極道
「――『暴君』だと!?」
その二文字が放たれた瞬間、佐藤は雷に打たれたかのように硬直した。彼は弾かれたように両手で自分の口を塞ぎ、その瞳には、まるでその称号を口にしただけで、影の向こう側に潜む「何か」の視線を招き寄せてしまうのではないかという、根源的な恐怖が張り付いていた。
彼は震える手で理性を繋ぎ止め、ゆっくりと手を下ろした。動揺する唇を噛み締め、骨の髄まで染み渡る戦慄を心の奥底へと押し戻す。今の失態など、初めからなかったと言い聞かせるかのように。
「……な、なんでもない」
「気にするな」 額から滲み出た冷汗が、前髪を伝って滴り落ちる。その口調には、隠しきれない震えが混じっていた。 「続けよう。君は……他に何を知りたい?」
太一はその過剰な反応を見つめ、心の中で『暴君』という名の重みを再評価した。彼は疑念を胸の奥に仕舞い込み、平淡な声で切り出す。
「……では、まず『弥生』について教えてください」
「弥生か。それは生機の肇始であり、扶桑の起点だ」
研究の話に及ぶと、佐藤は恐怖の呪縛から解き放たれたかのように、再び神秘の熱狂へと没入していった。
「修行の最初の段階とはいえ、それが容易であることを意味しない。私の知る限り、神跡が顕現し、仙人が身近にいたとされる伝説の『栄光の時代』においてすら、それは稀有な資質だった。人並み外れた天賦と機縁がなければ、凡夫は一生をかけても弥生の門を叩くことすら叶わないだろう」
「何しろ、先ほども言った通り、弥生の境地とは――生機が綿延として絶えず、源源不絶であることを意味するからな」
「本質が人間の範疇に留まっているとはいえ、凡夫から見れば、その『欠損した肢体すら再生させる』生命力は、もはや神跡と呼ぶに相応しいのではないかね?」
太一は佐藤の言葉を聞きながら、短い沈黙に落ちた。 自身の体内に脈打つ、潮汐のような生命の胎動を感じる。二度の死闘を経て、致命的な傷が驚異的な速度で癒えていった感覚――生死の淵において、彼の肉体は確かに常理を超えた修復能力を発揮していた。
『神跡』。今の彼にとって、それ以上に的確な言葉は見当たらなかった。
「……断肢の再生。確かに、神話に名を残すに値しますね」 太一は一呼吸置き、核心を突く疑問を呈した。 「ですが、すべての『弥生』がそれを可能にするわけではないのでしょう? さもなければ、たとえ数が少なくとも、歴史の中にこれほど僅かな痕跡しか残っていないはずがない」
「ふ、ふふ……」 佐藤は乾いた笑い声を漏らし、瞳に鋭い賞賛を光らせた。 「その通りだ! 察しがいいな」
「資質、功法、機縁……変数はあまりにも多い。同じ環境で育った双子ですら、身長も適応力も異なるだろう?」
「例えば、同じ高校一年生でも、地域によって教科書も進度も、カリキュラムの組み方も違う。物理の授業で、ある教科書は電磁気から教え、ある教科書は流体力学から入るようなものだ。だが――最終的な入試において、合格の判定基準は等しく下される。理系であろうと文系であろうと、一度大学の門を潜れば、君は『大学生』だ。それは中高生とは決定的に異なる位階に立ったことを意味する」
「ですが、大学生がすべての面で中高生に勝っているとは限りませんね?」 太一は鋭く指摘した。 「それは存在の枠組みを跨いだだけであって、絶対的な力による圧殺を保証するものではない」
「然り! 大人の体力が、天賦の才を持つ少年に劣ることなど珍しくもない」 佐藤の声はさらに低く、重くなっていく。 「普通の人生ですらこれほど複雑で多様だ。ましてや神秘に満ちた『扶桑の道』においてをや、だ」
「これは数値を積み上げるネットゲームではない。努力すれば必ず成果が見えるわけでも、時間が経てば自然に育つ温室でもないのだ。もしそうであったなら……どんなに良かったか」
その瞬間、太一はこの狂気的な研究者の背後に、潮のように押し寄せる重苦しい悲愴を感じ取った。
