が几帳越しに白の狩衣で座し、神と対している。陽斗が踏み入ったとたん、相手は面倒くさそうに手を上げ、声を出すなと示した。


陽斗は敷居で立ち止まり、足もとで小刻みに歩幅を刻む。外の竹林は風に揺れておおらかに影を揺らすのに、心は百千の弦で引き裂かれているようだ。


やがて、神事が終わる。神主が向き直るより先に、陽斗は抑えた声で、しかし焦りを隠せずに言った。


「父上、ただ事じゃない! 西で怨気が天に抜けてる。雷鳴も鳴り止まない。……鎮井が破れたんじゃ?」


神主はゆるやかに応じる。声に起伏はない。


「本当に破れたなら、博士たちがもう動いている。第一、この件は深い。首を突っ込むな」


陽斗は奥歯を噛み、袖の中で指先に力をこめた。


「変があるなら、密法宗が先に動く。君が気にすべきは――その茶だ」


「はっ――」陽斗は跳ねるように茶室へ戻る。来たときより、明らかに足が速い。


神主はその背を見送り、長く息を吐いた。竹の間に、微かな茶の香が漂う。


――――――


スッ――


太い一条の雷が撃ち下ろされ、濃い塵煙をはね上げる。


煙が裂け、樹の幹のような毒棘が空の太一へ反撃する。


バキン――


近づく前に、轟く雷が打ち砕いた。同時に、漏れ出た残魂もろとも霧散する。


地獄から溢れた万鬼は、太一に鎮されるか、怪異に呑まれるか。


天地は再び静まり返り、ただひとりとひとつが残る。


一は天穹の頂に、

一は地獄の淵に。


「はははは。面白い。さっきまでただの凡人だったろうに、一瞬でその威だ」


男は口の端で笑い、しかし視線の端では、太一の身に巡る神元の流れをそっと計っている。


「とはいえ、池の神元を借りているだけだ。外力なんて、そんなに当てになるか? ほら、すぐ反噬するかもよ」


軽く、胸の前で巨刃を横たえ、いかにも無造作に。


「見誤ったよ。よくもまあ、私の眼をごまかした。いや――さすがは『斗鬼(とうき)』。土壇場で私を一手、出し抜くとは」


「せっかくの滋養だったのに」


「お嬢ちゃんは、まだ甘い。躾が足りないね」


声は男にも女にも、近くにも遠くにもなる。


「私は待つさ。徹底的に吸って、真身を取り戻すその時まで」


「――君は何を待つ?」


声が幾重にも折り重なる。老若男女、魑魅魍魎の音が、四方八方、過去と未来から同時に太一の脳へ押し寄せた。


天神を宿すほどの今でさえ、太一は鈍器で殴られたような衝撃を受け、梵光がわずかに翳る。


「その上等な神元――私に渡しな」


言い終えるより早く、巨刃が太一へと矢のように走り、数十条の黒気が四方から襲来する。神光が弱った今を仕留め、退路を一挙に封じるつもりだ。


――――――


裂け女、ではない。


どう呼ぶのがふさわしい――。


女の特徴は、時が経つほど薄れていく。


最初は別の妖鬼の痕をまとい、口や目鼻が身体のあちこちに重なって見えた。


刹那のうちに、完全な長身の男へと変じる。もし纏う冤魂の黒気と手の巨刃がなければ、誰もが夜の通りすがりと見過ごしただろう。


怪異は表向き太一を意に介さぬふるまいを見せるが、太一は一片も油断しない。


都市伝説級の裂け女だけでもあの狡猾さだ。いつから続くとも知れぬ、この正体不詳の怪異に、どれほどの底がある。


『封を破ったばかり。まだ完全には戻っていない。体内の他の妖鬼を一時的に押さえ込んでいるだけかもしれない。だから時間を稼ぐ――』


『古剣が見当たらない。裂け女の性質を借り、古剣を逆に体内へ鎮圧したか?』


『それに、今の俺は池の神元を借りているだけ』


『勢いのあるうちに一気呵成――』


『焦れているのはあいつだ。だが――俺もだ』


『――く』


『来る!』


「ふ――待っていたよ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