第43章 堂妹の心配
その日の夜、俺は自分の部屋の机に向かって、ノートに計画表を書き直していた。剣道部の活動スケジュールを考慮しながら、今月の生活費プランを再度修正する。
上半身を椅子の背もたれに預けて、頭の中で財布の残高と来週の昼食代を計算する。
とりあえず、この期間は昼食代を全部節約できると仮定して、それを資金として、鉄砂掌の薬材を購入しながら生活費を維持する。
「まず、薬材費が15万円必要で——」
108万円の通話料金を現金化できたら、6割で計算すると64万8千円。薬材費を引いたら、残りは49万8千……
俺が計画表に数字を書き込んでいると、白くて小さな手が俺の手を押さえた。
「お兄ちゃん、その計算間違ってる。6割じゃないよ、もっといい方法がある」
「周婷、なんで俺の部屋に入ってきてんだよ?」
「お兄ちゃんが知らないだけで、私はいつもここにいるよ」
従妹の周婷が恐ろしいことを言った。
彼女は俺より一歳年下で、従兄としての贔屓目を抜きにしても可愛いと言える。しかも成績は俺より上だ。同じ周家の子供なのに、なんでこんなに差があるんだろう?
身長は155センチくらい。ツインテールの髪型で、大きな瞳がいつもキラキラしている。制服姿より私服の方が似合うタイプだ。今もパジャマの上に羽織ったカーディガンが、妙に大人びて見える。
いや、そんなことはどうでもいい。
問題は——
「でもお前、前は6割って言ってたじゃないか」
「それは普通の方法。私、もっと高く買い取ってくれるルートを見つけたの」
「どういうこと?」
「私の知り合いの知り合いがね、7割5分で買い取れるって」
7割5分!?
それだと81万円!
俺が驚いていると、クッキーが口に突っ込まれた。うまい。
続いて、アイスティーのストローも口に差し込まれた。老人介護か?
「待て、自分で飲める」
「お兄ちゃん、その人に会う?」
周婷の顔が急に近づいてきた。
近い近い。妹とはいえ、この距離は……
「え? いや、でも……」
「周婷、心配なの。またお兄ちゃんが変な人に騙されたらどうしようって」
もう騙されてないか、俺?
というか、108万円の時点で既に大失敗してるんだけど。
「っていうか、7割5分……怪しくないか?」
「うん、正直に言うと、ちょっとグレーゾーンかも」
周婷が素直に言った。
「でも違法じゃないよ。ただ……その人、見た目がちょっと……ヤクザっぽい」
「ヤクザ!?」
俺は思わず声を上げた。
「でも本物のヤクザじゃないよ! 見た目がそれっぽいだけ!」
周婷が慌てて弁解する。
「それに、7割5分だよ? 6割より15万も多いんだよ?」
確かに……
15万円あれば、薬材費が賄える。
でも……
ヤクザっぽい人と会うのは……
いや、待て。冷静に考えろ。
前世では、武術界にもそういう筋の人たちは普通にいた。見た目が怖いだけで、実は真面目に商売してる人も多かった。
でも、この世界では違うかもしれない。
リスクとリターンを天秤にかける。
15万円は大きい。
でも、トラブルに巻き込まれたら、それ以上の損失があり得る。
「いや、やっぱりやめておく」
俺は首を振った。
「リスクが高すぎる」
「そっか……」
周婷が少し残念そうな表情を浮かべた。
でも、すぐに顔を上げる。
「じゃあ、お兄ちゃん、南条先輩に聞いてみたら? あの人、こういうの詳しいって言ってたでしょ?」
「あ、そうだ……」
そうだった。南条は換金ルートを知ってるって言ってた。
明日、もう一度相談してみよう。
「そういえば、お兄ちゃん」
周婷がスマホを取り出した。
「お兄ちゃんのLINE、剣道部のグループに入ってるね」
「え? なんで知ってるんだ?」
「さっき、お兄ちゃんのスマホを覗き見した」
「勝手に見るな!」
「ごめんごめん」周婷が舌を出した。「でも、お兄ちゃんが剣道部に入ったこと、私全然知らなかったからびっくりしちゃった」
「ああ……まあ、色々あってな……」
「色々?」
周婷の目がキラキラ輝いた。
まずい。この子、興味を持つとしつこい。
「その……医療費のことで……」
「あ、神代先輩のこと?」
「知ってるのか?」
「うん。美咲が教えてくれた」
美咲と周婷が知り合い?
