35話 教えるってことは、変わるってことでもあるよね〜〜
人は、言葉を交わして、線を引いて、何かを伝える。
昨日それが“祈り”だったものは、今日には“手順”になって、明日には“教科”になるのかもしれない。
ナミは雲の端にちょこんと腰を下ろして、その光景を見つめていた。
村はずれの集まりは、もう完全に“輪”ではなくなっていた。
布を屋根にし、土を固めて床にし、木材で区切られた空間には、五、六人ずつが小さな机を囲んで座っていた。
中央には木の台。そこには文字がびっしりと書かれた板が立てられている。
「うっわ〜〜、本格的になってる〜〜!」
ナミは宙を泳ぎながら、机と机のあいだをすり抜けた。
彼女の気配に誰も気づかない。
その様子は、まるで精霊がふわふわと漂っているかのようだ。
講師のように立っているのは、例の若い女――ミーナ。
最初に板に線を引き、“封じ手”を示した張本人だ。
彼女の声はよく通り、言葉は明快。
けれどその眼差しは、昨日よりもずっと、迷いが混ざっていた。
「この図形は“加速”を意味します。エネルギーを帯びた対象にこれを重ねると……」
説明の途中で、ひとりの少年が手を挙げた。
「でも、昨日の式では“爆発”になったんです。あれは加速じゃないと思います」
教室がざわつく。
ミーナは一瞬言葉を詰まらせた。
「……そうね。あれは、私が考えていた以上に“熱”を増してしまった」
彼女は板の端に新しい線を描きながら、そっとつぶやく。
「ありがとう、訂正しておくわ。“加速”は、力の方向も見なきゃいけない……」
ナミは、ミーナの後ろでくすっと笑った。
「へえ〜、“教える”って、訂正したり、疑問に応えたりすることなんだ〜〜?」
それは、彼女にとってちょっとした発見だった。
◆
授業が終わったあと、ミーナは板を抱えたまま裏の井戸へと向かった。
水を汲むのではなく、ただ腰を下ろして深呼吸するだけ。
「……疲れるわけだよねぇ」
ナミはその隣に浮かびながら、頭を傾ける。
「人に教えて、聞かれて、また答えて、自分の中の“正しさ”も変えて……」
彼女は空に指をかざし、小さな星屑をくるくると回す。
「その人、昨日まで“答え”だと思ってたものを、“問い”にしなおしてる」
そのとき、小屋の陰からもうひとりの人影が現れた。
それは、老女エルザ。かつて薬草を煎じていた者であり、今では“薬液授業”を担当する補佐役だ。
「若いのは、肩に乗せすぎる」
エルザは、ミーナの隣に腰を下ろし、ひょうたんの水を差し出した。
「私は祈っているだけだった。けれど、お前は“答えよう”としている」
ミーナは小さく笑った。
「……教えるって、こんなに自分も動くんですね」
「そうさ。“教える”ってのは、伝えるだけじゃない。
自分の“わかってなかったこと”にも向き合う作業だ」
その言葉を聞いて、ナミは星屑をぽとりと落とした。
「教えるって、“観察される側”になるってこと?」
それは、彼女にとってとても奇妙な逆転だった。
自分はずっと、誰かを見る側だった。
記録して、楽しんで、比べて、笑って。
でも“教える”という行為には、見られる緊張、問い返される不安、そして変わっていく柔軟さがある。
ナミは目を細めた。
「“変わらない”ってことが、観察者としての私の強みだと思ってたんだけど……
“変わる側”って、こんなに忙しくて、でもちょっと楽しそうなんだね〜〜」
◆
数日後、小屋の中では新しい授業が始まっていた。
今度はミーナではなく、かつての生徒だった少年が前に立っていた。
彼は紙を震わせながら、「昨日の図形に、これを加えると……」と話し始める。
ミーナはその後ろで、静かに見守っていた。
ナミは天井付近に漂いながら、そっと星屑を一つだけ、床に落とした。
「“教わる者”が“教える者”になる。
“正しさ”が疑われ、修正され、また誰かに渡される……」
彼女はひとり、くすりと笑った。
「ねぇねぇ、“知識”って、なんかもう“生き物”じゃない〜〜?」
その夜、ナミは広場の中心にそっと種を一つ置いた。
小さな結晶のようなその塊は、声に反応して微かに光った。
「さて、これに気づくのは誰かな〜〜?」
新しい“問い”が、またひとつ。
観察は、終わらない。
それは変わる者たちの中で、ますます面白くなっていくから。
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