第69章 委員長
第五節の授業も終わった。
昼休みの時間を潰すため、天明は人目を避けながら廊下を歩いた。
132ポイントの気血値が発表されてから、クラスメートたちの視線が気になって仕方がない。
「すげえな周!」「隠してたのかよ!」「今度教えてくれよ!」
そんな声が四方八方から飛んでくる。
悪気がないのは分かっているが、正直うんざりだ。
天明は校舎を出た。
体育館裏の自動販売機は、いつも人でごった返している。
しかしそれは普段の話。天明は悠然と自販機の前に立った。
唯一、水泳の授業の時間帯だけ、ここの自販機は閑散としている。教室から適度な距離があり、何より体育館の影になっていることで、わざわざ来たという特別感がある。他の自販機とは一線を画している。
品揃えにも特色がある。天明は財布を取り出しながら、ラインナップを眺めた。
……見覚えのある顔が、隣の自販機の前で同じように商品を眺めていた。
「あ……周くん……」
向かいの自販機で飲み物を選んでいたのは、東小路望月だった。
黒縁眼鏡の奥の瞳が、驚きに見開かれている。
長い前髪が額を覆い、その奥に整った顔立ちが隠れている。
「東小路か。珍しいな、こんなところで」
「あ、あの……その……」
東小路は顔を真っ赤にして、視線を泳がせた。
「の、喉が渇いて……飲み物を……」
「わざわざこんな遠くまで?」
天明が聞くと、東小路はびくりと肩を震わせた。
「だ、だって……購買部は……人がいっぱいで……」
ああ、なるほど。
彼女も自分と同じ理由でここに来たわけだ。
クラス委員長とはいえ、東小路望月は極度の人見知りだ。大勢の中にいるのが苦手なのだろう。
「まあ、分かる。俺も似たようなもんだ」
「え……周くんも?」
東小路は不思議そうな顔をした。
「だ、だって周くん、132ポイントで……みんなに注目されて……」
「だから逃げてきたんだよ」
天明はため息をついた。
「急に騒がれても困る。静かに過ごしたいだけなのに」
東小路は少し黙ってから、小さく頷いた。
「……分かります。私も……人前で話すの、苦手で……」
「クラス委員長なのに?」
「う……それは……」
東小路は俯いた。
前髪の隙間から、耳が赤くなっているのが見えた。
「先生に頼まれて……断れなくて……」
「断れないのか」
「だ、だって……頼まれたら……」
なるほど。真面目すぎて損をするタイプだ。
天明は自販機のボタンに手を伸ばしてから、ふと止まった。
「なあ、東小路」
「は、はい?」
「この自販機、何がお勧めだ?」
東小路の目が、ふっと輝いた。
「あ、あの……実は……」
彼女の声が、少しだけ大きくなった。
「私、この学校の自販機、全部調べたことがあるんです」
「全部?」
「は、はい……どの自販機にどの商品があるか、補充される曜日、売り切れやすい時間帯……」
東小路は眼鏡を押し上げた。
その目は真剣だった。
「へえ。じゃあ、ここの自販機の特徴は?」
「こ、ここは……品揃えが独特なんです」
「独特?」
東小路は自販機を指さした。
「あ、あの……見てください。『綾鷹』と『伊右衛門』が両方あるんです」
「緑茶が二種類あるだけだろ?」
「ち、違います!」
東小路は珍しく強い口調で言った。
「『綾鷹』はコカ・コーラ社で、『伊右衛門』はサントリーです。普通、同じ自販機に競合他社の商品は入れないんです」
「……そうなのか?」
「は、はい。でもここは体育館裏で目立たないから、業者さんが気にしないんだと思います」
天明は感心した。
「詳しいな」
「え、えへへ……」
東小路は照れたように笑った。
その笑顔は——Loss前髪に隠れていた顔が、少しだけ見えた。
意外と——
いや、意外じゃない。
整った顔立ちだ。
「で、どっちがお勧めなんだ?」
「そ、それは……好みによります」
東小路は真剣な顔で説明を始めた。
「『綾鷹』は、急須で淹れたような濁りのある味わいが特徴です。旨みが強くて、まろやかです」
「ふむ」
「『伊右衛門』は、京都の老舗・福寿園のお茶を使っていて、すっきりした味わいです。香りが高くて、後味がさわやかです」
「なるほど」
「あ、あと……『伊右衛門』は季節限定で味が変わるんです。今の時期は『新茶入り』で、より香りが良くなってます」
東小路は目を輝かせて語っていた。
さっきまでの恥ずかしがり屋はどこへやら、完全に「お茶評論家モード」に入っている。
「じゃあ、東小路のお勧めは?」
「わ、私は……」
東小路は少し考えてから言った。
「午前中は『伊右衛門』、午後は『綾鷹』です」
「時間帯で変えるのか?」
「は、はい……午前中はすっきり目覚めたいから『伊右衛門』、午後は疲れてるからまろやかな『綾鷹』で……」
「……細かいな」
「す、すみません……変ですよね……」
「いや」
天明は首を横に振った。
「こだわりがあるのはいいことだ」
東小路は嬉しそうに微笑んだ。
「あ、あの……周くんは何を買うんですか?」
「俺か?」
天明は自販機を見た。
正直、あまりこだわりはない。
前世は少林寺の僧侶だったから、茶といえば寺で出される薄い番茶しか飲んでいなかった。
「……『ジョージア』のブラックコーヒーにしようかと思ってたんだが」
「え!?」
東小路が声を上げた。
「だ、ダメです!」
「ダメ?」