そういえば、同級生か。
「美咲ね、お兄ちゃんのこと、すごく期待してるよ。『周先輩、超強いんです!』って」
「……そうか……」
なんか照れくさい。
「それで、剣道部はどう? 楽しい?」
周婷が俺の顔を覗き込んできた。
「楽しいかどうかは……まだよく分からない……」
俺は簡単に廃部危機のことを説明した。
「えぇ!? 二週間で五人目が見つからなかったら廃部!?」
周婷が驚いて声を上げた。
「ああ……」
「それ、すごく大変じゃん! お兄ちゃん、どうするの!?」
「どうするって言われても……」
「私も手伝う!」
周婷が拳を握りしめた。
「一緒に五人目を探そう!」
「いや、周婷は気にしなくていいぞ……」
「気にする! お兄ちゃんのことは私のことでもあるの!」
周婷が俺の手を握った。
その手は、小さくて温かい。
「それに、私、学校で友達多いし。剣道に興味ありそうな人、探してみる」
「……ありがとう、周婷」
「お礼はいいよ。お兄ちゃんのためだもん」
周婷が笑った。
その笑顔を見て、俺は少しだけ気が楽になった。
少なくとも、一人じゃない。
この異世界に来てから、ずっと一人で問題を抱え込んでいた。
でも、周婷がいる。
神代部長たちもいる。
南条もいる。
……意外と、悪くないかもしれない。
「あ、そうだ」
周婷が何かを思い出したように言った。
「お兄ちゃん、明日のお昼、南条先輩に会うんでしょ?」
「多分な」
「じゃあ、私も一緒に行く」
「え?」
「だって、お兄ちゃん一人だと騙されるから」
「……俺、そんなに信用されてないのか?」
「されてない」
周婷が即答した。
……ひどい。
でも否定できない。
だって、実際に108万円の通話料金なんて作ってしまったんだから……
あれは本当に馬鹿だった。
今思い出しても恥ずかしい。
「まあいいよ。一緒に来い」
「うん! 任せて!」
周婷が力強く頷いた。
「じゃあ、私もう寝る。明日早起きしなきゃ」
「ああ、おやすみ」
「おやすみなさい、お兄ちゃん」
周婷が部屋を出て行った。
一人になった部屋で、俺は再び計画表を見つめた。
【現在の問題】
・通話料金108万円の現金化
・薬材費15万円
・剣道部の五人目
・借金190万円
……問題が多すぎる。
でも、少なくとも周婷が手伝ってくれる。
南条も手伝ってくれるはずだ。
「なんとかなるか……?」
俺は呟いた。
でも、答えは出ない。
《本日立替残高:0円(通話料金108万円のみ)》
* * *
二日目、木曜日。
昼休み、俺は食堂に向かった。南条はもう例の席で待っていた。
食堂の喧騒の中、窓際の席。そこが俺たちの定位置になっている。南条は既に弁当を広げていて、ノートパソコンを開いて何かを確認している様子だった。
「周、座って」
南条が手を振って俺を呼んだ。相変わらずクールな雰囲気だけど、少し疲れた顔をしている。
俺は向かいに座った。購買で買ったパンとお茶を机に置く。
「通話料金の換金ルート、見つかった?」
俺は単刀直入に聞いた。
「うん」南条がノートパソコンを開いた。「昨夜、徹夜で調べて、三つの可能性のあるルートを見つけた」
三つ?
この人、本当に真面目だな。というか、徹夜って……俺のためにそこまでしてくれるのか?
「ありがとう、南条。徹夜までさせて悪かった」
「別に。どうせ寝られなかったし」
南条がさらっと言った。
寝られなかった? なんで?
……まあ、聞かない方がいいな。
「で、三つのルートって?」
「まず第一、P2P取引プラットフォーム」
南条が画面を俺に見せた。なんか見たこともないサイトだ。英語と日本語が混在している。
「これは何?」
「Peer to Peer、つまり個人間取引。あなたが直接買い手を探して、プラットフォームは保証だけを担当する」
「聞こえはいいな?」
「問題はリスクが高いこと」南条が言った。「保証システムはあるけど、それでも詐欺師に遭う可能性がある。それに、あなたの金額が大きすぎる。108万円の通話料金を一度に引き受けてくれる買い手を見つけるのは難しい」
「じゃあ、何回かに分ける?」
「最低でも五、六回。一回につき大体15万から20万」
「面倒くさいな……」
しかも、そんなに何度も取引してたら、詐欺に遭う確率も上がるんじゃないか?
