表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
扶桑再現  作者: 頗梨
弥生
15/21

小鳥遊

「夢ちゃんは本当にいい子ね。うちの子とは大違い、口答えばかりで……」


「小鳥遊さん、今年も素晴らしい活躍でしたね。来年もその調子で、頑張ってくださいね」


「……小鳥遊って、ちょっと真面目すぎるんじゃない?」


小鳥遊 夢の耳には、昔からそんな形式的で中身のない褒め言葉ばかりが響いていた。


規則を破ったこともなければ、誰かに迷惑をかけた記憶もない。模範的な優等生、教師にとっては安心の存在。クラスの手本、生徒会の旗印。


「小鳥遊さんって、本当にいい人だと思う。でも正直、ちょっと退屈かな。一対一だと、何を話せばいいのか分からなくなるし、たぶん親友にはなれないと思う」


小学生や中学生の頃には、まだ何人かの女子が気さくに話しかけてくれた。


だが高校に上がると、生徒たちは徐々に「普通」からの逸脱を望むようになり、「自分らしさ」という名の奔放さを追い求め始めた。


そのなかで、規律という名の型で丁寧に整えられた夢のような存在は、もはや近づきたい対象ではなくなっていた。


それは誰のせいでもない。誰かが間違ったわけでも、意図的に彼女を避けたわけでもない。ただ、彼女がつまらなくて、堅すぎたというだけの話。



「“仲の良い異性の友達”……だって?」


「ええー? 渡辺、それ引いたの? 誰だ? 山田? 橘? それとも後藤?」


そのとき、夢の手を取ったのは、かつての隣人——渡辺だった。


小学生の頃はよく一緒に登下校していた。でもクラスは別々で、放課後もとくに接点はなかった。だからこそ、なぜ自分なのかと、頭の中は混乱でいっぱいだった。


ただ、足は彼に引かれるまま、一緒に走った。


誰にとっても取るに足らない出来事だったかもしれない。でも、夢にとっては、世界が一変するほどの衝撃だった。


「絆」なんて言葉は重すぎる。


けれど、夢はずっと、誰かとつながりたかった。


ひとりで過ごす毎日は、もう十分だった。毎日を、意味もなく繰り返す孤独な日常。それに終止符を打ちたかった。


昼休みにお弁当を見せ合って盛り上がる。


放課後、女子たちが輪になって笑い合う。


テスト前にファミレスで勉強会。


——夢だって、そんな時間が欲しかった。


そして、そのための方法も分かっていた。


「自分から動けばいい」


だが現実は、想像よりもずっと複雑だった。


骨の髄まで染みついた規範と躾が、彼女の一歩を阻んだ。


破ったことがないわけじゃない。スカートを短くしたこともあるし、夜に学校へ忍び込もうとしたこともある。ゲームセンターにも一度足を運んだ。


だが、そのすべてが、似合わなかった。


それは生まれ持った気質なのか、心のどこかで拒絶していたのか——


結果はいつも、空回りに終わった。


でも、今は違う。


彼に引かれて歩くその背中を見て、彼女は気づいた。


「私は誰かになりたいんじゃない。誰かに、必要とされたいんだ」


不満だったのは、自分の生き方じゃない。


ただ、孤独すぎた。


だからこそ、彼女は望んでしまったのだ。


——選ばれたい、と。


——必要とされたい、と。



そしてそれからも、小鳥遊 夢は相変わらず、目立たず、大人しく、不器用なままだった。


けれど、時折ふと微笑んだり、窓の外を見つめては物思いに耽ったりするようになった。


クラスメイトたちは「もしかして、恋愛してるのでは?」と噂を立て、教師たちはそんな彼女の変化に密かに安堵していた。


事実、運動会の後——渡辺は告白してきた。


夢は、断らなかった。でも、受け入れたわけでもない。


浅すぎる関係。彼を信じるには、まだ材料が足りなかった。


だから、まずは「友達」から始めることにした。


渡辺はときどき、日常の小ネタを送ってきた。とても笑えないような話も多かったが、それでも構わなかった。


なぜなら——それが「ふたりだけのもの」だったから。


彼の悩みにも耳を傾けた。勉強なら彼女が教え、人間関係なら黙って話を聞いた。


そして——一年が過ぎた頃、正式に付き合うことになった。



最初は、幸せだった。


誰かと喜びを共有し、悲しみも分け合える。


だけど、時間が経つにつれ、歯車が噛み合わない感覚が募っていった。


恋という名の仮面が、少しずつ剥がれていった。


もう飽きられたのか?


理想とは違ったのか?


