第七章:再登校
時は流れ、あっという間に2週間が過ぎた。
周天明は東京学芸高校の校門前に立ち、馴染み深いがどこかよそよそしい校舎を見つめ、深く息を吸った。ここにある一草一木は、元の周天明の記憶を呼び起こしたが、今ここに立つ彼はまったく別人だった。
「久しぶりだな。」彼は小さく呟いた。
校内は活気に満ち、新学期の雰囲気が押し寄せてくる。生徒たちは三々五々集まり、夏休みの出来事を楽しそうに語り合っていた。周天明は落ち着いた視線で人混みを抜け、3年生の校舎へ向かった。
運動場を過ぎる際、バスケットボールをする数人の男子生徒が動きを止め、驚いたように彼を見た。一人が隣の仲間を肘でつつき、小声で言った。「見て、あれ周天明じゃない?なんか全然変わってるぞ?」
確かに、わずか2か月会わなかっただけで、周天明の変化は劇的だった。体型はまだ細身だが、歩く姿勢には言葉にできない落ち着きと自信が滲んでいる。特に目を引くのはその眼差し――かつての怯えたような視線はなく、静かだが世のすべてを見透かすような深遠さがあった。
「あなたよね?」突然、鋭い声が響き、燃えるような視線が彼を捉えた。「周天明、中国から来た子?父があなたのこと話してたわ。」
天明は少し驚き、手に持ったコンビニの紙袋がカサリと音を立てた。「君は…?」
「神代咲。」彼女は軽やかだが堂々とした足取りで近づいてきた。「神代家37代目の継承者。父が言ってたわ、あなたは少林武術の達人だって。」彼女は目の前の少年をじっくり観察し、好奇心を隠しきれずに目を輝かせた。「でも、見たところ、武人というより文弱な書生って感じね。」
神代咲はふっと微笑み、急に小悪魔的な表情を浮かべた。「そういえば、ちゃんと自己紹介するの忘れてた!でもその前に――」彼女の視線が天明の紙袋に落ちた。「その肉まん、一つ分けてくれない?今朝、剣の稽古でバタバタして、朝食食べる暇なかったの。」
天明は軽くため息をつき、紙袋から肉まんを一つ取り出して渡した。神代咲は受け取ると、二、三口で綺麗に平らげ、唇の端を舐めて満足そうに頷いた。
「正直、父があなたを『秘めた才能を持つ若者』って褒めてたけど、ぜんぜんそんな風に見えないわ。」彼女は歩きながら話し、審視するような目を向けた。「本当に少林功夫できるの?ほら、気で物を操ったり、一撃で山を砕くみたいな技!」
天明は口元に微かな笑みを浮かべた。「少林武学は、伝説ほど神秘的じゃないよ。」
少林武学という言葉は、心に馴染み深いがどこか遠い波紋を起こした。明空は少林寺で数十年にわたり修行を積んだ記憶を持っているが、周天明の記憶では、それは映画や本で知った遠い伝説にすぎない。具体的な修行の詳細を思い出そうとすると、前世の記憶はまるで曇りガラス越しのようにぼやけていた。
「嘘でしょ。」神代咲は目を大きく見開いた。「映画の少林高僧は空中を飛び、点穴で動きを封じたり、一指で石壁を突き破ったりするじゃない!それ全部作り話なの?」
「映画は誇張が多い。」天明は首を振って遠くの桜を見やった。「少林武学の真髄は心を修め、禅を悟ることにある。単なる技の追求じゃない。確かに独特な功法はあるけど、映像作品のような超人的なものとは程遠い。」
「じゃあ、七十二絶技は?鉄布衫?易筋経?点穴術?」神代咲は興味津々に質問を畳みかけた。
天明は一つ一つ、現実と伝説の違いを説明せざるを得なかったが、彼女が中国武術についてこれほど知識を持っていることに内心驚いた。誤解も多いが、その熱意は本物だった。
「つまんないのね。」神代咲は唇を尖らせ、がっかりしたように言った。「一指禅で石を割ったり木を断つようなの見られるかと期待したのに。」
「校門でパフォーマンスでもしろってか?」
「いいじゃない!」彼女の目に期待の光が宿った。
二人は並んで木陰の小道を歩いた。神代咲の剣袋が時折天明の服に触れ、彼女の軽快な足取りは少女らしい無邪気さを漂わせていた。通りがかった生徒たちは足を止め、驚いたように二人を見た――いつも一人で淡々としている転校生が、校内の有名人である神代咲と一緒にいるなんて、誰もが意外に思った。
「剣、習ってる?」神代咲が突然尋ね、視線を彼の手に落とした。
「少しだけ。」天明は控えめに答えつつ、心に一瞬の揺らぎを感じた。
前世の彼は確かに剣術に精通していた。少林七十二絶技の剣法をマスターし、住職から『達摩剣経』の奥義を学んだこともある。しかし、具体的な剣技を思い出そうとすると、脳裏には周天明が子供の頃に武術教室で習った簡単な太極剣の数式が浮かぶ。この記憶の断絶と重なりが、奇妙な違和感を生んだ。