「それに、毎回審査があって、一回につき最低二、三日かかる。全部終わらせるのに一ヶ月はかかる」
一ヶ月……
長すぎる。
その間に、薬材費が必要になる。剣道部の問題もある。借金の返済も待ってくれない。
「換金率は?」
「6割から7割。運が良ければ7割5分まで行けるかも」
7割5分なら81万円か。
でも一ヶ月……
「二つ目のルートは?」
「電子商取引回収プラットフォーム」
南条が別のページに切り替えた。こっちは見た目がちゃんとしている。企業サイトっぽい。
「これは正規の会社が運営してる。各種仮想通貨、プリペイドカード、通話料金を専門に回収してる」
「正規の?」
「そう。営業許可証もあるし、商工局にも登録されてる」
ずっと信頼できそうだ。
「換金率は?」
「5割から6割」
「低っ!?」
思わず声が出た。周りの生徒が一瞬こっちを見た。
「正規の会社だからね、税金も払わなきゃいけないし、運営コストもかかる」南条が肩をすくめた。「それに、金額が大きいから、追加の手数料も取られる」
「いくら?」
「3%」
俺は計算した。
108万円、6割で計算すると64万8千円。
そこから3%の手数料を引いて……
「62万8千円くらいしか残らない……」
損しすぎだろ。
15万円以上も消えるのか? それだけあれば薬材費が全部賄えるのに……
「でも安全だし、早い。一日から三営業日で入金される」
南条が言った。
安全で迅速、でも代償は十数万円……
うーん……
「三つ目は?」
「これは……」
南条が少し躊躇した。
珍しい。この人がためらうなんて。
「これはちょっと特殊」
「どう特殊?」
「個人ルート。違法じゃないけど、完全に正規とも言えない」
個人ルート……
聞いただけで怪しい。
「具体的には?」
「私の知り合いで……なんて言えばいいか、中古取引のビジネスをやってる人がいる」
「中古取引?」
「そう。その人は色んなものを買い取ってる。通話料金、プリペイドカード、ゲームアカウント、限定商品……現金化できるものなら何でも」
「それで?」
「その人の換金率は7割。手数料なし」
7割!
108万円なら75万6千円!
第一のルートより良いし、しかも何度も分ける必要がない。
「すごくいいじゃないか」
「でも……」南条が俺を見た。「その人、ちょっと……」
「ちょっと何?」
「ちょっと接触しにくい」
「どういう意味?」
「ビジネスはすごく信用を大事にしてて、絶対に人を騙さない。でも……」
南条が一瞬言葉を切った。
「見た目がヤクザっぽい」
「……え?」
「本物のヤクザじゃない!」南条が急いで補足した。「見た目がそれっぽいだけ。タトゥー、金のチェーン、話し方が怖い……そういう感じ」
俺は黙り込んだ。
タトゥー、金のチェーン、話し方が怖い……
それってヤクザじゃないか?
前世で、武術界にもそういう筋の人たちはいた。でも、俺は極力関わらないようにしていた。トラブルの元だからだ。
「本当に違法じゃないのか?」
「確実に」南条が真剣に言った。「調べた。その人のビジネス手法はちょっとグレーゾーンだけど、違法じゃない。それに、この業界での評判はすごくいい。一度も人を騙したことがない」
「なんで?」
「一度人を騙したら、ビジネスが成り立たなくなるから」南条が説明した。「こういうグレーゾーンのビジネスは、信用が一番大事。一度騙したら、もう誰も来なくなる」
なるほど。
確かに理屈は通っている。
「それに」南条が続けた。「もう一つメリットがある」
「何?」
「速度が速い。対面取引で、一手に金、一手に商品」
対面取引……
「つまり、俺がその人に会いに行くってこと?」
「そう」
「……」
俺は少し躊躇した。
ヤクザっぽい人に会いに行く……
南条が違法じゃないって言っても、やっぱり不安だ。
でも、7割か。
15万円以上の差は大きい。
薬材費が賄えるし、残りのお金で借金の返済もできる。
「どう?」南条が俺を見た。「三つのルート、どれを選ぶ?」
俺は考えた。
第一:P2P プラットフォーム。7割前後、でも一ヶ月かかる、リスクは中程度。
第二:正規の会社。6割、手数料を引いたら62万円ほど、でも安全で速い。
第三:個人ルート。7割、速度が速い、でもヤクザっぽい人に会わなきゃいけない。
