第70話 部員募集
放課後の剣道部道場。
天明がドアを開けると、神代咲が中央に立っていた。手には分厚いチラシの束を抱えている。
「こうして見ると壮観だね。どこから配り始めようかな」
その光景を眺めながら、神代咲は得意げに腰に手を当てた。今日は天明が正式に剣道部に入部しただけでなく、鈴木と佐々木の二人も手伝いに来てくれて、彼女の機嫌はすこぶる良かった。
「遠慮しないで、何枚でも持っていって」
「部長、全部準備できたんですか?」
天明はチラシを見ながら、指先で紙をめくった。
「チラシは昨夜徹夜でデザインしたの。印刷は、朝コンビニのプリンターで二百枚刷ってきた」
「お疲れ様です」
「だから、周くん、お願い!」
神代咲は両手を合わせ、キラキラした目で天明を見つめた。
「君の気血値132ポイントは、学校で話題になってるんだから!君が剣道部の宣伝を手伝ってくれたら、絶対興味を持つ人がいるよ!」
「……僕の影響力を過大評価してると思いますけど」
「そんなことない!それに私も一緒にチラシを配るから!一人一人に剣道部の魅力を熱く語るよ!」
天明は嫌な予感がした。
「鈴木と佐々木は?」
「もちろん来るよ!鈴木!佐々木君!集合!」
「はーい!」
明るい声が響いた。ポニーテールの鈴木美咲が器材室から走り出てきた。
「部長!準備できました!」
「佐々木君は?」
「こ、ここに……」
か細い声が隅から聞こえてきた。佐々木健太が防具棚の後ろにおずおずと立っていた。
「佐々木君!出てきて!君も一緒に!」
「は、はい……」
「よし!出発!目標:校門!」
☆
校門。
天明は門柱の横に立ち、神代咲が通りかかる生徒一人一人に突進していくのを見ていた。
「ねえ!剣道に興味ない!?」
「そこの君!剣道部について知りたくない!?」
しかし——
「あ、すみません、もうバスケ部に入ってるんで」
「ありがとう、剣道には興味ないです」
次々と断られていく。
神代咲は全くめげずに、次の人に声をかけ続けた。
「周先輩!部長、なんか……効果なさそうですね」
鈴木美咲が天明の横に立ち、小声で言った。
「……ああ」
「あの……周先輩……私も手伝いに行きましょうか?」
「行きたいの?」
「はい!部長一人じゃ大変だし、私も剣道部のために何かしたいです!」
彼女の目がキラキラと輝いていた。
「ね?佐々木君も剣道って素晴らしいと思うでしょ?」
「は、はい……」
佐々木は小さく答え、顔がほんのり赤くなった。
「よかった!私たち同志だね!これから一緒に頑張ろう!」
鈴木美咲は佐々木の肩をバンバンと叩いた。
「は、はい……」
佐々木はうつむいた。
鈴木美咲はくるりと振り返り、駆け出した。
「ねえ!剣道部について知りたくない!?」
「剣道めっちゃ楽しいよ!」
一時間後。
四人が集まり、残りのチラシを数えた。
「二百枚……残り百九十二枚……」
神代咲の声は平静だった。
「八枚しか配れなかったんですか……うん、明日も頑張ろう!」
「部長、落ち込まないんですか?」
鈴木美咲が驚いて彼女を見た。
「落ち込む?なんで落ち込むの?」
神代咲は当然のように言った。
「初日で人が集まる方がおかしいでしょ?これは長期戦!二週間あるんだから、ゆっくりやればいいの!」
「部長……」
「さあ!今日はお疲れ様!ラーメン食べに行ってお祝いしよう!」
「何のお祝いだよ……」
天明は呆れて言った。
「周くんが正式に剣道部に入部したお祝いだよ!今日は私がおごる!」
神代咲は意気揚々と宣言した。
「え?部長がおごってくれるんですか?」
鈴木美咲の目が輝いた。
「もちろん!周くんは今日の主役だから!」
「じゃあ私と佐々木君は?」
「……あなたたちは自分で払って」
「えー、部長ケチー」
「うるさい!これは周くんの歓迎会なの!」
「あ、すみません、今日はちょっと行けないかもしれません」
鈴木美咲が突然手を挙げた。
「ん?どうしたの?」
「彼氏の誕生日で、一緒に夕食を食べる約束してるんです」
鈴木美咲は少し照れくさそうに頬をかいた。
「えっ!?美咲、彼氏できたの!?」
神代咲は目を丸くした。
「つい最近付き合い始めたんです。今度機会があったら皆に紹介しますね」
彼女は爽やかに笑って言った。
「ん?あれ?みんなどうしたの?」
鈴木美咲は不思議そうにした。
天明の視線は無意識に佐々木に向いた。
佐々木の表情が一瞬で固まっていた。
「あ、あの……僕も急に用事を思い出して……」
佐々木の声は小さかった。
「え?佐々木君も来ないの?」
「ご、ごめんなさい……先に失礼します……」
佐々木はうつむいたまま、足早に去っていった。
「佐々木君!待って——」
鈴木美咲が追いかけようとしたが、佐々木はもう遠くに走り去っていた。
「なんで急に行っちゃったの?」
「たぶん急用があるんだろ」
神代咲は何気なく言った。
永遠に続くかのような沈黙の中、鈴木美咲は不思議そうに首を傾げた。
「おかしいな……佐々木君どうしたんだろ?」
うん、それはたぶん失恋というやつだろう?もちろん天明は口には出さなかった。
「美咲、ちょっと待って。彼氏ってまさか的場くん?」
神代咲が突然聞いた。
「バレちゃいましたか。そうです、今度機会があったら部長にも紹介しますね」
鈴木美咲は相変わらず爽やかに微笑んだ。
「じゃあ私先に行きますね!みんなまた明日!」
鈴木美咲は手を振って、校門の方へ走っていった。
……この空気、どうすればいいんだ?