「最高!」彼女の目に光が弾けた。「放課後、絶対に剣道部に来てよ。最近、人手が足りないの。」
「僕の剣術は日本剣道とはかなり違うと思うけど。」彼は慎重に応じ、今の自分が本物の剣術を扱えるか確信がなかった。
「そんなの関係ないわ!」神代咲は豪快に手を振った。「剣術は同じ根っこよ、行き着くところは一緒。そもそも神代流剣術は唐代の剣法の精髄を取り入れたものだから、中日武術の融合って感じなのよ。」
天明は神代家の剣術に興味をそそられた。唐代の剣法?それは前世の自分の学んだものと縁があるかもしれない、と彼は内心で思った。この出会いは偶然ではないのかもしれないと感じ、正に何か言おうとしたとき、背後から聞き慣れた声が響いた。「天明!」
振り返ると、田中裕也が息を切らして走ってくる。顔には驚きと心配が混ざっていた。「よかった、無事だったんだ!車に轢かれたって聞いて、めっちゃ心配したんだから!」
裕也は天明を上から下まで眺め、感心したように頷いた。「全然傷一つないじゃん!本当に運がいいな!」
「車禍?」神代咲が驚いて二人を見た。
「お、おはよう、神代さん!」裕也はようやく隣にいる神代咲に気づき、慌てて挨拶した。そして天明に目を戻し、驚きの声を上げた。「お前、神代咲と知り合い!?マジかよ!」
天明が説明しようとした瞬間、授業のベルが鳴り響き、会話を遮った。
「やば、遅刻する!」神代咲は驚いて叫んだ。「失礼、先に行くわ!」彼女は風のように校舎へ駆け出し、振り返って叫んだ。「放課後、剣道部忘れないで!剣持ってきてね!」
教室は小さなグループに分かれていた。体育会系が前の方を占め、学力上位者は真ん中に集まり、後ろはファッションに気を使う女子たちの天下だった。周天明は一人、窓際の席に座り、本を開いて、体の痛みや周囲の雑音から気を逸らそうとした。
「天明!」聞き慣れた声が響き、佐藤裕也が満面の笑みで肩を叩いた。「やっと戻ってきた!正直、校門でお前見たとき、ビックリしたぜ!」
周天明は顔を上げ、記憶の中で「親友」とされているこのクラスメイトに微笑み返した。裕也は明るく人懐っこい性格で、クラスでも人気者だった。
「病院、行けなくてごめんな。」裕也は頭を掻き、申し訳なさそうな顔をした。「期末試験で死ぬほど忙しくて、帰ったら塾で…気づいたらもう退院してたって…」
「気にしないで。」天明は静かに答えた。「覚えててくれるだけでありがたいよ。」
裕也は彼の言葉の深さに気づかず、興奮気味に質問を続けた。「でさ、車に轢かれたってどんな感じ?痛かった?昏迷してる間に変なもの見なかった?」
天明は一瞬言葉に詰まり、内心考えた。こうやって話すと、俺たちの関係ってそんなに深くないな。元の周天明の記憶でも、裕也は表面的な友達で、深い付き合いはなかった。事故後も適当なメッセージが一通来ただけで、今のこの関心は単なる好奇心だろう。
「よく覚えてない。」彼は静かに答えた。「寝てたみたいだっただけ。」
「えー、そんな感じか…」裕也は明らかにがっかりしたが、すぐに元気を取り戻した。「でもさ、今のお前、めっちゃ調子良さそう!なんか鍛えた?体つき変わったよな!」
天明が答えようとしたとき、教室の前ドアが開き、担任の寺井先生が入ってきた。裕也は慌てて自分の席に戻り、天明を一人残した。
天明は周囲を見回し、記憶通りだと気づいた――彼はどのグループにも属していなかった。元の周天明は人付き合いが苦手な転校生で、この学校では表面的な友情しかなく、本質的には孤独だった。
それは前世の少林寺での生活と似ていた。ただ、今は武学の支えがない分、その孤独がより強く感じられた。
「静かに!」寺井先生が教卓を叩いた。「学期も半分過ぎたが、周天明君が復帰したので、改めて出席を取る。」
教室のざわめきが静まり、寺井先生は名簿を読み上げ始めた。
「安藤雅人。」「はい!」
「井上美智子。」「はい!」
名前が次々と呼ばれ、周天明は自分の名前を静かに待った。
「周天明。」
少林寺で長年培った習慣が、彼を無意識に動かした。彼は立ち上がり、双手を合わせて軽く頭を下げ、「貧僧、ここにあり。」
その瞬間、教室が一瞬静まり、すぐに爆笑が響き渡った。
「周君、和尚だってよ!」「ハハハ、そりゃ最近別人みたいに見えるわけだ!」「まさか事故で頭おかしくなったんじゃ…」
天明は自分の失言に気づき、気まずくその場に立ち尽くした。
寺井先生は眼鏡を押し上げ、複雑な表情で彼を見た。「周君、大丈夫か?医者は脳に損傷はないって言ってたけど…」
「すみませんでした、先生。」天明は慌てて弁解した。「最近、寺に関する小説を読んでて、ちょっとハマりすぎました。」
