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扶桑再現  作者: 頗梨
弥生
12/20

如意宝珠

駅を出て、賑やかな商店街を抜け、閑静な住宅街に足を踏み入れる。

道すがらのざわめきも、車の騒音も、しだいに遠ざかっていった。

ふと気がつけば、目の前には緑に覆われた小さな山――雷鳴山がそびえていた。


この山の奥からは、時折「ゴロゴロ」と低い雷鳴が響くという。

誰かはそれを“神の眠り声”と呼び、またある人は“人間への警告”だと噂する。


山のふもとには、なかなか広い公園が広がる。

放課後の時間とあって、子どもたちが芝生を駆け回り、あちこちに笑い声が弾けていた。

若い母親たちは子どもと遊ぶ者、三々五々集まっておしゃべりに興じる者、色とりどりの日常がそこにあった。


東雲太一が公園脇を通ると、何人かの顔見知りの主婦が遠巻きに会釈し、ひそひそ声を交わす。


「――小林さん、あの人は?」

「東雲くんよ。山のお寺の当主さん。」

「え、お寺って、もうやってないんじゃ……?」

「この前戻ってきたのよ。ほら、昔は東雲大師さんがいて、この辺の道や公園を造ってくれたって有名だったじゃない。」


子どもたちの歓声に混じって、母親たちの話題もすぐに日常のものへ移る。


太一は立ち止まらず、軽く頭を下げて山道へと足を進める。


---


林の中に入ると、空気ががらりと変わった。

子どもたちの声は遠くなり、代わりに虫や鳥の声、草木の薫りが心地よい静寂を連れてくる。

太一は大きく息を吸い込み、歩調を自然と緩めていった。


苔むした石段の両脇には、赤い鳥居がいくつも立ち並ぶ。

色あせ、所々は傾いて今にも倒れそうなものもある。

最も新しい一基だけが、五年前の建立とわかる文字をかろうじて残していた。


もとはこの山、神社だった。

今では寺と呼ばれているが、神道の名残を色濃くとどめ、鳥居と仏閣が共存しているのだ。


鳥居のトンネルを抜け、やがて視界が開ける。

山腹の広場、中央には大きな黒い鳥居がそびえ、ここがかつての祭祀場の名残であることを物語っていた。


父がこの地を寺へと改装する前、太一は幼心にここが「何の神さまを祀っているのか」曖昧なままだった。

今となっては、その名残も記憶の霧の向こうだ。


山頂へ。

木々の間から差し込む光、通り抜ける風、圧迫感は消え、世界が広がる。

石段の果て、真っ白な鳥居の額には「東雲」と力強い文字が刻まれている。

神を祀るというより、むしろこの山の主の証しとして。


鳥居越しに本殿の影がちらりと見え、右手には伝説の鐘楼――

いや、太一にとっては、もっと古い名、「雷池」と呼ぶべき場所がある。


昨日の体験で、彼はこの名前の意味を身をもって知った。

雷池には底知れぬ神元――圧倒的な霊力が眠り、まるで一つの世界が広がっているように感じられた。


吊り下げられた錆びた大鐘を見つめるほど、疑問が渦巻く。


もし雷池の神元が、あの怒号の源を鎮めるものなら、この鐘は一体どれほどの“力”を持っているのか?


昨日は神元を借りて三度、怪異も大魔も鎮められた。だが、もし雷池の最奥に封じられている“何か”が目覚めれば……


太一は思考を振り切るように息をつき、

『今は自分の状況を把握し、斗鬼を目覚めさせることが先だ――』

と、心を切り替えた。


彼の持つ剣――そこには、知りたいことが山ほど眠っている。


苔むす石畳を踏みしめ、やがて本殿「明王殿」へ。

中には三面八臂の明王像が、怒りの形相で蓮台に立つ。

中心の二手は三叉の印を結び、他の六手はそれぞれ滅邪の法具を握る。


降三世明王――仏教密教・五大明王の一人で、東方を護る存在。

東雲寺の主祭神にして、この山が「寺」と呼ばれる理由そのもの。


だが今、その像は、長年の風雨にさらされ、表情もどこか曖昧で、

かつての威容だけを残している。


太一は簡単に線香を供え、静かに頭を下げる。


「……明王さま?」


返事はない。


しかし、彼にはわかっていた。

彌生の境地に達してから、世界は明らかに“開かれた”――


山の中には、虫や鳥以外のささやきも混じる。

昨日の戦いの余波について話している気配すらある。


満員電車の中では、人々が発する負の気配が強烈すぎて、新たな怪異が生まれるかと錯覚したほどだった。


学校の中でも、ときおり妙な“気”を感じることがあった。


だが、この明王像は……完全に“死んでいる”としか思えなかった。

それは、廃れた池――生命がいなくなった後の寂しさに近い。

雨上がりの水たまりのほうが、まだ生の気配があるくらいだ。


裂口女、斗鬼、剣の封印、雷池、錆びた鐘、明王像……

すべてが謎だらけで、重圧となってのしかかる。


父はなぜ早世したのか?

これら神魔の存在の“代償”だったのか、それとも――


太一の記憶には、昔の病がぶり返した日々、

家の空気が重苦しくなっていった様子が焼き付いている。

両親は笑顔で太一を気遣い、普段通りに接してくれたが、

本当は、日ごとに不安と疲労を隠せなくなっていた。


ある日、父の疲れた背中、母の曇った顔、

そして落ち着かない様子で廊下を行き来する南風原姉さんの姿を見て、

そのまま自分は別の場所で暮らすことになり――

戻ったときには、母は涙を流し切り、まるで全てを見透かすような目で仏壷を抱えていた。


仏壷……?


ハッとした太一は、内陣に向かい、明王像の前で深々と合掌し、

慎重に像を動かして、そこに隠された仏壷を取り出した。


灯火の下、仏壷は薬壺のような形をしている。

白い布で包まれ、びっしりと仁王経の文字が書き込まれていた。


少しの間、躊躇したが――

ついに太一は、仏壷の封を開いた。


明王像の視線の下、そこには「如意宝珠」が静かに横たわり、

柔らかな光を放っていた――。


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