「あの……私、何かまずいことした?」
神代咲はようやく状況を理解したようで、おどおどと佐々木が消えた方向を見た。
「ええ、完全にやらかしましたね。深く反省してください」
「うぅ……ストレートに言うね……」
俺の直感だけど、この部長はハッキリ言わないと分からないタイプだろう。
「ところで、的場くんって誰ですか?」
「隣のクラスの、バスケ部の。イケメンらしいよ」
「……そうなんだ」
天明はため息をついた。
やはり紅塵煉心だな。
佐々木の片想い。
鈴木美咲の鈍感さ。
神代咲のバカ。
この世界は、こういう……微妙な空気で溢れている。
「あの……周くん……」
「ん?」
「ラーメン、まだ行く?」
神代咲はおずおずと聞いた。
「……行きましょう。おごるって言ったんだから」
「やった!行こう行こう!」
神代咲はすぐに元気を取り戻し、天明の腕を引っ張って商店街へ向かった。
「明日の演武……うまくいくといいな」
天明は小声でつぶやいた。
◇
「いらっしゃいませー!」
店員の元気な声が響いた。二人は学校から二十分ほど歩いて、商店街にあるこのラーメン屋にやってきた。
「知らなかったでしょ?意外と学校の生徒会も来ない、穴場なんだよ」
神代咲は楽しそうにメニューを見ていた。天明は思わずその姿を観察した。
……こいつの精神力、強すぎだろ。さっき佐々木の件をやらかしたばかりなのに、もう何事もなかったかのようにしている。
「どうしたの、周くん?メニューも見ないで」
「いや、何でもないです。ところで、おごるって言いましたよね?」
「当たり前でしょ?」
神代咲は卓上のベルを鳴らした。
「今日は周くんの歓迎会なんだから!好きなもの頼んで!」
「じゃあ普通の醤油ラーメンで」
「地味すぎない!?チャーシュー追加した方がいいよ!あと餃子も!」
「……それ、自分が食べたいだけでしょ?」
「バレた?」
神代咲はペロッと舌を出した。
「私は特製ラーメン!大盛りで!」
「部長、この後まだ夕食があるでしょ?大丈夫ですか?」
「知らないの?ラーメンは別腹なんだよ」
天明は呆れて首を振った。
結局、この一時間は神代咲が明日の演武の計画について話すのを聞き、特製ラーメンが彼女の胃に収まっていくのを見ているだけだった。
「ねえ、周くん。そういえば明日の募集計画、まだ相談してなかったね」
「忘れてた。明日は方法を変えましょう?体育館の前で演武のデモンストレーションをするとか」
「いいね、演武!」
神代咲は嬉しそうに手を合わせた。
会計の順番が回ってきて、天明は伝票を店員に渡した。
「じゃあこちらでちょうど——」
「わかった。えーと、私の分はいくら……」
神代咲は財布を開けて、動きが止まった。
「ん?どうしたんですか?」
まさかお金が足りないのか?いくら神代咲が大雑把でも、ここまで来たらただのバカだろう。
神代咲の体が小刻みに震え始めた。
「まさかお金が足りない——」
神代咲は顔を上げ、気まずそうな笑みを浮かべた。
「あの……周くん……」
「……」
「さっきチラシの印刷用紙を買ったらお金使い切っちゃって……」
こいつはまさか……ただの……バカ……?
天明は黙って千円札を差し出した。
「ありがとう周くん!今度絶対返す!」
「言いましたからね」