「こ、この自販機の『ジョージア』は、補充が月曜日なんです。今日は金曜日だから、もう古くなってます」
「……コーヒーに鮮度があるのか?」
「あ、あります!缶コーヒーは時間が経つと風味が落ちるんです。特にブラックは顕著です」
東小路は必死に説明した。
「も、もし缶コーヒーを買うなら、正門横の自販機がお勧めです。あそこは毎日補充されるので」
「……そこまで調べてるのか」
「は、はい……」
東小路は少し恥ずかしそうに俯いた。
「ひ、暇な時に、つい……」
天明は苦笑した。
クラス委員長の趣味が「自販機の補充スケジュール調査」とは。
「じゃあ、何がお勧めだ?」
「え、えっと……」
東小路は自販機をじっと見た。
「この時間なら……『ポカリスエット』か『アクエリアス』がいいと思います」
「スポーツドリンク?」
「は、はい。午後の授業で集中力を保つには、適度な糖分と電解質が必要です。それに、この二つは回転が速いから、いつも新しいんです」
「……なるほど」
「あ、でも『ポカリスエット』と『アクエリアス』にも違いがあって……」
東小路はまた目を輝かせた。
「『ポカリスエット』は大塚製薬で、『アクエリアス』はコカ・コーラ社です。『ポカリ』の方が体液に近い成分で、『アクエリアス』の方がすっきりした味です」
「どっちがいい?」
「わ、私は『ポカリ』派です。味は『アクエリアス』の方が好きなんですけど……『ポカリ』の方が体に吸収されやすいので……」
「でも味は『アクエリアス』の方が好きなんだろ?」
「は、はい……でも体のことを考えると……」
「じゃあ『アクエリアス』でいいじゃないか。好きな味を飲んだ方が気分がいいだろ」
東小路は目を丸くした。
「え……でも……」
「効率ばかり考えてたら疲れるぞ」
天明は言った。
「たまには好きなものを選べ」
東小路はしばらく黙っていた。
そして——Loss小さく笑った。
「……周くんって、優しいですね」
「は?別に普通のことだろ」
「ふ、普通じゃないです」
東小路は首を横に振った。
「私、いつも効率とか正しさとかばかり考えちゃって……『好きなものを選べ』って言われたの、初めてです」
「……そうか」
天明は少し気まずくなって、視線を逸らした。
「じ、じゃあ……今日は『アクエリアス』にします」
東小路はボタンを押した。
ガコン、と音がして、青い缶が落ちてきた。
「周くんは?」
「……俺も『アクエリアス』にするか」
「あ、お揃いですね」
東小路は嬉しそうに言った。
天明もボタンを押した。
二人は並んで缶を開けた。
「……うん、美味しい」
東小路が微笑んだ。
「好きな味を選んでよかったです」
「だろ」
天明も一口飲んだ。
冷たくてすっきりした味が喉を通っていく。
悪くない。
「あ、あの……周くん」
「ん?」
「お昼ご飯、どこで食べてますか?」
「食堂だけど」
「そ、そうですか……」
東小路は少し残念そうな顔をした。
「わ、私は……人が多いところが苦手で……いつも教室の隅で……」
「教室も人多いだろ」
「は、はい……でも、隅っこなら……なんとか……」
天明は少し考えた。
この女、見ていて危なっかしい。
「なあ、東小路」
「は、はい?」
「旧校舎の非常階段、知ってるか?」
「旧校舎……?」
「あそこは誰もいない。静かで過ごしやすいぞ」
東小路の目が、少し輝いた。
「だ、誰もいないんですか……?」
「ああ。俺も時々使ってる」
「……行ってみたいです」
東小路は小さく呟いた。
「じ、じゃあ……今度、案内してもらえますか……?」
「ああ、いいぞ」
「ほ、本当ですか……!」
東小路の顔が、ぱっと明るくなった。
しかしすぐに、彼女は我に返ったように俯いた。
「あ、あの……ご迷惑じゃなければ……」
「迷惑じゃない。ただの場所の案内だろ」
「は、はい……ありがとうございます……」
東小路は眼鏡の奥で、嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見て、天明はふと思った。
この女、笑うと結構可愛いな。
前髪と眼鏡で隠しているのが勿体ない。
「じゃ、じゃあ……私、教室に戻りますね……」
「ああ」
「あ、あの……周くん」
「ん?」
東小路は少し躊躇ってから、小さな声で言った。
「132ポイント……すごいですね」
「……まあ」
「わ、私……周くんのこと、応援してます」
そう言って、東小路は足早に去っていった。
天明はその後ろ姿を見送った。
長い黒髪が、歩くたびに揺れている。
「……応援?」
何を応援するんだ。
天明は首を傾げたが、まあいいかと思い直した。
『アクエリアス』を飲み干して、缶をゴミ箱に捨てる。
彼も教室に戻ろうとした。
しかし——
「あ、やばい」
次の授業が始まる。
東小路に続いて、天明も慌てて校舎に駆け込んだ。
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《現在の状態:功徳750 / 精神13,200 / 財産730,000円(現金) / 借金1,900,000円+医療費300,000円》
【梵天塔】
【現在の階層:第1層】
【人物関係更新:東小路望月(クラス委員長)との交流】
【本日の予定:剣道部の部活動】
【世界情勢:九州世界との境界が薄くなっている】