彼女の言葉を遮り、話半ばで別の話題に飛ぶ渡辺。


——それでも、ようやく手に入れた「必要とされる関係」だった。


壊したくなかった。諦めたくなかった。


たとえ、もう自分らしくいられなくなっていたとしても。


でも、それでも——


その顔を見るたびに、心が冷えていく。


軽口を叩くその姿に、もはや愛情も好意も湧いてこない。


また、何か軽薄なことを言うのだろう。


——もう、やめよう。


その言葉が、口の中で確信に変わった。


「……別れよう」


男子の顔が凍りつき、言葉を失った。


不思議なことに——夢の心には、わずかな快感が走った。


復讐心?


それとも、解放された安堵?


だが、その快感も長くは続かず、すぐに後悔と混乱に取って代わられた。


「これから、どうすれば……」


そう思った瞬間、彼が夢の手を強く握った。


「……たぶん、俺たちには思い出が少なすぎたんだよ。どれだけ好きでも、やっぱり一緒に積み重ねたものがなきゃさ」


「……今回は、普通のデートってことでどうかな? 本当にダメだったら、そのときもう一度言ってくれていいから」



彼女は、うなずいてしまった。


それは、ただの情けだったのか。

それとも、彼の瞳の奥に燃えていた、あの妙に熱い火に当てられたせいだったのか。


だから放課後、彼の後についてしまったのか。

だから、この場所へ連れて来られてしまったのか。

——欲望という名の檻の中へ。


濃い酒と甘ったるい香りが空気を満たし、耳に届くのは嬌声と喘ぎの入り混じったざわめき。

頭上のライトはせわしなく明滅し、まるでこの狂宴に拍子をつけているみたいだった。


酔客は折り重なるように倒れ、酒が飛び、言葉は呂律のない音の塊に変わっている。

光はときに眩しく、ときに沈み、そこに浮かぶ顔はどれも輪郭を失って歪んで見えた。


夢は、この場でひどく浮いていた。

影の奥から無数の視線が突き刺さってくる気がした。


——見物人の目?

それとも、獲物を選ぶ捕食者の目?


……逃げなきゃ。


深夜の冷たい風が肌を刺した。

だけど室内よりずっと、息がしやすかった。


心臓が跳ねる。

彼女は唇を噛み、記憶を頼りに出口を探した。


そのとき——

混沌の騒音の中、はっきりとした叫び声が耳に飛び込んできた。


酒場の扉から、柄の悪い男女の一団がどっと溢れ出す。

その真ん中には、服が乱れ、意識も朦朧とした若い女の子たち。


そして、赤ら顔で脂ぎった笑みを張りつけたその男——

渡辺。

夢の、恋人。


怒りが、胸の奥から一気に噴き上がった。

普段は穏やかな彼女ですら、抑えきれないほどの熱だった。


夢は足早に近づき、声をかけようとした。

けれど——言葉は喉の奥で、凍りついた。


見えてしまったのだ。

今にも倒れそうな女の子たちの、ほとんど昏睡に近い顔を。


足が止まり、呼吸さえ止まる。


ほっとしかけた、その瞬間。

ひとりの少女がふいに顔を上げ、夢と目を合わせた。


虚ろだった瞳に、刹那、光が宿る。

助けを求めて口を開きかけ——

すぐに俯き、唇を噛みしめた。


隣の「何か」に気づかれるのを恐れて。

視線の先に救いがあると悟られたくなくて。


光はすぐ消え、代わりに、頬を伝ったのは絶望の涙だった。


——そのとき、怒鳴り声が夜を裂いた。


「やめてください!」


自分の声だ、と夢は遅れて気づいた。

震えていたのに、不思議なくらい真っ直ぐ響いた。


彼女は一歩、また一歩と前に出る。

否応なく、彼らの視界の中心へ歩み入っていく。


まるで、蛾が自ら蜘蛛の巣へ飛び込むみたいに。

無数の視線に絡め取られ、裁かれ、逃げ場を失っていく感覚。


「……その子たち、私の友だちなんです。帰らせてください。私が連れて帰ります」


自分でもわかるほど、薄っぺらい嘘だった。

一瞬で見抜かれて当然の、穴だらけの言い訳。


「はははっ!」


「お? お嬢ちゃんも一緒に遊びたいのか? いいじゃねえか!」


夢は息を呑み、伸びてくる手を必死にかわしながら、群れの中で黙っている男を見た。


——なんだ、この目は。


貪欲。狂熱。嗜欲。

まるで獣が獲物を前にしたときの瞳だ。

その奥に燃える火が、背筋を冷やした。


次の瞬間、手首を鉄の鉗子みたいな力で掴まれる。

乱暴に引き寄せられ、人前へ放り出される。

生贄に差し出される子羊みたいに。


——ああ、結局こうなるのか。


これは、自分の選択への嘲笑なのか。


それでも——

せめて。

せめて、あの子たちだけでも。


「誰か……誰かいませんか!? 助けて……助けてください――!」


「——私が、いる。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