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扶桑再現  作者: 頗梨
弥生
20/20

恨深如海

電光石火。


怨嗟の毒液が溢れ出し、呪恨の狂瀾が吹き荒れる。


この瞬間、『紅塵涙』と太一は、もはや不可分な一體と化していた。太一が神兵を振るっているのか、あるいは怨毒の剣が彼を死の舞踏へと誘っているのか、その境界はすでに曖昧だ。


剣勢は虹の如く。無慈悲な斬撃は淒まじい嵐を巻き起こし、真っ向から虎鬼を呑み込みに行く。


予想外の変數。計算外の進化。


猛虎の法相を砕かれた瞬間、虎鬼は驚愕した。だが、戦いの中に生きる本能が、即座に次の一手への防禦を固めさせる。しかし、それでも――太一が今、ここで発揮した力は、魔物の予測を遥かに凌駕していた。


太一は、獲物を狩る凶獅へと変貌していた。 剣影は風よりも鋭く、歩法は雷よりも速い。死角を正確に封じるその一振り一振りには、野生の殺意が宿っている。これはもはや人間と妖魔の対峙ではない。二頭の兇獣が、この「鬼域」の真の王者が誰かを決める、血塗れの生存競爭だ。


「――ガキィィィンッ!!」


硬質な金属音が響き渡る。 虎鬼の鉄鋳のごとき巨掌が振るわれ、鋭利な爪が紅塵涙の刃を真っ向から受け止めた。


だが、この剣は凡百の鋼ではない。 接触した爪から、呪恨の声と怨毒の意が「附骨の疽」のごとく這い上がる。触れた箇所から、強靭な虎の肉体が瞬時に乾き、ひび割れ、枯れ果てた灰色の様相を呈していく。その生命力は、剣を通じて無慈悲に吸い上げられていた。


「――グルアアアッ!!」


虎咆が再び大気を震わせる。爆発的な神元が放たれ、侵食する呪怨を無理やり吹き飛ばした。同時に、その衝撃波が太一の怒濤の攻勢を強引に押し留める。


太一は剣先を地に突き立て、それを支点に、空中で冷月のごとき円弧を描いて跳んだ。虎鬼の必殺の爪撃が衣を掠め、火傷のような痛みが走る。


着地と同時に、神兵が再び閃く。 半月状の剣光が闇を切り裂き、虎鬼の腹部へと牙を剥く。


虎鬼は獰猛に顔を歪めた。左の掌を拳へと変え、回避を捨ててその拳で剣鋒を受け止める。刃を止めると同時に、引き戻す力さえも封じ込めたのだ。極限まで圧縮された二つの力が、狭い空間で軋み、ぶつかり合う。


直後、虎鬼の右拳が隕石のごとく振り下ろされた。 頭蓋を粉砕せんとするその一撃が、太一の眉間へと迫る!


刃は囚われ、退路はない。 誰もが、太一の頭部が柘榴のように弾ける光景を予感した、その時。


「――ガアアアァァァッ!!!」


咆哮。しかし、それは虎の叫びではない。 百獣を震え上がらせる真の「獅子吼」だ。


太一に向かって放たれた虎鬼の左拳が、空中で爆散した! もし虎鬼が、最後の瞬間に「自分と同じ神元の運用法」を察知して重心をずらしていなければ、左腕そのものが根元から消し飛ばされていただろう。


「……ガハッ!」


だが、それを成し遂げた太一の代償もまた、凄惨を極めた。 瞬間的な爆発力に耐えきれず、首筋から顎にかけての血管がことごとく破裂。噴水のような鮮血が衣を赤黒く染め、神元の激しいバックパッシャーによって肉体が内側から弾け飛ぶ。


窮地において、敵の「虎咆」を模倣し、さらに最適化して撃ち出す。 それはあまりにも無謀な、薄氷を踏むような賭けだった。虎鬼を退けることには成功したが、もはや二度目は放てない。


無様。


虎鬼が修行を始めて以来、これほどの屈辱に塗れたのは初めてだった。 「扶桑」を垣間見、「弥生」に成ったばかりの羽虫のごとき凡夫に、ここまで追い詰められるとは。


虎鬼は大きく後退し、地を蹴って距離を取った。 片手をつき、刃のような冷徹な眼差しで、前方の血塗れの影を射抜く。


互いに悟っていた。 この茶番は、もう終わりだ。


大気の中で陰気と星輝が混ざり合い、激突し、最後にして最大のエネルギーが収束していく。


――次の一撃が、生と死を分かつ。


虎鬼の巨躯が突如として崩落し、溶解した。骨肉は捻じれ、圧縮され、強悍であった獣の肉体は、一瞬にして逆巻く血の池へと成り果てる。


血流が奔騰するたび、数えきれない怨鬼たちが淒まじい咆哮を上げる。血溜まりを突き破り、巨大な爪が姿を現した。範囲は狂ったように拡大し、ついには血の海が爆発する。


――真の姿、『兇虎』の本体が現世に降臨した。


魔神の如きその巨獣は、幾千丈あるかも知れぬほど巨大だ。その前では、太一の存在など、皓月に対する蛍火の如く微弱なものに過ぎない。


余計な試探など無用。最たる素朴にして最強の殺招が放たれる。 兇虎が踏み出せば、屍山血河がそれに従う。空間そのものがその恐怖の妖力に耐えきれず、崩壊の悲鳴を上げ始めた。これこそが虎穴における絶対の法規――『永世沈淪の海』。