それは、神の座を仰ぎ見ながら――その道が、自分たち凡夫には永久に閉ざされていることを悟ってしまった者の、底無しの絶望だった。
太一はあえて踏み込まず、話題を転換した。 「……つまり先輩は、少なくとも弥生に至るための手法は把握している、と?」
「成功もしていない私が、把握しているなどと……」 佐藤は自嘲気味に首を振った。 「だが言ったはずだ、私は本物の弥生を見た、と。彼女は、古の経典を読み解き、強靭な意志を以て己を研鑽し――ついに、『開花』させたのだ」
「では、ここに積み上げられた小説や地獄図解、聖書に至るまで……すべては開花のきっかけを探すためのものなのですか?」
「……恐らくはな」 佐藤の表情に迷いが生じる。己の歩む道が正しいのか、彼自身にも分からなくなっているのだろう。 「『今の感情を忘れるな、それを骨血へと刻み込め』――。望月影会長に直接いただいた助言だ。私はその通りにした。だが……なぜ届かない?」
「望月影!?」太一は思わずその名を反芻した。
「当然だろう」佐藤は驚く太一を見て、逆に不思議そうな顔をした。 「生徒会の一員でありながら知らないのか? 聖徳堂学院は名目的には私立の進學校だが、その実態は西園寺家が支配する揺り籠だ。面接で選ばれた『ポテンシャル』のある者以外、権力者の子弟がこぞってここへ入りたがるのは、人脈作りだけが目的ではない。西園寺家こそが、表向きには現在『扶桑の道』を最も遠くまで突き進んでいる一族だからだ」
「噂では、西園寺家の次期当主はすでに『聖橋』に触れたという。望月影会長は、その次期当主の代弁者なのだよ」
太一の胸中に激震が走る。同時に、以前彼女が自分に『自在天功』のことを提示してくれた時のことを思い出した。
「……彼女自身も、扶桑の道を相当先まで往っているのか?」
「分からん。二年前、彼女が転校してきた際、不穏な分子をことごとく粛清した後、私は幸運にも一度だけ言葉を交わす機会を得た。彼女はあの助言を私に授け、その後、二度と私に目を向けることはなかった。……きっと、私には『悟性』が足りなかったのだろうな」 佐藤は愁いを帯びた目で己の両手を見つめた。
「これ以上、無理に肥料を注ぎ込めば、開花する前に根が腐り、自壊する。……分かっているのだ」
その口調には、不思議と恨み言はなかった。あるのはただ、己の平凡な資質に対する、静かな、しかし烈火のような嫌悪だけだった。
···
太陽が西へ沈み、燃えるような朱色の残照が、乱雑な日常社の部室に斜めに差し込む。 気づけば、太一は佐藤と二時間近くも話し込んでいた。
今日の収穫は予想を遥かに超えていた。 『懐風』について、佐藤は「弥生の次の段階」であること以外、具体的な詳細は知らなかったが、この世界のパズルは確実にその輪郭を現し始めている。
佐藤は久々に研究を語れる相手を得たことに高揚し、齊藤は太一が生徒会の刺客ではないと知ると、大らかにポテトチップスを分け与えてくれた。
太一は荷物をまとめ、別れを告げようとした。 立ち去る間際、再び墓標のような本の山へと戻り、狂信者のように扶桑の道を追い求める佐藤の背中に、最後の問いを投げかけた。
「佐藤先輩。……なぜそこまで『扶桑の道』に執着するのですか? たとえ、それが……」
佐藤は手を止め、振り返ることなく答えた。その声は薄暗い部屋の中で、驚くほど澄んで響いた。
「決まっている。愛憎、悲歡――この世にある理由は、それだけだろう?」
「立つことすら絶望するほどの恐怖であっても。夜も眠れぬほどの憎悪であっても……。私は一介の凡夫だ。だが、一度でもあの道の先にある景色を覗き見てしまった以上、どうして焦がれずにいられようか?」
「どうして……一生に一度きりの邂逅で、満足できようか!」
太一は黙然とした。 夕日が、佐藤の細い背中を長く、長く引き伸ばしていた。
···
「――美に遭うては、美に死なん」
「極致を求め、極致を貫く者でなければ、超凡入聖など語るに及ばず」
「通神路、扶桑道極道者のみ」