天明は気まずく席に戻り、皆の視線が自分に集まるのを感じた。さっきの仏教的な発言は、間違いなく「変人」のレッテルを貼られる一因になった。
寺井先生は眼鏡を押し上げ、軽く咳払いし、重大な発表をするかのように言った。「周君、放課後に職員室に来なさい。話がある。それから、今日、進路志望表を配る。高2なんだから、将来のことを真剣に考える時期だ。大学、武術学校、専門学校、就職…ちゃんと書きなさい。」
彼は一拍おいて、どこか皮肉っぽく続けた。「いつもバスケやネイルのことばかり考えてないで、人生は遊びじゃないんだぞ!」
志望表が一枚ずつ配られ、まるで刑務所で判決書を渡されるようだった。田中健太は表を受け取り、筋肉ばかりで頭は空っぽと言われる頭を掻いた。「こんなのどう書くんだよ、めんどくせ…」
後ろの彩花は白目を剥いた。「適当に書けばいいじゃん。どうせ誰も自分が何したいかなんてわかんないし。」
天明の番になり、志望表の「進路」の欄をじっと見つめた。
前世の俺の志望は、衆生を救い、心を悟り、悟りを開いた高僧になることだった。でも今、こんな表に「菩薩の果位を目指す」なんて書けるわけないだろ。
そんなこと書いたら、間違いなく精神科送りだ。
「武道と哲学を学びたい。国立大学の工学部あたりを考えて、後は…武術学校で修行するかも。」とりあえず適当に書こう。武術学校が本当の目標だと今明かすのは目立ちすぎる。しばらくは目立たず行こう。
山本直樹が厚い眼鏡を押し上げ、おずおずと立ち上がった。彼はクラスの首席で、夏なのに冬服を着ているような少年だった。
「東京大学。」山本の声は震えながらも自信を装っていた。「偏差値最高の学府。トップの大学に入らなきゃ、人生に意味なんてない。」
田中健太が大げさに口笛を吹いた。「メガネオタクはやっぱ違うね!学霸の世界ってすげえ!」
後ろの彩花は美奈に小声で囁いた。「また始まった、山本の『人生の意味』語り。あいつ、勉強以外何もできないくせに、普通の会話すらできないの、マジでキモい。」
次は俺の番だ。
その瞬間、奇妙な衝動が湧き上がった。前世の修行が呼びかけているのか、嘲笑された山本のために何か言いたかったのか、それともただの青春期の自己顕示欲だったのか。
俺は静かに立ち上がり、微笑み、口が勝手に動き始めた。やばい、明空モードが発動した。
「衆生の相はみな浮雲の如し。金榜題名も刹那の功名にすぎず、武道修行もまた一時のもの。心を悟り、禅を明かすことこそ究極の道。何ぞ一時の勝負に執着するのか。修行の道は、争わずして悟り、動かずして菩提を得る。」
俺の声は落ち着きの中に超然とした響きを帯び、17歳の少年のものではなく、雪山の隠者から発せられたかのようだった。
教室は一瞬、死のような静寂に包まれた。生徒たちは顔を見合わせ、困惑の目で俺を見つめた。まるで宇宙人がシェイクスピアを朗読しているのを見たような反応だ。これは完全に予想通り。集団心理学に「常態偏差排斥」という概念がある――個人の言行が集団の標準から大きく逸脱すると、集団は本能的に排斥と警戒を抱く。俺の今のスピーチは、高校生の常識から完全に「逸脱」していた。
彩花は呆然とし、口を半開きにした。「は!?この中国人、急に何!?めっちゃ悟った感じで喋ってるけど!?何!?」
完璧超人の吉田さえも困惑の表情だった。「おい、周、大丈夫か?頭打った?」
やばい、やりすぎた。
教室の空気が微妙に変わった。さっきの嘲笑や騒がしさは消え、代わりに奇妙な静けさが広がった。誰かが小声で囁き始めた。
「事故で頭おかしくなったんじゃ…」
「頭打つと、別人格になるって聞いたことある…」
俺は気まずく咳払いし、なんとか取り繕おうとした。「すみませんでした、つまり、大学也好、武術学校也好、みんな自分に合った道を見つければいいってことです。互いにバカにする必要はないかと。」まるで間違って外国語を話してしまった人が慌てて翻訳するみたいに。
寺井先生は首を振って、心配そうな声で言った。「周君、放課後に必ず職員室に来なさい。校医と話す必要があるかもしれない。保護者にも連絡した方がいいかも…」
彼は他の生徒に向き直った。「よし、志望表の配布を続ける。もう騒ぐな。特に周君のことに変なコメントは禁止、わかったな?」
生徒たちは頷いたが、俺を見る目に嘲笑は減り、奇妙さと同情が増えた。ああ、「変わった転校生」から「心理治療が必要な転校生」に昇格か。なんて微妙な社会的地位の変化だ。
俺は気まずく席に戻り、顔が熱くなるのを感じた。こりゃ面倒なことになったな…