天を揺るがす圧力を前に、太一の心に波風は立たなかった。 彼はすべての殺気を内へと収束させる。


天月は鉤の如く、清冷な月光が糸のように剣身へと降り注ぐ。 紅塵涙が月華と融け合った瞬間、剣に纏い付いていた怨毒と憎悪は霧散し、静寂が訪れた。


銀の光を切り裂き、鋭利な弧月が再び人間界へと降臨する。


「……困獣の闘いか」


直後、虎鬼の巨大な身体の至る所から、異様な「粘着感」が生じ始めた。四肢の動き、思考の回転、そのすべてが泥沼のような抵抗に囚われる。体内の神元の流れさえもが生気を失い、まるでこの力がもはや自分のものではないかのような錯覚に陥る。


神元を目に集め、空間を視る。 そこには、いつの間にか晶瑩たる水滴が無数に漂っていた。いや、それは水滴ではない。網だ! 極限まで細く、透明に近い、『因果の糸』の網だ!


「これは……まさか……ッ!」


「――『苦海くかい』だ」


太一は喘息の暇も与えない。 三日月の光がさらに輝きを増すと、虎穴の床を覆う血の海が瞬時に色を変えた。かつて虎鬼に駆り立てられていた亡魂たちが狂乱の咆哮を上げ、波間から無数の枯れ果てた腕を伸ばす。彼女たちは悪虎の足に縋り付き、その巨躯へと這い上がった。


「――グアアアッ!!」 虎鬼が怒りの咆哮を上げ、これら「食糧」を震い落とそうとする。だが、自身の皮膚の下、血管の中にまで、すでに青黒い呪詛の痕跡が巡っていることに気づき、戦慄した。


「――ドォォォォンッ!!」


巨大な虎の身体が、残骸と亡魂で編まれた蜘蛛の網の中へと叩きつけられ、血の飛沫が舞い上がる。


「弱者を喰らい、血を啜り、肉を食み、死してなおその魂を弄ぶ……。この恨み、どうして消えようか!」


太一の声は、九幽の底から響く衆生の怒りを孕んでいた。


「たとえ永劫に苦海へ堕ち、輪廻を断たれようとも……彼女たちは貴様を地獄へ引き摺り下ろす!」


怒濤の狂瀾の下、亡魂たちが覚醒した。彼女たちは虎鬼の肉を引き裂き、貪り喰らう。不屈の恨みと恐怖の哀号の中、一代の魔神・虎鬼は蜘蛛の網に完全に飲み込まれ、自らが作り出した血涙の苦海へと溶けて消えた。


虎鬼が消滅し、虎穴の崩壊が加速する。


殺機が霧散すると同時に、苦海もまた緩やかに引き潮を迎え、太一の残された気力を奪い去った。膝の力が抜け、視界が暗転する。彼はかろうじて紅塵涙を杖にして半身を起こし、切迫した眼差しで小鳥遊の方を向いた。


虎鬼の支配から脱したからだろうか。女性を覆っていた狂気と矛盾の念は急速に弱まり、それに伴って彼女の姿も透明になり、消えかかっている。


彼女は、未だあの動作を維持していた。小鳥遊をきつく抱きしめ、貫いた右手を引き抜くことさえ恐れている。抜けば、彼女の命がより早く流れ出してしまうのを分かっているかのように。


小鳥遊夢の瞳からは、かつての輝きが失われていた。瞳孔は散大し始めている。 それでも彼女は最後の力を振り絞り、女性の冷たい手をそっと握り返し、その口角を優しく、慈しむように上げた。


回光返照――死の直前の、束の間の輝き。 彼女は胸の奥から、断続的な言葉を絞り出した。


「カハッ……、……」


「……自分を、責めないで……。……気に、しないで……」


呼吸のたびに大量の血沫が溢れる。しかし、その瞳はかつてないほど清澄で、安らかだった。


「私……後悔なんて……してない……」


「あなたを……解放できて……本当に……よかった……」


言葉が途切れ、小鳥遊の手が力なく零れ落ちた。


身体が透き通り、今にも消えゆかんとするその女子が、魂の底を削り出すような絶望の悲鳴を上げ、震える腕を狂おしく広げ、次第に冷たくなっていく小鳥遊の身体を、自らの魂さえその残された温もりへと溶かし込もうとするかのように、必死に、あまりに必死にかき抱いた。


直後、二人の姿は、語られることのない慟哭と共に、抗いようのない崩落の影へと呑み込まれていく。


跡形もなく、ただ暗闇の深淵へと――。


別れも、奇跡もない。 ただ血と涙が枯れ果てた後の、荒涼とした静寂だけがそこにあった。


空間の構造が悲鳴を上げて解体されていく。太一の指先が触れたのは、砕け散る月光の残滓のみ。 意識が闇に呑み込まれる寸前、彼は幻視した。 鮮血と影に覆われた死角で、無数の因果の糸が、何らかの引力によって狂ったように引き抜かれ、収束していくのを。


それは一人の生命の凋零ではない。 波瀾万丈でありながら無声の――『夢』の帰零であった。


虚無の中に、微かな溜息が響いたような気がした。


直後、世界は砕け散り、永遠の沈黙が訪れた。

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