どれも一長一短だ。
安全を取るか、お金を取るか。
「……その人に会えるか?」
「三つ目?」
「うん」
少し怖いけど、7割の誘惑が大きすぎる。
それに、南条が信用してるって言うなら……大丈夫だろ、多分。
「いいよ」南条が頷いた。「でも条件がある」
「何?」
「私も一緒に行く」
「え?」
「一人で行くのは危険すぎる」南条が真剣に言った。「その人は騙さないけど、万が一何かあったら? 私がいれば、少なくとも助けになる」
「……ありがとう」
俺は心から言った。
この人、本当にいい人だ。
「どういたしまして」南条が微笑んだ。「債友だから」
「で、いつ行く?」
「明日、放課後。既に連絡済み。会えるって」
「そんなに早く?」
「そう。だから今日帰ったら準備して」
「何を準備?」
「心の準備」南条が言った。「その人……本当に怖いから」
「……」
俺は急に後悔し始めた。
でも、75万6千円を手に入れられるなら……
まあいいか。
やるしかない。
「あ、周」
「ん?」
「明日会う時、怖がってる様子を見せないで」
「なんで?」
「そういう人は臆病な人間を一番見下すから」南条が言った。「自然に振る舞って。普通の人だと思って接して」
「……努力する」
「それと、余計なことを聞かないで。向こうが聞いてきたことに答えるだけ。相手のことを根掘り葉掘り聞かないように」
「分かった」
「最後に、取引が終わったらすぐ帰る。居残らないで」
南条が一つ一つ注意事項を言う。
まるで、危険人物との付き合い方を教えてるみたいだ……
「南条……前にその人に会ったことある?」
「一回だけ」南条が頷いた。「去年、クレジットカードのポイントを換金した時」
「……どうだった?」
「すごく怖かった」
南条が正直に言った。
「……」
俺はさらに後悔した。
南条が「すごく怖かった」って言うなら、相当なもんだろ。
この人、普段は何があっても動じないのに。
「でも公平だった」南条が補足した。「7割って言ったら7割、一円も誤魔化さない。それに速度が速い。五分で全部終わった」
五分……
確かに速い。
「分かった」俺は深呼吸した。「じゃあ、明日の放課後に」
「うん」
南条がノートパソコンを閉じた。
「あ、携帯を持ってくるの忘れないで。取引の時、その場で通話料金の残高を確認しなきゃいけないから」
「了解」
俺たちは昼食を続けた。
でも、正直言って、味がしなかった。
頭の中は明日のことでいっぱいだ。
ヤクザっぽい人。
タトゥー。
金のチェーン。
怖い話し方。
……大丈夫か、俺?
「周」
「ん?」
「そんなに心配しなくていいよ」
南条が俺の表情を読んだようだ。
「その人、見た目は怖いけど、話せば案外普通だから」
「本当に?」
「本当。ただ、最初のインパクトがすごいだけ」
「……そうか」
少しだけ安心した。
でも、やっぱり不安だ。
「それより」
南条がパンを一口食べて言った。
「剣道部のこと、順調?」
「あ……まあ、なんとか」
「五人目、見つかりそう?」
「まだ全然……」
「そっか。頑張って」
「うん」
俺は自分のパンを見た。
剣道部のこと、通話料金のこと、借金のこと、修行のこと……
問題が多すぎる。
でも、一つずつ解決していくしかない。
「南条」
「ん?」
「本当にありがとう。色々調べてくれて」
「気にしないで」
南条が微笑んだ。
「私も結構楽しいから。こういうの、探偵みたいで」
「探偵?」
「うん。情報を集めて、分析して、最適解を見つける。面白いよ」
……この人、変わってるな。
でも、悪くない。
「じゃあ、明日」
「うん。放課後、昇降口で待ち合わせね」
「分かった」
俺は頷いた。
昼休みが終わりのチャイムが鳴った。
生徒たちがぞろぞろと教室に戻り始める。
俺も立ち上がった。
「じゃあ、また」
「うん。気をつけて」
南条が手を振った。
俺は食堂を出た。
廊下を歩きながら、また考えた。
明日、ヤクザっぽい人に会う。
75万6千円を手に入れる。
そして、薬材を買う。
借金を返す。
剣道部を助ける。
やることがたくさんある。
「……頑張るしかないな」
俺は小さく呟いた。
教室に戻る足取りが、少しだけ重かった。
。




